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雪雪/醒めてみれば空耳

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2003-07-01 叙景集

_ 261

そのことを知るためにはそれを読むしかないという一節を含んだ本が、その人に読まれるしかないという人の通りすがりに、その接点が生む未来からの力を根限りにあつめて、その人の足許に落下しようとしている。


2003-07-02 叙景集

_ 262

迷宮の婚約者は、「月光の一歩うしろの夜」と名乗った。ねじれた唇で。

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_ 263

お昼休みだよ。

屋上のフェンスの下から脚を投げ出して、縦棒のあいだから顔を突き出して、折り重なる家並みを眺めて。

窓のない大きなペールグリーンのビルディング。見たことなぃぞぅ。いつできたのだ?

チャックからはみだしたワイシャツのすそみたいな、まっ白い巨大なぺなぺなが屋上から伸び上がっていて、端のところがふるふると風にふるえている。

見た目はまんまティッシュの箱だけど、そんなはずないから。

考え込んでいるうちにあやうくお弁当を食べ損なうところをたすけてくれたこと忘れないよ。食べ終わるまではぜったい。

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_ 264

「そのむこうにあるもの」を見つけなければならない、っていうけどその「その」ってなんだよ。見当もつかないよ。

そんなふうにぶつくさ言ってる犬について夢想している川を、当の犬の死骸が流れていく。

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_ 265

死んだ母が、おさないころぼくに、「あなたは眼を閉じたときにだけ見えるものを大切になさい」と言った。

言われたことさえ忘れていたのに、ふいに思い出した。

眼の見えない女の子への、プロポーズの言葉を考えているとき。


2003-07-06 今 ぼくの目の前で

_ 降ることを忘れた雨が

中空で途方に暮れている

はんぶんは雲であるまま

もう雲にもどることはない

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下界では濡れることを忘れた舗道が

意味不明のわらべ歌のように

「しとしとしと」と

口ずさんでみたりしている

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待ち切れずに落ちた木の葉ができるだけ宙にとどまろうとして

右から左へ

そしてそのいきおいで右へ

空気の坂を駆け上っている

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ざわめく街は津波の直前に引く潮のように

うごくものもうごかないものも

けはいとともに

遠ざかってゆく

.

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世界の進行を遅らせている

なにか張り詰めたもの

.

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雨も舗道も街も

それが破れる瞬間を

知らず

待たされている

.

.

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君が涙をこらえている今


2003-07-13 叙景集

_ 266

内股で歩きまわるほのお

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_ 267

◆朝まだき◆

覚めて眼を閉じたままでいるここは

すべてが鐘の音だけでできた街

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_ 268

月と太陽の狭間を、遠くからきた線状の闇黒が通り過ぎる。

プロキシマケンタウリの西へと流れ去りながら、どうしてかぼくに眼を留めている。

ぼくは夕飯を食べており、味噌汁のなかで対流するオレンジ色の亀裂のむこうから、くりくりと回転する無数の視線が湧き出してくるのをじっと見ている。

今夜の待ち合わせには遅れるかもしれない。

そうあなたに連絡しようと思うが、理由を言えない。

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あなたを見せたくない。

星々のあいだを舐め回す、くろい長い舌をもつものたちには。

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_ 269

古道具屋の店先には、どこから仕入れたものか色ばかりあざやかな椅子がどやどやと積み重なっている(合成樹脂でできた幼稚園児みたいに整列している)。ぼんやりと佇む箪笥たちでできた迷路を抜けると、店内には煮締まった色の書籍の山が臭い立ち、その後ろから仏像が微笑んでいる(横眼で蠅を追っている)。きっちりビニールで包装されたTシャツの胸にあざやかな、文字には見えない文字。天蓋つきのベッドの上では、売物の絵本を読みかけていた兄妹が、かすかないびきを掛け合いながら寝入っている(兄妹には値札がない)。

古いものならなんでも買いなんでも売るということなので、私は古い思い出を売って引き替えに古女房を買う。三日前の運動会ではじめて見かけて、いっぺんで欲しくなった女房である。主人がいつも備え付けてある記入済みの離婚届を手許の引き出しから取り出すと「ついでにわたしが出しておくわ」と女房が受け取る。

