ミクはレンゲが好物なので、乳がほんのり苦い。その苦味が、ぼくは好きだった。
空腹がおさまったので、ミクのおなかの下から這い出そうとすると、他の羊たちが寄り集まってきていて、羊の脚の林ごしに、遠くに広がる惑乱の曠野が見えた。
四つん這いで脚の林を抜け出す。吊り尾根から流れ下る草地のあちこちで、緑の空に浮かぶ羊雲のように散らばった羊たちが、のんびりと草を食んでいる。
一足先に食事を終えた父さんが、顎鬚の先から乳を滴らせながら立ち尽くしていた。ずっとむかし氷河が転がしてきて、飽きて置き去りにしていった、ごつごつした迷子石の上に突っ立っている。父さんの顔は、こちらを向いていたけれど、目は血走るくらい横目になって、動かない。惑乱の曠野を見ているのだ。
惑乱の曠野をじっと見詰めるのは、はしたないふるまいだった。誰もはっきりとは口に出して言わない。けれど、それは女の人の大事なところを覗き見ることは罪深いと、言われないうちから分かるのとおなじだった。それでも、ちらちらと見ずにはいられなくて、ときには釘付けになってしまう人もあった。今の父さんがそうだ。というより、息子の目など、気にする余所目の勘定に入っていないだけかもしれないが。
女の人も、惑乱の曠野を見るとき、おちんちんを見ているような気がするのだろうか?
「人は誰でも詩人になる」
父さんが前振りもなくつぶやきはじめる。
「詩人になる回数も、なっている時間も、人によってちがうが。書き留めるいとまもないほど短すぎた詩人に宿った詩が、踏み迷ってあつまるのかもしれない。惑乱の曠野に」
ぼくはつづきを待ったが、言い残すぐらいはあっても、書き残すほどはない詩人の時間は終わってしまい、父さんは、乳に濡れた鬚を口にもっていくと、ちゅうと音をたててすすった。
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ぼくのほうは、いまこうしてあのときのことを思い出しながら書き留めるくらいには詩人だから、父さんの跡を継ぐことはできないだろうと思う。
遠からず村を出ていく。見たいものから逸らすことができない視線のように、しきたりから逸れていくのだ。
_ 長い橋を自転車で渡っているとき、ちょうどおなじ速さ高さで、欄干際を並行して滑空するカラスに気付く。
驚いた。
近くで見るとカラスは怖いくらい大きい。でも驚いたのは大きさではない。
病気なのか何か浴びたのか、翼も身体も黒白のまだらで、それも白のほうが多くて、まるでサッカーボールの精霊だ。
かれが河岸に向かって高度を下げるまでの七秒。こんなに長い時間、飛ぶカラスを間近に見たのは初めてだし、こんな奇態なカラスも初めてだし。
粗略に漂白されたカラスは橋の下に姿を消した。
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ーーむ、なんか風が粉っぽいぞ。
燐粉でも撒いていったか。
雪から雪へ、踏み石のようにたんたんと踏んで、空へ昇ってゆくちいさな人びと。
見えなくなるまで見送りました。
見えなくなってからもしばらく、唄声だけは聴こえてきます。
ここでもし雪がやんだら?と思うとわくわく……いえ、どきどきします。
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地球が平らだった頃には空も平らで、無限遠点で大地と空が溶け合うところは、天地平線と呼ばれた。
◆レルネエⅠ◆
レルネエの街は充満している。意味と象徴と詩情に侵されている。なにげないものはなにもない。
曲がりくねった路地が暗示するしきたり、風をはらむカーテンがほのめかす理論。
屋根を走る子ども、道端で眠る老人、頭頂に載せた水瓶に片手を添える娘、誰もかれもがひとりにひとつ、偉大な叡智を心に秘めているように見える。
並木のきらめきは水に愛される呪文であり、ゆるんだ敷石のかたりと鳴る音は「振り向くな」という警告である。家並の稜線は舞麦の相場を予想し、渡りゆく雲さえこの街の上空では、茨にいましめられた女神が棘だらけの蛇に変ずる説話を演じながら流れる。
ときには暗合を果たせずに、夕光に縁取られた鐘楼の複雑な輪郭線が、覚者の焦燥をあらわそうとして思い屈するさまを見ることもある。
