_ 5/24の「決心」を書いたとき、ディーン・R・クーンツ(現在の筆名はディーン・クーンツ)を思い出した。
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最初に『ファントム』を読んだ。評判通りの王道エンターテインメントで、読んでいるあいだはたいへんどきどきした。なんだかひりひりしたものが残ったけれどかたちの定まらない印象で、それが「残った」と自覚したのはあといくつかの作品を読んでからだ。
『雷鳴の館』『邪教集団トワイライトの追撃』『トワイライト・アイズ』『ミッドナイト』。
ひどく魅きつけられた。ストーリィのおもしろさ以上に没頭した。『雷鳴の館』などは、ひどい状況のときに読んで、「この現実を、読んでいるあいだだけでも忘れさせてくれてありがとう」と言いたくなった。外づらはごく単純なジェットコースターノヴェルなのに、なにがこんなに身に迫ってくるのだろう?
読み重ねるほどに、ひりひりはかたちを成した。この人はおそらく子どもの頃に、心が壊れそうなくらい悲しい目にあったのだ。問題は、父親だろうと。
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クーンツは結婚し子どもをつくるとき、「あの父親の遺伝子を残していいのか。そして自分はあの父親とちがう父親になれるのか」、そんなふうに苦悩したことを、その後知った。
彼にとって書くことはリハビリなのだ。主人公の陥る苛酷な状況と、取って付けたようなハッピーエンドはバランスを欠いて強迫的だ。それは「家族を守りたい。頼むから守らせてくれ」というクーンツ自身の願望の発露であり、読者に対する「どうか家族を守る人であってください」という抑え難いメッセージなのである。だからいつもおんなじなのだ。テクニカルな要請でないタブーを持つ彼は、巷間語られる職人作家の名に値しない。
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クーンツは自分自身で承認できる父親になれたのだろうか。あるいは父の死が解放と転機をもたらしたのか。いずれにせよひりひりしたものは次第に薄らいでいった。それにつれ読まなくなったが、彼と彼の家族にとってはさいわいだと思う。
近作は説教臭があって・・・・、と知人に聞いたが、心の整理がついてかえって言いたいことが迷いなくナマのまま出てきているということかな。
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(山田正紀のデビュー当初も、ひりひりしていた。不幸だったのかな、と思う。結婚したあたりから、作品の質は落ちていないのに、ひりひりしたものから芯がなくなった。世界に対するうらみつらみが衰えたのだろう。その頃から、全作品を刊行と同時に買う作家ではなくなったけれど、氏にとってはさいわいだと思う。結婚が原因かどうかは知らないけれど。)
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クーンツでは、ひさびさに読み返したらどう思うか不安だが、『トワイライト・アイズ』の第一部が好きだ。月の光にえぐられるようで。あの締まらない第二部さえなければ、と言いたくなるところだが、相手がクーンツだけに許してしまう。
_ ポプラ社の本の奥付には担当編集者の名前が書いてあるので、『八本脚の蝶』でご縁のあった斉藤尚美さんの名前を別の本で見つけて「よし、応援しよう」と思うこともできる。これはすてきな造りだなーと思った本の編集者をチェックして、後から「あ! これもあの人か」などと思うこともできる。
ふつうは編集者の名前なんか書いてないか、せいぜい編集部の代表者の名前が書いてあるくらいだ(哲学書房の中野幹隆さんのように社長が編集もやってる場合は例外だけど)。
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斉藤尚美さんにはじめて会ったとき自然に本の話になって、ぼくはまだ「奥付に編集者の名前が書いてある」なんてことには気付いてなくて、だからなんの下心も他意もなく「ここ数年で読んだ本のうち、一番好きな海外小説は『ガブリエル・アンジェリコの恋』です」と口を切った。すると「その本、わたしが担当したんです、私も大好きなんです」斉藤さんは今も忘れ難いすばらしい笑顔になって「うれしーい!」と言った。
きっかけは自分なので恐縮だけれども、斉藤さんの気持ちを想像すると「これはうれしいよなあ」と思って、こちらまでうれしくなった。
『ガブリエル・アンジェリコの恋』ができあがるまでの裏話や苦労話を聞かせてもらって、それは本来作品の内容とは関わりがないのかもしれないけれど、やっぱり関係があって、次に読み返すときに、またあたらしい『ガブリエル—』が読めた。
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本造りに関わる担当編集者のがんばりの比重はけっして小さくはないと思うので、編集者としては「あれは自分の造った本」と内心思っていると思うし、それは不当ではないし、「良い本をつくるぞ」と思っている人ほど、ポプラ社の編集者をちょっとだけ羨ましいと思っているんじゃないだろうか。
