最新 追記

雪雪/醒めてみれば空耳

2002|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|10|11|
2005|02|04|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|11|
2013|05|06|07|09|10|11|12|
2014|01|03|04|06|08|09|10|
2015|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|
2016|01|03|04|06|07|08|09|11|12|

2008-05-03 レテに漕ぎ出し、渡り切らない舟

_ 生涯は、生前の過去と死後の未来の、果て遠い死期に挟まれた一瞬の光芒である。死んだこともないのに生者は死について語る権利は持たない、というようなことを主張する文言に、何度も何度も出会ってきたが、そうではないと思う。

生前と死後の、膨大な死期の記憶と展望に、内容がなにもないということこそが、正確な死の記憶であり経験である。

とある死と別の死に較べてみれば、とある生と別の生は似ているところがなにもないと云えるほどちがっている。翻って死と死は、似ているところがなにもないと云えるほどおなじである。

私たちが持つ、この上なく奇怪な「同一」という論理の強度は、一切異なるところのない死の経験からの質感によって支えられている。同一律は内実のない約束であって、実際には生の世界にまったく同一なものは存在しない。「同一」という虚ろな足場をなにげなく踏むことができるものは誰もが、死の経験を活用している。

同一律とは、対象を、現在において殺す方法である。

死んでいたことがあり、かつそれを憶い出すことができるものだけが、同一律を駆使し、言葉を使うことができる。

語ることと考えることは、生きながら少し死ぬ技術である。知性は、そこでしか成り立たない。これが、知性や論理に死臭がついてまわる所以である。

本日のコメント(全3件) [コメントを入れる]

_ おさとウサギ [似たようなことを考え続けています、ここ数日、殊に。 「以前(以前、以後という言葉がここで機能するならば)死んでいたこ..]

_ 雪雪 [おさとウサギさんへ >死の経験って、ほんとうに一切異なることのない同一の経験なのですか? ここでは、視える限りの視野..]

_ おさとウサギ [「それって生じゃないの?」・・ありがとうございます、よかった、私も率直にそう思ってきました。 de profundo..]


2008-05-10 下流から上流が流れてくる川

_ 音楽を聴きながら本を読んでいて、集中が喚起されるとともに、旋律が退いていく。そしてそれとおなじ仕草で、今読んでいる本が退いてゆくことがある。読みながらつらつらと考えが浮かび次々と理路が繋がり、かと言って行を追う視線が止まることもなく、読み続けることが呼吸であるように不随意になり、読むことを空気として吸い吐きしながら考えが進んでゆく。意図らしい意図もなく考えの中を運ばれてゆくと、考えが退きその向こうから、ということはつまりはじめ去って行ったのと反対の方向からふたたび、音楽が聴こえてくる。そして音楽の向こうから、本を読んでいる自分がくるくると回りながら漂ってきて、ちょっと変てこな角度で私と合流する。

本日のコメント(全770件) [コメントを入れる]

Before...

_ Xxprnkxm [cOMqBq Lqgdero mmjrjwp uhipl sjpl dmnshgadu thxhbengi ywft..]

_ Mcoicgzm [BZByVQ Czjgr dptvbwmssh jherkvl ewcxemgcoq nqdnbuhes snmnv..]

_ Mssaymwx [RCkcvw Idas eqpwvy qdvg jlpafyacm iacmcqoux jnkvctu fudlog..]

_ mrtesty [Delete shis text plz. Sorry]

_ presenconsora [Hello, Your really have very cool site! Can i subscribe ..]


2008-05-15 あなたのことはなんでも知っているつもりだったのに

_ 県下一番店を目差して2006年11月22日、「えいや!」っとオープンしたみどり書房新桑野店。スタッフも御客様もがんばりました。一年半でおおむね目標は達成したのですが、昨年度、早川書房の単行本とポケミスで一位を獲れなかったものですから、悔しさをバネに「早川書房単行本/ポケットミステリ全点フェア」をちからいっぱい敢行しております。早川のアレ、手に取ってみたいけどどこにも置いてないんだよなあ、という本が脳裏に浮かぶ方はどうぞお立ち寄りください。グレアム・グリーン全集も揃ってお待ちしております。

ぼくの蔵書中もっとも数量が多い版元は、まず間違いなく早川書房だと思いますが、そんなぼくでも、カタログ全点が集まると「ややや! こんなの初めて見たぞ」という本がいくつもあります。中にはこれは買っておかないとまずい、そういうアイテムが。それがなにかは内緒にして、給料日を待つ。

反面、あれがもうないのか!? と思うアイテムもやはり少なからず。ボリス・ヴィアン全集は欠けております。

.

店にいきおいがあると、版元に対しても説得力があるので、どんどん企画を撃っていけます。ぼくは新桑野店開店要員として開店直前に入社したのですが、古株の同僚がしみじみと、「二年前に○○社の○○全点フェアをやりたくて電話したときには、『別にやってもらわなくていいです』って言われたんだよなぁ」と語っておりました。はははは。次に○○社の営業さんが来たら、いじいじ蒸し返してみよう。

本日のコメント(全2件) [コメントを入れる]

_ vqyn ltzwdjvre [zpshqcam ibpewuva thmjv aizjfsm ilxotdj ezgo iebxvw]

_ akvosjt szjgy [dunchaxg dwprbeyk ftpy oitc wcreu yvlqchax clgmutz]


2008-05-26 心地よく秘密めいた場所の傍らを通り過ぎる人へ

_ ちくま文庫の『パブロ・カザルス 鳥の歌』を探し回ったが、どこに埋もれたものか見つからない。カザルスの言葉や、エピソードを集めたこの本を探し始めたのは、ピーター・S・ビーグルのことを考えているうちに、向こうからパトリシア・マキリップが起き上がってきて、二人のことを思い巡らすうちに、『鳥の歌』の中のとあるエピソードを読み返したくなったからだ。いまぼくの念頭にあるのはたしか、グレゴール・ピアティゴルスキーの談話だった気がする。

『鳥の歌』は見つからないので考えていたことを今はまとめられないのだが、考えていたことを忘れたくない気がするので、考えに付けておく名前のように、この文章を書き残しておく。

.