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◆レルネエⅡ◆
レルネエ人の日常の出来事はすべて、夢分析から派生した手法で分析することができる。
ふとした言い間違いが記念碑に刻まれ、着衣の色合いが犯罪を構成し、部屋の模様替えには許可申請を要する。
そのかわり夜には、定刻に出勤して定刻に帰る、そういう夢を繰り返しみる。
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◆レルネエⅤ◆
レルネエへの外来者が、レルネエで本を読むのは難しい。集中力が落ち始めると、内容以外の意味に内容が埋もれてしまうのだ。レルネエで本を読むときは、月を見上げる要領で読む。
レルネエにおいても月の光だけは静かである。街の影響力から充分に遠くにあるからだろう(太陽も遠いけれども元来静かではないし、見つめるのに適さない)。夜半の街で、いつまでも月を見上げている人は、本を読むための鍛錬をしているのだ。
レルネエの図書館には、照明としてちいさな月がいくつも浮かんでいて、沈黙を含有する光で、読書する人を補佐してくれる。
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◆レルネエⅥ◆
レルネエでの逗留を終えて出立する旅人は、ひとしなみに呆然として歩む。旅路の風景がなんの感興も呼び起こさないせいで。
森でしかない森。道でしかない道。鳥以外のなにものでもない鳥が、たんなる空を飛んでゆくのを眺めるともなく眺める。
世界は落書きのように平板で、意味を湛えるための深さを失ってしまったように見える。レルネエでの日々に、意味に晒されすぎて、轟音が耳を遠くするように心が遠くなっているのだ。
旅人は、穏やかさのない静けさというものがあることを知る。たとえ感情が乾き切っているように思えるときも、不安と虚しさだけは感情であることをやめないのだ、ということを学ぶ。
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◆黙族文字◆
「見慣れない文字ですね。けれどとても美しい…」
「これは黙族、あるいは沈黙の民と呼ばれる者達の文字です。かれらは聴覚を持ちません。この文字は発音されることがない、書かれるだけの文字なのです」
「発音できない文字は、黙読することもできないのでは?」
「いえ、私達だって表情や仕草を読むではないですか。手話というものもある。黙族の言葉は手話を中心とした全身のしぐさで語られるものです。語りはそのまま舞踊でもある。黙族文字は身体の動きを示す象形文字に近い記法です。ですから彼らは、文字で踊ることができるのです」
「ああ確かに、読めはしない私でも、体がうずうずしてきます」
「頭では読めなくても、体は読めてしまうのでしょう」
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◆臨月◆
どこが病院なのだか迷っているうちに予定の時間はとっくに過ぎてしまって、どういう具合に踏み迷ったものかあたりには人の姿も建物の影も見えなくなり、にちゃにちゃと湿った野原にただ電線だけがびょーんびょーん唸るのに急きたてられながらどちらへ行けばいいのかきょろきょろする私の目に笹原の向こうに沼のように見えたものは、近付いてみると窪地に溜まった妙にどろりとした霧で、湯の中でひしめく太腿のようなしろい塊が数をも知れずうぞうぞと押し合いへし合いしているのだった。気色のいい眺めではないが、私の足はなにを思うのか勝手に笹原に分け入っていって、じっとりと濡れた葉に擦って腰から下がびしょびしょになってしまいあたりはずるずると暗くなってゆく。
白ずんだ風がひりひり沁みるのでうつむきながら歩いてゆくうちに、わう、と音がして巻き上がる風に顎を打たれてのけぞると、おお、そろそろと降りてきていた月がすでに手の届きそうなくらいに低く垂れ下がっている。月が、閉じていた眼をくわっと開いたかのように輝きを増すと、空腹な月光がしゃりしゃりと笹を噛む音がそこら中から湧き上がる。