ぼくの知る限りブロンズ新社とBL出版の本も編集者の名前が奥付にある。必ずかどうかはわからない。みんなそうすればいいのに、と思う。
他にもあると思うけど、隈なくチェックはできないのでごめんなさい。
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_ 昨日の話の流れでBL出版のフランソワ・プラス『蒼穹のアトラスⅠ・Ⅱ・Ⅲ』を棚から引っ張り出しました。このシリーズには編集者の名前はなかった。
一冊2800円で三巻。現物を見ずに購入するのはつらい価格帯ですが、書店店頭で見かけたことはないので、おそらく届くべき人の手にはほとんど届いていないと思うのです。で、紹介したい。
申し上げておきますが、万人には薦めません。
異界紀行文、幻想旅行記、架空博物誌の類が好きな人。それも筒井康隆『旅のラゴス』、澁澤龍彦『高丘親王航海記』、荒巻義雄『(山尾悠子が高校時代むさぼるように読んだという)時の葦舟』、『神聖代』、山田正紀『宝石泥棒』、椎名誠『アド・バード』、井辻朱美『風街物語』、イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』、クライヴ・バーカー『アバラット(作品の一部と云える作者入魂の膨大なイラストが削除されているから文庫で読んじゃダメー)』、ルネ・ドーマル『類推の山』、シャルルマーニュ=イシル・ドフォントネー『カシオペアのプサイ』、ジャック・ヴァンス『魔王子』シリーズ、スティーヴン・ミルハウザー「東方の国」、ウィリアム・バロウズ『シティーズオブザレッドナイト』の「シティーズ・オブ・ザ・レッドナイト」の章(長編の中の一章だが外せない)、ジェフ・ライマン「征たれざる国」、ロード・ダンセイニ「ヤン川の舟唄」、H・P・ラヴクラフト「白い帆船」あたりからクラフト・エヴィング商會『クラウド・コレクター』とか井上直久『イバラード物語』、佐藤明機『ビブリオテーク リヴ』、古屋兎丸『Marieの奏でる音楽』、小田ひで次『クーの世界』、西岡兄妹『この世の終りへの旅』、弐瓶勉『BLAME!』、たむらしげる『ファンタスマゴリア』、『ダーナ』、クヴィント・ブーフホルツ『見えない道のむこうへ』、ジェームス・ガーニー『ダイノトピア』、レオ・レオーニ『平行植物』、(紛れ込ませちゃえ)『帝国少年』(早く単著を出して!)あたりまで、見境無く好きな人にお薦めします。
(こうして書き並べていると、それだけで風光明媚だなあ。好きなので際限なく出てくるけれども、これぐらいにしますw 本題本題)
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_ 『蒼穹のアトラス』は、アルファベット二十六国誌の副題どおり、Aのアマゾーヌ郷からZのズィゾートルまで、二十六の架空の国への旅行記です。プラスの絵は安野光雅ふうの水彩画ですが、もっとパースにこだわりのある見晴らし重視の画風で観光性は抜群。思わず深呼吸!の、いい景色満載です。
一話終わるごとの見開きにキャプション付きで、衣類や風物のちいさな図版がごちゃごちゃ。「雲地図」、「ミイラの屍衣ですっぽりと包まれた城塞」、「氷山の下で牧草を食むクジラたち」、「瞑目殿へ赴く都市参事会役員を先導する『灯篭頭の地下先案内人』」、「透明石膏は月の光と双子の関係にある光を創り出す。だから鉱脈内から運び出す前に覆いをする必要がある」、いいねえ、涎出てきませんか?w
この本の売りは絵です。文章のほうは、YA層を意識しているのでちょっと緩い。情け容赦なく訳せばボルヘス風? というのは褒め過ぎですからさっくり割り引いて聞いてください。でも、ぐっとくるところも散見するので、各国ごとの表紙である絵地図の下に添えられた断章をいくつか引用してみます。
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ピエール岩砂漠列島の住民によれば、この砂漠は一人の巨人の落下によってできあがったという。巨人の遺体は、砂漠の土砂にぶつかってこなごなに砕け、何十億もの岩や小石となって散らばった。巨人の歯からはカメ族が生まれ、爪からはヒト族が生まれた。巨人は、カメ族には砂漠での生活に必要な頑固一徹の精神を授け、ヒト族には道を探索しさすらい歩くのに必要な、しかし保存のきかない知識を授けた。
大きく湾曲して流れるルージュ河のむこうに、「百王の王」が君臨する領土が広がっていて、いろいろな民族が支配下におかれている。王は、動物どもの話し言葉や心の内を理解することができ、また、自分の王国が、よその国にとって謎と神秘に満ちた近寄りがたい国でありつづけるよう、たえず気を配っている。
すべてが太陰(月)信仰に捧げられたトログロディット文明は、大地震によってたちまちにして崩壊しさった。以来、その文明の遺跡は、永い年月を経た今日もなお、墓の盗掘人や骨董愛好家たちを惹きつけてやまない。だが、イポリット・ド・フォンタリッドが出現するまでは誰も、「陽の目隠し」祭りの秘密を明かした者はなかった。