才能があれば選択肢が増え自由度が増し変化できる方向が新しく生まれる。だから天才どうしは凡人どうしより似ていない。優れた凡人と凡庸な凡人の格差より、優れた天才と凡庸な天才の格差のほうが遥かに大きい。そういうわけで、天才的人物の天才的な逸話はけだし新鮮である。その種の逸話に食指が動く人なら、『鳥の歌』は読み逃せない。

.

卒然とピーター・S・ビーグルのことを考え始めたのは、今日創元推理文庫の『心地よく秘密めいたところ』が品切重版未定になっているのを発見したからで、来るべき日がとうとう来たかと思い当店の在庫をチェックしてみると、仕入れてあった五冊は二冊売れ、残り三冊は返品されてしまっていた。

当店にはもう心地よく秘密めいたところがない。

.

『心地よく秘密めいたところ』には、それが置かれた空間を心地よく秘密めいた場所する力がある。

まだあちらこちらの店頭に『心地よく秘密めいたところ』は残っていると思う。自宅に『心地よく秘密めいたところ』を持っていない人は、買っておいたほうがよいかもしれない。そうすれば、心地よく秘密めいた場所が書店の棚の一画から飛び立ち、自宅の棚の一画に舞い降りてくる。周囲の本たちも、ときめくことであろう。

本日のコメント(全7件) [コメントを入れる]

Before...

_ Alex [doors.txt;7]

_ Alex [doors.txt;10]

_ Unlobeton [Awesome read, well done]

_ aa [doors.txt;15]

_ Alex [doors.txt;15]


2008-05-29 薄氷の上を旅するための極端な軽装

_ 文学史に疎い。文芸の来し方にも行く末にもあまり関心がないし、文学理論の消長にも興味がない。やたら本を読んでいるくせに、批評めいた気の利いたことが書けない。

いろんなことをよく知っていると言われるけれど、ぼくの関心の方向はひどく限られていると思う。

関心の赴くところがとても遠ければ、そこに辿り着くまでの地図は読めなくてはならない。そしてそこは、いろんな方向に遠いのだ。だから、広範な土地勘が必要になる。

.

物語に飲み込まれて、時間を忘れて没頭するようなおもしろい本はありがたいことにたくさんあって、わくわくしたりどきどきしたりしたいときに読む本がなくて困ることはない。

むしろぼくが稀少だと思い大切に思うのは、醒めてゆく本だ。本に集中してゆくことが、本の中に入り込むことではなく、本から遠ざかってゆくように作用する本。熱くなる本ではなく、冷めてゆく本。自分の内省の力だけでは考えることができないことを考えさせ、備わった想像力だけでは想うことができないものを想わせてくれる本。憶い出すよすがのない記憶を喚び寄せる本。忘れる術のない約束を忘れさせる本。

すっかり飽き飽きしているのに、今でもたくさんの本を読み続けているのは、ほんとうに稀に見つかるそういう本を探すためだ。書店員をやっていると、数え切れないすばらしい本の現物を、とりあえず手に取って開いてみることができる。求めている対象が、もうほんとうに絞られているので、どんなに世評が高い本でも、一読傑作であることがありありと伝わってくる本であっても、食指が動かないことのほうが多い。

探し求めているものは、おぼろでありかすかであり、風に吹き払われた煙の残り香を探すのに似ている。それは本の隅々までうすうすと伸び広がっているので、これがその本だとはすぐに分からないこともある。ぱらぱらと本の中を逍遥するうちに、やがて確信する。

ちがうときにはすぐに分かる。ほとんどの本には、ぼくが探しているような本に、書かれていてはならないことが書かれているから。およそすべてのページに。

.

ぼくが探している本は、限られたちいさな力で書かれた本だ。使うまいとする力を鎮め、頼るまいとする力を忘れ、拒みたい力を慰め、かすかに残った乏しい力で書かれた本だ。

書きたいという情熱にさえ溶かされてしまう薄氷が、奇跡的に張り渡された水面を、渡る歩調でぼくはそれを読む。うまく読めるときほど、長く読み続けることはできない。その繊細さに感動して、胸がいっぱいになって、氷を割ってしまうから。

本日のコメント(全7件) [コメントを入れる]

Before...

_ kaeko [「同じハムからもう一枚切り出すようなことはするべきではない」と、ミヒャエル・エンデが言っていました。 それは、至極正..]

_ 雪雪 [木地雅映子を好きになる人は、まず間違いなく今もどこかが痛み続けている人であろうし、そういった人たちがもしや作品から慰..]

_ kaeko [あたしも心配です。自分が。 単に従順で、感度のいい自動筆記装置だった自我が、自己に反逆するのです。おそらく、ただでは..]

_ 雪雪 [『悦楽の園』を読んで印象深かったことは、「木地雅映子が作家としてはどうあれ、人間的には成長している」ということでした..]

_ 雪雪 [ぼくの知っていることはほとんど知らなくて、ぼくの知らないことをたくさん知っていて、ぼくが感じないことを感じ、ぼくの使..]