張り詰めて破れそうな月の腹からとろとろとろけ落ちるかに見えるのは節くれだった擬足で、それは霧の溜りの中にまさぐるように挿し入れられて、じゅるじゅると啜り上げる音をたて始めるとたちまち霧はのたうちながら縮んでゆく。
見るまに月の表面には網目状の青筋がみちみちと盛り上がり、側面が耐えかねたように唇のかたちにめくれ上がって裂け目となり、排泄されるようにぬるりと一頭の馬が背中から押し出されてきて、粘液の糸を引きながら地べたに落ちる。
月は反り返りながら狂おしく哭く。
馬は濡れた銭芦毛で月光をでらでらと照り返すばかりで、ぴくりとも動かない。
私の手はひとりでに胸ポケットからメガネを取り出してかける。
あっと思いとっさに眼を閉じる。なにをよく見ようとしているのだ私は。
次に私の体はおしっこを漏らす。股のあたりだけほんわかとあったまる。
ところで帰っていいですか。だめですか。
「電車の切符を買おうとしたらさ、財布を忘れててあせったー。あやうく親友の結婚式をすっぽかすところだったよー」彼は屈託なく笑って言った。
式の後、彼のご祝儀袋を開けてみると、一万九千八百二十円入っていた。
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「まとまっているものは必ずばらばらになる。ばらばらになったものがまとまることは珍しい。
まとまるものよりばらばらになるもののほうが多くて、まとまるための時間よりばらばらになるための時間はじっと短くて済むから、世界はいずればらばらになる。
そもそもどうしてまとまったものがあるのだろう?」
砕けた石盤を復元すると、そんなことが書いてある。
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合わせ鏡の奥に向かって四百七十七枚目の鏡像を発ち、五百六十五枚目の鏡像までやってきました。このあたりではほとんど旅人に出会うこともありません。もっと浅いところにいる人たちの、おぼろな影がゆらいでいるだけ。
だいぶ体も慣れてきたので、あまりひとつところに留まらずに、先に進んでゆけそうです。
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去って行った一日を、遠い異国でたまたま見かける
少しずれた空にあおざめた月がかかる。折れた頬骨を癒すこともなく。
西の岸辺の森は、みずからの吐く息にけぶり、うすく引き延ばされた唸りにふるえ、風を刺し陸を噛む。
夢みがちな海賊が、思い出したくない思い出を売り飛ばしにいく忘却の航路。
値札の付いたわたしは、甲板でこぶしをいたわっている。 いちどだけ月までとどいたこぶしを前歯で噛む。
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昨夜巨きな人が山から出て、田頭から只見沼のあたりまで燐粉に沈めてしまったので、手の空いた者は総出で浄伝寺の縄喚びの黒鏡を持ち出した。堰の水をできるだけ太く綯うと、あやかしの跡を睨める者が先導して、青らんだ道をその水で縛った。
音垣屋の次男坊が農協から帰ってきしなに、結び目に気付かずにバイクごと突っ込んで、大事には到らなかったがその後五日ほど、前触れもなしにびしょ濡れになるので風邪をひき込んで伏せった。
「あれはなんという名前の生き物ですか?」
「あれは、見たまんまの赤ん坊ですな」
「え?え?とても幼い人間、という意味の赤ん坊ですか?」
「惑乱の曠野に赤ん坊を捨てに行ける母親が、おいそれと存在するとは思えませんが。あれが人の子でなく夢幻だとすると、あたらしい分類を設ける必要があるかもしれません」
「泣いてますね」
「泣いてますなあ。誰か人をやりましょう」
「にわかに曇ってきましたね。一雨きそうです。急いだほうが」
「ふむ、喉が渇いて雨乞いしているのかも」
「は?」
「・・・いや、あれは、尋常な赤ん坊ではなさそうですぞ。雲が自分から祝福に来たのかもしれませんな」
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自分がなにかだった頃のことを、思い出すことを思い出しそうになる。