ヴェルティージュの空に、そのころ、数晩ほどつづいて彗星が出現していた。おおかたの市民にとって、それは不吉のきざしであった。そこで、谷間深くの下ノ階(きざはし)町では、ある狂信的な教団が結成され、緊急の事態に立ち向かうことになった。教団が目標としたのは、都市の基盤を支える「奈落の底力石」を探し出して撤去することだった。それは同時に、都市全体が壊滅することを意味していた。
たくさんの隊商の通り道が集中する交叉路の周辺には、かつてクシャ-リン商国が栄えていた。いかにも、商人の掌の中で硬貨が立てる音を連想させる名前だ。ところが砂漠から吹いてくる風が国土を干上がらせ、街々はさびれてしまった。いまやもう、かつてのクシャ-リン商国のあたりで取引される商品といえば、形を持たない物だけになった。すなわち、語り物という商品である。
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いやー、ぞくぞくしてきましたねえ。目次の各タイトルにも、あらすじを暗示するように短いフレーズ群が添えられていて、詩的です。棚に本を並べる気分で抜粋して並べてみます。
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時計塔の建設・気まぐれな縁日・言語大臣の蝶・壺被りの隠者・写本彩色室と女地図絵師・流水観測局と静水観測局・葦草斜体・色ちがいの両目をしたシャーマン・逆さに降る雨・香料船団・海洋庁まえの広場・古種発酵パン・夢見僧の行進・足花押文化・石三つ心霊導師・宇宙形態学会・いにしえの編み下げ髪・樹の道らしきもの・夜警塔・眠る百万の戦士たち・遠いかなたの青色
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うん。これくらい餌を撒いておけば、買うべき人は買うであろう。ぼくは三巻迷わず買いましたが、高いので自己責任で。
_ (あ、そうそうBL出版さん、一巻がほのか〜にですけどかび臭いので、倉庫を除湿してください。お願いします)
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_ 佐藤明機は今も佐藤明機事務所の名でゲームコミックなどを書いているそうだが、心細い。
ほんわかした絵柄は好みが分かれるかもしれないけれど、ごちゃごちゃしない丁寧な細部の書き込みと、浮遊感のある手練の遠近法によって描出される世界の「住み心地」のよさは抜群であった。
個人的な観点では、ローレンス・アルマ=タデマ、(フリーハンド時の)士郎正宗、帝国少年と並ぶ、四大遠近法魔法の使い手である(母集団がひどく偏っているがw)。
いくら好きでも、行ってみたくはない異世界は数多いが、佐藤明機の月の出町2丁目には行ってみたい、住みたい。メインランド中央図書館をどこまでも旅したい(これを実写化したら、ホグワーツが人々に、「これが魔法学校のスタンダードなイメージだよ!」という魔法をかけたように、バベルの図書館と並ぶ「夢のような図書館」のスタンダードイメージになるだろうに)。
まとまっていない作品がまだまだあるはずだから、入手不可の既刊本とともに、刊行を熱望してやまない。
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_ 空間知覚の能力には男女差があるというが、絵やマンガを見ていてもパースペクティヴの快感に淫しているなあ、と思わせる表現者は男性ばかりである。
遠近法の多様な効果を自覚的に、そして高いレベルで駆使している女性マンガ家は、ぼくは一人しか思い当たらない。『エルナサーガ』の堤抄子である。唯登詩樹先生の薫陶よろしかったのかもしれない。そのパースへの走性は、孫弟子の浅野りんまでは受け継がれなかったようだが。
あくまで傾向であるが、男性マンガ家が熟達してくると、背景と細部のテクスチャに凝り始め画面が黒っぽくなり、対して女性マンガ家が熟達してくると、背景や細部が脱落して白っぽくなる。感覚が洗練されて心地よく見えてくるものが、微妙にちがうのだ。
空間の男、線の女。そして男は面を空間寄りに見て、女は面を線寄りに見る。ジオラマやフィギュアがもっぱら男の世界であるのは、このことであろう。
男がどうの女がどうのとひとからげに言うのは安易だが、ひとからげに言わないといたずらに話しが長くなるので許してください。
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_ 遠近法の魔法と言えば本城直季の初写真集『スモールプラネット』(リトルモア)が出ている。その新鮮な映像は、「本城スタイル」と呼称されるほど見る人を驚かせたわけだが、同種の技法を駆使する写真家は同時多発的に世界中に出現していて、本城スタイルに加工するソフトを作ってしまった人もいるし、いずれ蔓延して当たり前のものになりそうだ。
