その村には、家々ではなく漁師が建っている。塩じみた肌に刻まれた深い溝を、さらさらと汗が、肌の色とともに流れくだるせせらぎが聞こえる。
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漁師たちの股のあいだを船たちが行き来しており、船腹を見せてこすり合うのがかれらの挨拶であるらしい、すれちがうごとに舷側を傾けて、ごおんごおんごりごりと接触する。広場の井戸のまわりには船が寄り集まるので、その方角はいちだんと騒々しい。
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船たちの竜骨に学んだものか、このあたりの風には背骨があるので、それを伝って漁師の肩まで這い登ったちいさな海が、並び立つ漁師たちの肩から肩へ、波音たてて跳び移るのを下から眺めていると、親海が空のふりをして見守っているのに気付く。完全に空に溶け込んではいるのだが、目の前を雲が通るときに、子海をみうしなうまいと身動きするので、それとわかる。よほど大きな風の、空まで届く背骨にまたがっているのだろう。むろん風は眼に見えないのだが、風の腰がぎしぎし鳴るのが聴こえてくるようだ。
おさない帝国の皮膜に霧雨がかかる。帝国領のどの角度も、意味のある産毛におおわれている。
すべての産毛が、帝国の表層にべっとり貼り付いてゆく頃、踏み外したような下町の工房ではおもむろに法律が作られはじめる。法を編む内骨格型の織機が、きったんきったんと関節を鳴らして駆動する。産まれ落ちた法律は機音に乗ったまま、拍子を合わせて愛らしく頭を振りながら工房を離れ、さらさらと砂の川のように街路を流れ流れて、おおむね見目のいい条文から順に適用されてゆく。
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やがて雨はやみ、帝国を蔽う産毛が、うぞうぞとそそけ立ってくるのは乾燥のせいばかりではなくて、「朝までに」納期としてそう指示された朝というものがついに、禁じられた直線を予兆として、はるか東方より高速で近づきつつあるからだ。
街の底でおののく矮躯の工員たちもまた一様に産毛に蔽われている。ひとつふたつ近場をよぎり始める光子を、産毛たちが待ち受け、さわらぐ。工員たちはぼりぼりと我が身を掻きむしったり、無闇に四肢を振り回したりして、光を払い落とそうとする。
産毛の群れが、あちらの胸壁こちらの人肌そちらの屋根の上で、中腰になりつつうかがう空の高み、なめらかに湾曲した虚空の生地に、朝の最初の一団がしっとりと沁み込んでくる。
_ 列車に入り込んで座って本を読んでいたら、この街がやって来た。列車を降りて、ながいあいだこの街を歩き回った。
記憶のなかでは移動による時間経過や疲労は省略されているので、想い起こすときには、立ち尽くしているぼくのまわりでこの街が、流動しながら成長していく。
建築物は呆然とすることが目的の植物のように、たんたかたんと組みあがっては、ぴたりと静止する。そのあとはなにをされても黙っている。心はそこにないのだ。宅地を薙ぎ倒すようにうねうねと溝が彫られたときも、家々はみな黙って崩壊していった。溝に沿ってぴかぴかの線路が這いずっていった。北東に向かって。
記憶にながく留まるほどゆっくり動くものたち、そのほとんどは人間だけれども、そういうものたちは盛り上がってくる。ぼくのまわりにみみず腫れのようにもこもこと盛り上がって、網のように重なりあって交差し結ぼれて、しかしすぐには癒着しない。まだ記憶が温かいうちに、それをほどくのが、一種の余暇だ。
_ Parthena [AFAIC that's the best aesnwr so far!]