むずかしい思い出し方の思い出。
あっついときとさむいとき。はいっていけそうな大きな瞳孔で見られたり、枝が跳ね上がって雪がぼたっと落ちたりするときに。
心がしゅっと音をたてる。
前にも思い出しそうになったことを思い出して思い出す。
その昔ラズベリージャムに突っ込んでいった唇の荒れたドラゴンだったことなんかを。ドラゴンが昔、いっぺんでもわたしのことを思い出してくれたから、思い出してあげられるんだ。
味がべとべとにいっぱいして。思い出にリップクリームを塗ってあげます。
別のドラゴンが突っ込んでくるとき、ラズベリージャムの気持ちがわかったこと、前にあった。火をいきなり吐くし。体がそっくり返って、心がでんぐり返る瞬間に、ちらっと視界に入ること。
うんと心が速度を出したときだけ見える思い出は、いつも走ってるんだろう。がきって、歯にぶつかってくるくらい。おいしいものの壜の縁ぐらい走ってる。
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_ この頃は、本を読んでもあまりおもしろいと思うことがない。本のせいではなく、私が鈍っているせいなのだが。
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「言葉はなにをしている」「世界とはなに」「現実ってどれ」というテーマ性に惹かれて、たびたび神林長平を手にとってしまうのだが、どうしたことか身に迫ってこない。気になるが積極的に好きではない作家と、自分では思っていた。
最近知人が神林長平のファンになり、我が家の本の山のなかで神林を見かけると掘り出しては借りていく。貸しては返りを繰り返すうち次々出てきて、気がつくと十五冊発掘されていた。この分ではまだあるにちがいない。あまり好きではないはずだったのに、こんなに買っていたのかと我ながらびっくりした。「買わせる力量」も、枢要な作家的資質であろうけれど。
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数日前に古本屋で『絶対永久帰還』を見つけて買った。また買ってしまった。「帰還」という文字に釣り上げられてしまったのだ。
部数の多い『雪風』、『敵は海賊』の両シリーズ以外、神林は比較的古本屋で見かけない。買った人は売らないのだろう。『ラーゼフォン』はよく見かけるが、これは神林ファンでないアニメファンからの出物だと思う。
ところで『絶対—』は今まででいちばんおもしろかった。理由は明らかで、自分の恋愛を彷彿したからだ。言った憶えのあるセリフ、言われた憶えのあるセリフが頻出して、ひと事とは思えない。めまいがした。
恋、そして「帰る」ということ。
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恋愛は、「私はあなたの見知らぬ故郷です」ということを、伝え合う過程だと思う。すべての恋愛がそうではないにしても。
_ 心が鈍っているというのは感覚の帯域が狭くなっている、という感じとはちがう。太陽黒点のように、鋭敏な部分がぱらぱらと散らばっている。ときおり動いたり広がったり消えたりあらわれたりする。そういう感じだ。
そのなかに消えることも動くこともない黒点がある。この黒点に注目して連想をあらためてみると、それはむしろ太陽そのもののように見えてくる。
全天にひとつしかない太陽。
_ 闇のなかのオレンジ。蜜柑色ではないオレンジ。けっして弱まることのないただひとつの関心。
この太陽の輝きが、周囲のみずから光ることのできない星々を明るませている。
_ 光とは物質に「目覚めよ」と呼びかける声。
私の私に関する関心のほうは、この太陽の第三惑星の軌道を絶妙にまわっている(このゆえに太陽は、見かけ上は動いて見える)。
たかいところに登れば。満天の星が見える。ひとつの太陽系に属する、無数の星々が。
そして星と星のあいだには、光を受けとめるものがなにもない闇。
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◆奥行きのある駅舎◆