形態形成場なんてものを持ち出したくはないが、なにかに「初めて出会って驚く」にしても、世の中に蔓延する前に出会うのと蔓延してから出会うのとでは、(当人が初めて出会うぶんにはおなじことであろうに)微妙に驚きの質がちがうのは確かである。これは神秘的なことではなくて、なにかに出会ってインスパイアされた人たちが、その影響で感じ方が変わったり、言えなかったことが言えたり、その印象を間接的に別のジャンルの作品に応用したりすることで、直接出会っていない人の鼻にもすでにそのにおいだけは漂っているということだと思う。未知のものが、出会わないうちにも少しずつ既知になっているのだ。
だとすると、魂を揺さぶられるほどの衝撃を受けるためには、ふだんはアンテナを下げて視野を狭くしているほうがいいことになるけれども、しかしそれはやはり一理しかない。それというのも、あることを知ったうえでないと驚けない驚きというものが無数にあるからだし、「これほど知っているというのに既知では応対できない未知があった」という驚きは既知が大きいほど大きいからだ。
話がすっかり逸れたけれども、そういうわけで本城直季をまだ見たことがない人は早く見るといいよ。
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_ 昨日の自分の文章を読み返して、どうしてフェルメールを加えて五大遠近術師としなかったのかな、と思った。フェルメールが入ればグループとしても箔が付くのに。フロイト的父殺し?
そうではなくて、あのとき念頭にあったのはJ・J・ギブソンの『生態学的視覚論』で、視る者に動感をアフォードしてくるある特定の不変項と可変項について考えていたのだった。視線が画面と連動して動揺するような遠近法から、人間の視知覚の構造についてなにか新しいことが抽出できそうな気がしているのだ。(あの四人とはちがって、フェルメールは止まって見る絵なのだった。)
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特にアルマ=タデマは謎めいている。非常にシャッタースピードの速いスナップショット風で、画面は完璧に静止しているのに、時間とはちがう「経過」がアフォードされてきて、歯が浮いて噛み合わせをふにゃっと空振りするような動感がある。
6月3日にタイトルを挙げた『ダイノトピア』のジェームス・ガーニーが、アルマ=タデマをとても好きだということは、表紙を一見すれば分かる。構図もモチーフも色彩の配分もアルマ=タデマ得意のパターンだ。そこが『ダイノトピア』の好きなところでもあるがしかし、あの魔法のような遠近法は、残念ながら当然ながらまったく再現されていない。
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この辺のことを考えていて、遠廻しにくすぐられるものがあったのが、古谷利裕さんの『偽日記』(6/4)のインスタレーションに関わる以下の文章で、
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<展示では、出来るだけ多くの作品を見せたいと思っているのだけど、(これもドローイングを描きつつ実感として思ったことなのだけど)「線」は、「色彩」や「形態」以上に、互いに干渉し合うことによって意味をもつ(生きたり死んだりする)という度合いが強いので、作品のフレーム(作品というひとつの「まとまり」や「秩序」)を超えて干渉が起こりやすいのではないかと思う。ぼくは常々、展示によって良し悪しが左右されるような作品では駄目なのだ、と言っているのだけど、ドローイングの場合、展示の時にタブロー以上に、作品同士の干渉に気を使う必要があるようにも思う。(不用意に並べると意味を打ち消し合ってしまう。)線というのは非常にデリケートなもので、それに比べると色彩は随分と鷹揚であるように、最近のドローイングの仕事をしつつ思う。今のなんとなくの目標のひとつに、色彩と同じくらいに鷹揚な線がひきたい、というのがある。>
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ああ、線に長けた人のマンガを見ていて、ページ上に近接してコマ割りされた画の配列がうるさくなってくるのはそれか、と腑に落ちた気がしたが、これはもう一段か二段落ちてくれるといろいろなことに繋がってきそうな気がしている。今日は繋がんないんだけどね。
散漫だけれども未来の自分のために備忘しておきます。
◆殺しても死なない◆
妻が二番目に産んだ子どもは母だった。
初めてだっこした長男が頬擦りしながら赤ん坊に耳打ちしている。なんと言ったか聴き取れないが、察するところ「兄妹さけ、めおとにゃなれんのう今生では」ぐらい言ったと思う。
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「現在は過ぎ去るよ。でも永遠はけっして過ぎ去らない」
_ 雪雪 [☆SILKさんはじめまして。 『待つこと・忘れること』さいわいにも(あるいは不運にも)知りませんでした。絶版のようで..]
