_ いきなりの教室。答えたくてたまらない生徒達が挙げる手のように季節外れの花々が咲いている。ペインクリニックの庭に。
的確なツッコミとして雲間から陽が射すが、なにものがいつどうボケたのかは判然としない。思い出したように景色は色彩を鮮明にする。そしてまた翳る。
遠く近く、電線が景観をよぎっている。電線は道を知っている。まっすぐな道だけを。自重でじぶんがたわんでいることは知らないのだが。
マンションのベランダに垂れ下がった無数の蒲団たちが、曇り行く空を警戒している。すかさず取り込まれようとして、鋭敏になっている。号砲を待つランナーの姿勢で。
雲が流れ、明るみが少し盛り返す。はびこっていた薄い影が物陰に退却して身を寄せ合う。
兄妹のようなマンションのあいだの私道から県道に出て南東に歩くと側溝にぴかぴかのホイールキャップが落ちている。照り返しで寝言をつぶやく寝過ごした満月。
塵芥処理場の駐車場を通り抜ける。アスファルトの上に鳶の影が貼り付いている。気がついた途端に、しずしずと動き出す。なにもかもがそうだ、気がついた途端にしずしずと動き出す。すでに顔は仰角を上げ、視線が鳶を追尾している。
ある種の質問が答えを求めないように、ある種の答えは質問を要しない。
鳶はぼくの視線をぽんぽんと蹴るようにうごく。
_ 人に言い負かされるのは悔しいけれど、もっと悔しいのは自分を言い負かせないことです。自分を説得できないこと。
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「眼から鱗が落ちる」というけれど、落ちることができる鱗ならぜんぶ、落としてしまいたいと思った。
自分の頑迷さと自分の属する因習から逃れるために。
眼に指を突っ込んで引き剥がしていった。経験によって落ちる前に。
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鱗はなくなりはしない。
けれど鱗が少なくなると、なにもできなくなってしまう。
動機を失うから。
でも、そんなことも鱗を必死に落としてみるまで、わからなかった。
昔、鱗がない人はエライと思っていたが、今はたくさん鱗を持っていて自由に着脱できる人のほうがエライと思う。
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誰かの眼から鱗が落ちたら、その人がびっくりしているうちに、さりげなく拾う。剥がれかけている鱗があったら、狙って落としもする。
道や床に落ちてる得体の知れない鱗なんかも拾っておく(そういうものをうかつに装着すると、アレルギーで発赤して寝込む。最近は自作もしているが、天然モノのレベルに達しない)。
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私達は鱗でできている。
眼から落ちるよりもっと大きな鱗をごとり、と、落としてみたくもありおそろしくもあり。
_ なんにも書くことがないときも
なんにも書くことがないと
書くことができる
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死んだあと
生きてないとは書けない
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存在しないとき
居ないとは書けない
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光も時間を追い越すことはできないので
光の構造である私たちは
時間とぴったり並走している
あらゆるコースで
あらゆる位置で
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なんにも書くことがないときも
書かれ続けている私を
書いているものが
「なんにも書くことがない」と
つぶやくときが
光速で接近している
あらゆるコースから
あらゆる位置へ
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何十光年かを
航行してきたけれど
あと何光年航行できるのかはわからない
四十光年かもしれないし
2センチかもしれない
睡っているあいだに月は、文明に感染していた。
文明はきらめく網のような病巣を月面に広げる。月の大地から燃焼合成で取り出したシリコンで太陽電池をつくる。月の微小重力と低圧大気が、燃焼合成の繊細さを引き出すのだ。産物は金属の莢状の搬送体で地球に送られた。
虚空を、星よりもしげく瞬くものが、めまぐるしく行き交う。
龍と鼠の時間が違うように、星と文明の時間もちがっているので、それなりに存続した文明も星々にとっては一瞬である。じぶんが燃え上がっているように感じて月が目覚めたとき、もう炎なんてなかったし、文明もなかった。
月はまた睡り込む。星々が「もうすこし起きて待っていよう」と思うほど、宇宙が興味深いふるまいを始めるのはまだ先のことで。
二度と搬送体が打ち上がることもなく、月面にはただきらめく瘢痕だけが長く残った。月が気づかない程度に細々と、燃え続けていた。
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あるとき太陽になってしまう夢をみて目覚めた月は、ひとつのおおきな太陽電池になっている。
でも月は泣いたりはしない。驚きもしない。今はまだ。
_ Strattera ohne rezept [ No ifs, ands or buts.]