あてのない旅だから目についた駅に入って、おりよく発つ列車があればそのまま乗り込んで終着駅まで行ってみたり、心にかかった名前の駅で降りてみたり、そういうことをよくやる。
潮騒の近い町で、通り過ぎたばかりの夕立に濡れた駅舎に入ってゆくと、左手の改札口の向こうにふたつのホームに挟まれて上り下り二条の軌道が走っている。それはありふれたちいさな駅の風景なのだが、おりしも通過して行く列車が全面長い黒い羽毛に被われてはたはたはためいて見えたのはきっと、濡れていて揺れていたせいだと思う。
どこの駅もそうであるように券売機の上にこの駅からの運賃が表示された路線図が架かっているのだが、左右いっぱいで書ききれずに、右手の曲がり角の向こうにまで続いている様子だ。折れてみると、色合いの揃わない蛍光灯が二列縦隊で連なる長い通路になっていて、路線図は通路の左壁に沿ってどこまでも伸びている。
奥へ、と、引き寄せられる思い差しがあって先へ進んでみると運賃は550、3280、10250、30800、76940、どんどん上がっていく。駅名にも見慣れない画数の多い漢字が増えてくる。ああ、あれは、帰ることのない生家の床の間に吊られていた読めない掛軸のなかの二文字。
運賃が十万円を超えるころになると、ふいに文字が簡素になり、というより仮名とも漢字ともつかぬ文字ばかりになって、そこを過ぎると点描の濃淡みたいなもはや文字ともつかないしるしが五メートルほど続いたが、やがて手では書けそうにない幾何学的な図形の羅列に変わった。途中壁際の鋲留めされたベンチで、巾着を丸めたような老婆がうつらうつらしているのを見たが、それきり人影もない。
路線図上ではときおり本線より岐れてはもとの線と並行に進み終点に達しては途切れていた分岐線も途絶え、ひとすじの路線だけが折り畳まれたようにジグザグに伸び続けている。天井の蛍光灯の間隔も次第に間遠になって、路線図だけが明るい。読めはしない駅名がなぜか見知った意味をうかがわせる。これは父の名、それは中途半端に果たされた約束の名、あれは削り切って使えなくなった鉛筆の名。
いったん行き止まりに達したかと思わせた壁には場違いに堅牢な金属の扉が嵌まっており、触れるとしゅっ、と息を飲む音を洩らして勝手に開く。
扉の向こうにもやはり路線図は続いており、天井の照明は檻でくるまれた誘蛾灯のような青らんだ光彩のものに変わる。
1550100、1897260、2441150。二百五〇万円台は、見ただけで角膜が切れそうな異様に鮮明なエッジの記号が連なる。続いて錆と黴、そして押し花の記号。
ぽつぽつとだが、自分が名前であることに飽き足りない駅名や、呆気にとられている駅名があって、その駅に降り立ってみたく思う。
こちら側は窓もなく、少し息苦しい。疲れるほど歩いたわけではないが妙に膝が笑う。
するうち駅名から蒸発する薬液が沁みてきて、涙に曇る眼をしばたきながら、瞬きするたびに色が変わる駅名にくらみながら、それでもなお進んでゆくととうとう灯りの列が途切れる。その向こうは壁なのか真っ暗な通路なのか判然としないのだが、とりあえず灯りの終わるところで路線図も終わっている。
路線図の終端に立って見上げると、翅を擦り合わせて叫ぶ虫のような、駅名を兼ねた警告ともとれる刺激を最後に、その駅から伸びる線路は矢印になっていて、矢印に添い「これより先、一律3000000」との付け書きがある。
よし。
三百万なら持ち合わせがある。
音楽家の娘、それも年端もいかぬ娘がにわかに、たおやかに歌いはじめる。教えた憶えはない、聞き憶えもない歌。音楽家は一瞬呼吸を忘れる。
歌は、しあわせでできた土埃のように立ち籠める。視界が霞み、音楽家は自分の頬が濡れているのに気付く。心が追いつくより早く、身体が反応している。歌は音楽家の内部でどんどん大きくなる。彼の身体を聖堂のように使って。「知らなかった。人間がこれほどの音楽を奏で得る楽器であったとは・・・」これまで自分のやってきたことは音楽などではなかったと感じる。音楽家はきっぱり音楽家をやめて、音楽家になる決意をする。「ありがとう。生涯これほどの感動を味わう機会はもはやあるまい」彼は声を震わせ、心よりわが娘に礼を言う。