_ SILK [これからここに書くことも、おそらくはあなたのおっしゃられるその不安のなかで書かれることでしょう。 けれども、もしかす..]
_ SILK [モ−リス・ブランショ 著 平井照敏 訳 『待つこと・忘れること』 思潮社 1966 *白水社より『最後の人/期待・..]
_ 雪雪 [☆SILKさんへ。ご返答とともに『待つこと・忘れること』 の刊本についてのご教示ありがとうございます。 ところで..]
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_ 恩田陸の『六番目の小夜子』が、第三回ファンタジーノベル大賞の最終候補作として、文庫オリジナルで刊行されたのは1992年のことだ(現行本は再刊された加筆訂正版)。ぼくが丸善にいた頃である。
謎めいた導入も、読んだ人はけっして忘れないであろうあの中盤のクライマックスも印象深かったけれど、なにより、その遠い呼び声のようなノルタルジアに心を掻き乱された。自分が忘れ難く思い、しかし言い表し難くも思っていたなにかに触れてくる気がした。もっと書いて欲しいと思った。
POPを付けて、常時平積で売り続けた。
二年後『球形の季節』と『不安な童話』が出てほっとした。『球形の季節』は、こういうものを書いてくれないかなと思っていた、まさにそのものだった。恩田陸の代表作だとは思わない。作品としては『六番目の小夜子』より落ちる。でも個人的にはこれを待っていたのだ。
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その後、恩田陸はまだOLを続けている、という記事があり、新しい本は出なくなった。このまま消えてしまいそうでやきもきした。『六番目の小夜子』の向こうに『球形の季節』があり、そしてその向こうにあるものを、いつか書いてくれるかもしれないから、覚悟を決めて作家になってもらわねば困るのだ。既刊三冊では『六番目の小夜子』がもっとも広範な読者層に訴える魅力があると思ったし、仮に『球形の季節』がなかったとしてもやっぱり大好きな本だったから、地道に売り続けた。
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ついに版元に「増刷予定がないし、客注対応分を残さなくてはならないから、そんなに出せません」と言われる日がきた。そんなこと言って安易に断裁するくせにー。「とにかく出せるだけ出してください」
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手許に残った数十冊がじわじわと売れて、残りが四冊になったとき、ストックに仕舞い込んだ。この時点ですでに版元では品切になっていたから、日本最後の四冊くらいは、じっくり「絶対好きなはず」と思える人の手に渡したいと思ったのである。
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_ あるとき高校生くらいの女の子がやってきた。『六番目の小夜子』を友達から借りて読んで、とてもとても好きになって、すぐ注文したけど品切で、貸してくれた女の子に譲って欲しいと頼んだけど「わたしも大好きだからだめ」と言われてしまった。でもその友達が「仙台にいたとき買ったんだけど、そこの書店すごく応援しているみたいだったから、まだあるかもよ」と教えてくれたので、一冊の文庫本のために遠方から旅してきたらしい。
確か最後の一冊が残っていたはず、ただし同僚が売っていなければ、というタイミングだった。あってくれよと祈りながらストックを開けたとたん、女の子は「あっ!」と声を上げて指を差した。たちまち両目から涙が溢れ出た。奥の方に一冊、白い背のてっぺんに赤いラインのカバーが見えていた。「ありましたね。よかった」手渡してあげると「あったぁぁ」とふにゃふにゃの口で言った。
女の子はレジで精算すると、しっかり本を胸に抱いて帰っていった。ほんとうに嬉しそうであった。海千山千の仲間達もこのときばかりは、「本屋っていい仕事だなー」という顔をして、しみじみ見送ったことであった。
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_ 1997年、『三月は深き紅の淵を』と『光の帝国』が相次いで出た。やがて恩田陸はOLをやめてがんがん書き始めた。そう、そうでなくては。(OLがいけないということではなくて、こちらの都合です)
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_ 去年、「雪雪さんのことではないか」東京に住む友人が、恩田陸のインタヴューが掲載された雑誌を送ってくれた。ああ、見つからないよ。どこかに埋まってしまった。ごめんなさいYさん。ありがとうYさん。
ぼくの頼りない記憶ですが「仙台の書店員さんが、『六番目の小夜子』を応援してくださって、たくさん在庫して、品切になってもずっと売り続けていて、マニアははるばる仙台まで買いに行ったという」話を恩田さんは(きっと)たいへん嬉しそうに話していらっしゃったはずです。