区役所の帰り、昼下がりの河原の道を歩きながら、本人から手入れのしかたなどを説明されがてら、二度三度くちづけをする。まだ古道具のにおいが染み付いたままの女房に。


2003-07-14 叙景集

_ 270

◆正午◆

鐘の音だけでできた街で ひとりの風鈴に道を尋ねられる

「君に似た音を聴いた」という噂を頼りに旅してきたのだ

ぼくは天を振り仰ぐ

折からの風に 彼女の音色がちいさくひびいて

ぼくは 道を教えることができると悟る

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_ 271

音楽のなかを夜が飛んでゆく

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はばたきもしない翼裏を

流れる水のような風圧が

数知れぬやわらかい足裏で駆け抜ける

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はぐれた星を

すくいとるように傾いたあとの一拍

刃のあるもののように大気の肋のあいだに滑り込みながら

夜は

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ふいにひと搏ちはばたいて

音楽のこちらからあちらまでを貫くながいながい銀の針のように

囀る

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_ 272

地平線から筋雲が狼煙のようにたなびき、天を渡っている。

日ざかりの広野を、たんぽぽの綿毛まみれの男が、雲に導かれるように杖を突きながら歩いていく。

からだがほどけていくように、綿毛の航跡を後に引きながら、彼のからだはだんだん小さくなってゆく。

(遠ざかっているだけだろうか?)

やがて、遠いかげろうに紛れて姿が消える。

ぼくが今立っている森の際から続く、朦朧とした綿毛の道だけを残して。

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翌年のある晴れた日の午前、ぼくはお弁当を用意して出発する。

地平線に向かって道のように続く、たんぽぽ色の帯を追いかけて。

杖の倒れている場所まで。


2003-07-16 叙景集

_ 273

わたしの視界から逸れてゆくわたしの視線

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_ 274

◆夕刻◆

木の間から見える低い家並に灯がともりはじめるころ

まどろんだまま自転車を走らせるぼくのうしろをついてくる 鐘の音だけでできた森から

とりどりの風鈴の群れがいっせいに飛び立つ

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ぼくの頭上を追い越してゆく色と音色の夕立

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_ 275

世界は風の生まれるところに取り巻かれ、水平線が眼にとどく光によって描かれるように、風平線は肌にとどく風によって描かれている。

それはふれることができる彼方の景色。

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_ 276

月はいつも地球を見詰めているから、新月のときには太陽を見失っている。

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_ 277

「睡っている時間が日に日に長くなると、夢のほうがほんとうの生活になるのよ」

睡ったままで言った少女は、私を夢に見ている。

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「醒めている時間が日に日に長くなると、現実が夢になるのです」

なにもかも悟ったように語る男は、私に夢見られている。

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そう話している私はいま、醒めているのか睡っているのか。


2003-07-17 叙景集

_ 278

とつぜん心のなかに響き渡った神のお告げに驚く。

もう少しちいさな声で話してくださってもよいです。

聴こえます。

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_ 279

「この夢に二度目はないと思え」

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_ 280

◆夜半◆

すべての鐘が鳴りやみ 最後の余韻が消え去ろうとするとき

からだに残る水分をふるわせる波紋はやまず

弱まるほどに摩擦をうしない

近く遠く出会い続ける

広がり振り返り交わりしながら

細密化する籐細工のようにみずからを編み込んでゆく

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鐘の音だけでできたぼくたちは

限りなくおぼろになるこの時刻にだけ

音とはちがうふるえ方でふるえるものと

聴くとはちがう聴き方で聴くことを教えられる

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忘れたことを教えられすぐさま忘れまた教えられ

木霊のように頻波のように(果ては虫の羽音のように)憶える(忘れる)