娘は歌いながら、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの父の顔を見上げる。(自分が人間の父親ではないと気付いたら、次になにになろうとするのかしら、この人は)
父はいっぱいになっている。父の限界を計測して、発声から余分な力を抜く。だいぶ抜く必要がある。
三日ぐらい先のいつものバス停で、未来が立ち止まっている。
肩をすぼめ、俯いている。
そんな未来を見たことがなかったから、ぼくも立ち止まってしまう。
過去はぼくの背中に押し寄せてみしみしひしめく。それでも現在を追い越すわけにはいかないので、透明な壁に吹き付ける雪のように、ぼくを縁取り円く吹き溜まっていく。
夕刻がこないまま、黄昏だけが眉を曇らせ降りてくる。叱ろうか、なだめようか迷っている先生の表情で。ずり落ちたメガネを、中指でなおしながら。
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乾いた眼球の海に、一滴の涙が落ちる。
かすかなひびき。
それはすぐに途絶えるけれど、瞬きの波音がそこから広がり始める。
涙腺の復活が遠洋から岸辺へ、川を遡って湖へと波及してゆく。
潤いゆく水の瞳瞳瞳瞳瞳、ゆらぐ瞳たちに空が映りゆらぐ。
数年ぶりに風に、涙のにおいが混じる。
前の彼のことはチューリップを「チュリップ」と発音したことしか憶えていない。
今の彼はハンサムでいい匂いがする。
彼の家の匂いも私は好きだ。玄関を開ければ、私は嗅覚からセットアップされてしまう。鼻の奥にハートがあるみたいに。
昔のしきたりなんか知らないけれど、彼の物腰は古風だ。どんな仕草も百年繰り返してきたみたいに見える。彼は聴き取れない名前の白人の歌をプレイヤーにかける(ここで「レコードをかける」と言いたいがレコードは滅んだ)。私達はタンゴを踊る。ゆっくりと。
彼の家で電話が鳴ると、ベルの音は魚のように寝室に入ってくる。人間なんて見たこともないから警戒心もない魚のように。魚は窓から出て行こうとして硝子につかえる。窓の中と外に半分こになってぷるぷると震える。臭いはしない。
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「名前は?」と聞くと、「植物です」と答えるから、変わってるなと思った。
「顔色あおいね。気分悪いんじゃない?」「いえ、葉緑素ですから」
「そろそろ歩ける?」「もう少し。あと二億年くらいで」
二億年待つあいだ、いろいろな話をする。
「昼と夜のどっちが好き?」「最近の昼も夜も、あまり好きじゃないです」
「きっと君の好きじゃない昼と夜しか、ぼくは知らないんだろうな。一万日しか生きてないし」「とても好きな夜をひとつ憶えています。まだ付ける花の数が少なくて、いちりんいちりん名前を呼べるくらいおさない頃でしたが」
「君には名前らしい名前がないのに、花には名前が付くものなの?」「ええ、鳥や虫は、花や実や枝や葉陰と付き合うのであって、樹と付き合うわけではありませんから」
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大地は湾曲した断崖であり、ひとつの日付から次の日付へと落下し続ける。
断崖ごと、海も森も都市もうごくものたちも落ちる。おなじ速度で落ちる。風もともに落ちているから音もたてずに。
まだなにも安心していない赤ん坊が、落ちていることに気付いて泣く。別のことで気が散るか、慣れて感じなくなるまで。
宇宙の壁に等間隔で設置された水銀灯のように、底のほうから太陽があらわれてはたちまちのうちに飛び去る。すべてが落ちてきた方角へ。
私達はうちそろって眼を細め、こうべをめぐらせて太陽を見送る。幾度かは目を逸らす。日々のなりわいをいとなむために。
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レーレンドール駅までの空中軌道はほとんど煌めくことのない透明な素材でできており、行き交う列車は空を飛んでいるかのようだ。
支柱までも透明だから、眼下に広がる緑なす広野までの距離感がわからない。そのせいで、漆黒の建造物がひとかたまりになってぎらりと陽光を跳ね返すさまを見ても、それが大きな霊園なのかはたまた小さな都市なのか判然としない。