めぐりめぐって御本人まで伝わっていたんですね。ちょっとでも励みになったならなによりです。
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_ ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた』の中の、「リリオスの浜に流れついたもの」を読む。
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カミナンテ。それはユカタン半島の延々と続く波の荒い海岸を、一生さすらい歩く旅人たち。海辺に住む老いた主人公は、通りすがりの若い白人のカミナンテと話す。
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《「古くからの旅人(カミナンテ)に出会ったことは?」
「いまはみんな年をとって、二、三人しかいませんね。隠れ星(ヒドン・スター)のスミス—本名はエストレジャ・エスティコンダ・カマル。カモル、カモール、それはこの国のスミスに当たるありふれた名前です。最近の彼はパハロスの近所を歩くだけ。あとは虹を指さすな(ドント・ポイント・アット・レインボウズ)ぐらいかな」
「え、なに?」》
虹を指さすな。すてきな名前。誰かか何かに付けてあげたいと思う。
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《「前にもあの流木の横で眠ったことがあるんです」》
若い旅人が、果てしない海岸線のなかのひとつの流木を、まるでランドマークのように口にするのがおもしろい。戦場に紛れ込ませた死体を言い当てる探偵のように。
この流木が波にさらわれ、流れ流れて、遠く離れた浜辺でこの旅人に出会うところを想像する。
旅人「この流木の横で眠ったことがある」
流木「この人間の横で眠ったことがある」
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世界中でたったひとりの人にだけ思い付かれ、忘れるまで思われ、忘れられたときにまた別の誰かに思い付かれ、どこまでも流れてゆき、誰かから誰かへと心伝いに思い付かれていく思い付き、ということを思い付く。
二人の人が同時に思うことが許されない思い付きの物語を書いてみようと考える。これはすばらしい物語になりそうな気がする。物語のまわりに細部が、駆け足で寄り集まってくる。裸木に葉が群がるように。
そうして物語がかたちをなしてくるにつれ、ぼくはすでにこの物語が書かれていることに気付く。読んだ憶えがある。
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穂村弘の『いじわるな天使』を取り出し、開く。半年ぶりに「ユニコーン・イン・シュガーキューブ」を読み返してみる。水面に浮かぶ流木が、ぼくの頭にこつんとぶつかる。前に触れたときとはちがう角度で。
ぼくはほんの3ページの「ユニコーン・イン・シュガーキューブ」を、半年前に読み始め、ずっと読み続けていて、いま読み終わったように思う。読み終わったときのぼくは、「リリオスの浜に流れついたもの」を読んだことがあるぼくに変わっているので、傑作だ、という感想を持つ。
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たったいま、「ユニコーン・イン・シュガーキューブ」のことを考えている人から人の、心から心を伝って旅していけるような気がする。誰かがぼくを通り過ぎていった気もする。
いま通り過ぎていった人には、虹を指さすなの名を授けてもいいです。もしも会う機会があったら、そう名乗ってください。
_ 書けなかったことがとうとう書けそうなとき、なにも書けなくなる。
挫折すると、また書けるようになる。
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つまり、書きたい欲望が空転してなにも書けないときが、絶好調である。
絶好調のときがいちばん苦しくて余裕がない。そしてひどく鈍感になる。ごく限られた帯域の、ほとんど認知する機会がないことにだけ、絞り込んだように鋭敏になるから。
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_ 生とは死ねば治る病である。
ならば神であることは不治の病であろう。
と、誰かが言うとする。
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「それは誤解だ」と言おうとして言えずにいる逡巡こそが神だ。
告白しようかどうしようか迷っているすべての状態の総計が神だ。
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神のいない世界があれば、そこに迷いは存在しない。
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(と、言っていいものかどうか)
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