_ 人口上位2%のIQ所持者の親睦団体メンサにあって、卓越した博覧強記で会員たちの尊敬を集める長老格の大学教授。その人のインタヴューを読んでいたとき、「どうしてそんなにいろんなことを知っているのですか?」という質問に、長老が答えた。「興味のないことにも関心があるからですよ」
得たり!という感じがした。言いたいことを的確に言ってもらった。
僕も興味のないことに関心がある傾向で、雑誌などでとあるジャンルの総括的・網羅的な特集があると興味がなくてもつい手に取ってみる習性がある。当然ピンとこないことばかり書いてあるが、まれにキラっと光る用語や固有名詞や概念やエピソードが脳裏に残ることがある。
行き来のない星々のように離ればなれに記憶に残った言葉が、いつか星座のように結びついたり、結びつかなかったり。
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_ シルヴィ・ギエムが引退するということで、売場になんか備えておきたいと思うのだが、適当な本がない。店に来る版元の営業さんたちに、「ギエムといえばこれ、っていう本がないのおかしいでしょう。なんか出してよ」と頼んでいる今日この頃である。
こんなことを言いながら僕はダンスへの関心も素養もあまりない。
ギエムの名前を心に刻みつけられたのは、20年ほど前になろうか、じつにささやかなきっかけだった。
それはとあるダンス専門誌の、現代のダンスシーンを総括する特集で、数人の舞踊評論家の鼎談を僕は読んでいた。きらびやかな固有名詞が頻出して盛り上がる鼎談の終盤、一人がふと言った。
「でも今はギエムがいるからね」
ページの上をつらーっと流れていた視線がぴたっと止まるような唐突さだった。彼はつづけて
「僕ら評論家がいくら頭の中で夢想した理想を語っても、ギエムが現実の肉体でそれ以上のことをしてしまうんだから、評論家にとっては立つ瀬がない時代だよね」
この度を越した絶賛に同席者は誰も異論を唱えず、当然のことが表明されたかのように、話題は自然に流れていった。
これはただごとではないな。そう思った。
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_ 曽田正人が『昴』を描くきっかけが、ギエムがインタヴューでもらしたひと言にあったことは、繰り返し語られている。
「才能のない人の努力する姿を見るのはつらい」
この言葉に衝撃を受け、そういうおまえはどれほどのもんじゃ、と思った曽田氏は、折からの日本公演に出かけてゆく。開演。舞台の袖からあらわれた老婆をみて、どうしてこんなところにおばあちゃんが?と、思ったそうである。それが、老婆役のギエムだった。
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_ 『ジャイアント・キリング』の30巻が出たとき、ひと足先に読んだ同僚たちが口をそろえて「読んだ?読んでないの?はやく読まなきゃダメ!」と言うのでいそいそと読んでみた。
才能をめぐるドラマの名シーンとして、僕は曽田正人『カペタ』5巻の、あの「押し上げて」くるシーンを思い浮かべるのだが、それに匹敵する名シーンだなあと思った。これこそ描きたかったシーンだろうに、よく30巻まで引っ張ったなあ。
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話は『ジャイアント・キリング』をめぐって遡るのだが、監督が主人公であるサッカーマンガ『ジャイアントキリング』にあって、プレイヤー側の主人公格にあるのが椿大介。
2巻。まだ若くて青くて未完成。思うようなプレイができずにへたりこんで落ち込む椿に、達海監督が言葉をかける。
「お前には過去の実績は何もねえ。それでもお前は今プロクラブのトップチームにいる。
お前を育てた人達は皆同じようなことを言ったよ。
10回のうち9回はヘマをするが
たった1回……輝かしいプレーですべての人を魅了する。
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お前に魅せられた人達が……ここまでお前の背中を押したんだ。
お前の実力だ。椿。
そのまま行け。何度でもしくじれ。
その代わり1回のプレーで観客を酔わせろ。敵のド肝を抜け。
お前ん中のジャイアント・キリングを起こせ」
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_ パブロ・カザルスは、チェロの歴史を変えた偉大なチェリストであるが、こちらも偉大なチェリストとして大成したグレゴール・ピアティゴルスキーが若かりし頃、尊敬するカザルスに初めて会い、ゼルキンとともに演奏を聴いてもらう機会があった。二人はベートーヴェンを弾いたが、緊張のあまりひどい演奏になってしまった。カザルスには自分たちの最高の演奏を聴いてもらいたかったから、こんなはずじゃないという思いのみが募った。次にシューマン、そしてバッハ。どれも満足いく出来ではなかった。ところが演奏が終わるとカザルスは「ブラヴォー!」と言って立ち上がり拍手で讃えた。こんな偉大な人が、こんな安易なおためごかしをするのか。そうピアティゴルスキーは思ったという。
数年後、カザルスと再会したとき、あの時は正直失望しましたと、ピアティゴルスキーは思い切って打ち明けた。
そのときカザルスがどのように反応したか、ピアティゴルスキーの自伝『チェロとわたし』にこうある。
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カザルスはとつぜん不機嫌になった。「お聞きなさい!」自分のチェロをつかんだかと思うと、あのときのベートーヴェンのソナタの一節を弾きながら彼は言った。「あなたはこの指使いをしませんでしたか? そう、この指使いだった! これはわたしには新しいやり方だった……これはよかった……それから、ここ、このパッセージではアップの弓ではいりませんでしたか? こういうふうに。」カザルスはそのとおりやって見せた。彼はシューマンとバッハも同様にとりあげて、わたしがあのときどのように弾いたか、いったい何が彼を感心させたかを、こまかに説明してくれたのであった。「ところで」、それが終わったとき、カザルスは情熱をこめて言った、「まちがいの数だけで判断することは、無知な馬鹿者どもにまかせておきなさい。わたしはそれがすばらしければ、たった一つの音や一つのフレーズにも、ありがたいと感謝することができる。あなたもそうでないといけない。」わたしは、ひとりの偉大な芸術家かつ友人と時を過ごしたという実感を深めて、カザルスのもとを立ち去ったのであった。(村上紀子訳)
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_ 北野詠一の初単行本『30センチスター』を読んだとき、椿大介とピアティゴルスキーを思い出した。若くて青くて未完成。しかし表現したいことを持っている。自分自身の実体験として、たくさんの感動に出会っているのだろう。それを作品にこめて、読者の心におなじ感動を引き起こしたいと思っている。
しかし濃すぎる。テンション高過ぎる。
もっと落ち着いて伏線張って!
跳ぶなら、もっと助走つけて!
画は悪くない。でも描こうとするものの凄さには追いついてない。
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それでも、思わずページを繰る手が止まる。時を止めてしまうような、きらめくような一瞬。それがある。この限られたページ数に、いくつもいくつもだ。
このままの調子で回を重ねれば、次の『このマンガがすごい!』あたりで、上位に来てもおかしくない。むしろ来ないとおかしい、と思った。
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バンドマンガの歴史に残る傑作になるはずだった『30センチスター』は2巻で打ち切りになった。
主人公は喝采を浴びることなく終わり、ひとつの物語としては消化不良であることは否めない。でも僕は、これはこの中途半端なかたちのままで大好きだ。
駆け込むように取って付けたように盛り上げたりはせずに終わったこの結末にこめられているのは、このマンガじたいだろう。
北野詠一は信じている。自分の心を動かしてきたものたちの力を。自分にマンガを描かせているその力に、彼は申し訳なく思ったにちがいない。足りないのは彼自身の経験と力量だ。その悔しさが、思いっ切りこめられている。
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待っています。
北野さん、僕はあなたが次に描くものの大ファンです。
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