くっきりとして微細な凹凸のある雲が、窓のすぐ外に浮かんでいることもスケールの認知を狂わせる。遠くの洋上を漂う紫色のにじみ。あれは鳥だろうか島だろうか。
やがて前方に、永遠に未完成の駅舎が見えてくる。だんだんと大きくなるのは接近しているせいばかりではない。
公園のベンチに座る。からっと晴れているから座面があつい。
地面からくしゃくしゃと、萌え出でたばかりの雑草が掻き抱いているほんの少しの暗闇。
その暗闇のなかに四つん這いで視線が潜りこんでいって、ひと休みする。
_ 齢をとるごとにリチャード・ブローティガンを好きになるというのは、なにかに逆行しているような気もする。
ずっと前、まだ晶文社のブローティガンがどこの本屋にも並んでいた頃に、手にとってみたことはある。『アメリカの鱒釣り』は代表作というからためしに買った。おもしろかったけれど、その頃は言葉の上に足の裏を付けて歩くように読んでいたので、「こんなにいきなり曲がったのでは、曲がるばずの角を曲がりきれずに角のたばこ屋でたばこを買ってしまうではないか」と思った。
_ たぶん、高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』がとても好きになって、何度も読み返しているうちに、それと知らずブローティガンを好きになっていったのだと思う。
高橋訳の詩集『ロンメル進軍』を読んでみたら、すでに大好きになっていることに気付いた。次に『突然訪れた天使の日』で、
「「いい出来だ」と男はいった、そして」
という詩に出会った。
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_ 『アメリカの鱒釣り』も読み返した。ぜんぜんちがう本になっていた。それでも詩集のほうが好きだったが。それにもう詩集以外はほとんど品切になっていた。
最近、河出文庫から『西瓜糖の日々』が出て、これは詩集より好きになった。
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昨日、文春文庫の超短編アソロジー『Sudden fiction2』を100円で買った。ブローティガンが一編入っていた。もうタイトルを忘れている。本を持ってこよう。
—そうそう「サンフランシスコの天候」だ。これはすごかった。ブローティガンはときどきドアのないところから出ていってしまう。部屋を出たいから死ぬ、みたいに。この小品も読み終える直前まではドアなんかなかったのだ。
巻末の作者紹介欄を読むと、この作品は「『芝生の復讐』収録」とある。『芝生の復讐』読みたいな。古本屋の店頭でいつか出会うだろうか。昨日はおなじ版元のエイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』も100円だったし、なんとなく会えそうな気。
.
ことの最初から話せっていわれても無理。どこが始まりなんだか今はわからない。まだ終わってないし。
そもそも物語はいつもすでに始まっていて、途中ではっと気付くものでしょう? 途中か、終わってしまったところで。
うん。でも、そうでないこともある。
もう終わらせて、はやく終わらせてと頼んでくる物語もある。そういう物語はむずかしい。終わらせてしまった後に、まだ始まっていなかったことが分かる、そういうことがあるから。
この物語はまだ終わってないから、なにがこの物語を終わらせるのか分からない。終わるのかも分からない。終わらないとすると、始まりもないのかもしれません。
ことによると、「まだ始まったことのないたくさんの物語が始まり方を探しています」という物語が、始まり方を探しているのかもしれない。
わたしは物語の味方をしたいと思うのだけれど、外に出れば犬のおしっこのように、家にいれば猫のおしっこのように臭うばかりで、物語にとってはただのなわばりあつかいです。わたしの頭の中におしっこの臭いで色分けされた、カラフルなマーキングの地図ができてゆく。
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