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_ 281

「人間にとって、いちばん大切なことは、夕陽のように沈んでいくことだ」

そう教えてくれた父は、包み込むような笑顔で地平線の向こうにゆっくりと沈んでいったが、忘れ物を取りに走ってもどってきた。


2003-07-22 流水のなかの星々

_ 川には、テクニカルな抑揚で音楽的に鳴き交わす蛙たちが棲んでいて、夜半わが家を訪れた知人が、ふしぎそうに尋ねる。

「どうしてこんな夜中に小鳥が鳴いてるの?」

ぼくは口から出まかせを言う。

「朝の森が通りかかっているのかもしれない」

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北の川と南の鉄道に挟まれた、とうもろこしみたいな細長い町に住んでいる。

東は田園地帯で、そちらからは誰も来ない。西はとうもろこしの先っぽみたいにすぼまって、車で乗り入れる道は一本しかない。町内には個人商店が一軒あるきりで、外から人を引き寄せるような施設はなにもない。

郊外のとば口みたいな位置なのに、さほど遠くない喧騒もここには届かない。落差のない谷間のような町。

川の向こうの大きな幹線道路がある方向には、陸上自衛隊の駐屯地と新興宗教団体の広大な地所がうっそりと広がっていて、沈黙の幕を張りめぐらせている。空が広く見える。

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商店の前の自販機まで、煙草を買いに夜の通りに出る。

車に出くわすことはほとんどなくて、車道で顔にかかる蜘蛛の巣を払いのけることもできる。

見上げればいつも月が浮かんでいる。ヘッドライトよりお月さまになじみの町。

地上から見上げる視線が月に見えるものなら、ぼくはいま暗がりのなかでちかちかしているだろう。たくさんの地上の星々のひとつとして。

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蛙たちが、澄んだ声音で囀っている。

ぼくは河岸を、月のように歩いてみせる。音によってきらめく、流水のなかの星々を聴きつけながら。


2003-07-31 叙景集

_ 282

折り重なる雲の屋上から地上を眺める人の姿をたまに見かける。

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_ 283

いったいどこに置いたのだったか、わたしは外した眼鏡を探しあぐねてこんな遠い街まで

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_ 284

丘裾をめぐる道端のカフェテラスで本を読んでいると、あかるい緑の丘のてっぺんで、青い空を背景に建っている、ちいちゃい店が気になりはじめる。

ときどき丘を登って、客が入ってゆくのだが、入ってゆくばかりで誰も出てこない。

赤い屋根に控えめな看板がかかっているが、もとよりこの異国の文字を私は読めない。お菓子屋のようでもありレストランのようでもあるが、客層は老若男女偏りがなくて、なんの店か見当がつかない。本から目を上げて見かけた人影を数え上げても、すでに建物のなかは客だけで満杯な気がする。そう思う間にも、三人連れのお婆さんがまた扉を開けて入っていったが、びっしりの人をかき分けて身を押し込めるふうでもない。

好奇心が抑え切れなくなり、本を小脇に丘を登りはじめる。さほどの丘でもないが、なにやら腹の底を得体の知れない震えがびりびりと走って、急かれるように動悸がはやまる。

登り道のなかばを過ぎたあたりで、いきなり客が出てきた。次々とあらわれ五人ばかりとすれ違う。入っていった人は何倍もいたように思う。客たちは、おたがいに親しげな様子もなく、ばらばらに丘をくだっていく。

最後の一人とすれちがいながら店の前に着くと、ペンキのひびわれに埃が入り込んで、遠くで見たよりずっと煤けて見える。

扉を開けてなかに入って驚く。誰もいない。そればかりかなにもない。

これは店ではない、がらんどうだ。日の差し込む裏口の脇で、背高なゴミ箱らしきものが影を伸ばしているだけ。

油染みた板張りの床を横切って開けっ放しの裏口に立つと、視界が開け、ひと目で腑に落ちた。

建物の裏側で丘はすとんと落ち込んで、足許から階段が二度折れて吹きっさらしのホームまで続いている。

今しも停車していたオレンジ色の列車が、この無人駅を離れるところで、ここからなら耳の遠い私にも、到着のときには聴こえなかった走行音が、腹にひびく震えとともに聴こえてきた。