_ ラファティを絶賛する人は多く、たとえ好きが嵩じての勇み足にせよ、史上最高の作家とまで言ってしまう人がめずらしくない。そんな作家は滅多にいないよね。
とはいえ、ラファティは評判に見合ったほどには売れないし、たくさんある訳書も、最近の何冊かを除いて軒並み品切れである。
ラファティが好きな人は「読めばわかる、難解じゃない」と言うけれど、正味のところやっぱりちょっとハードルが高いんじゃないだろうか。
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ラファティの魅力を考えるとき、僕の頭に浮かぶのは、コードウェイナー・スミスとピーター・S・ビーグル、パトリシア・マキリップ、そして円城塔である。ええそうです。似てないよ。この四人どうしも、ラファティも。
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AIによる自然な対話や翻訳が難しいのは、なにげなく易々と行われているわたしたちの対話は、あえて語られない無数の常識やルールを前提にしているからだ。
日本語を母語とする人は、たとえ文法や品詞の機能を説明できなくとも、問題なく言葉を運用できる。
思い切って図式化して言えば、私達は「物語」を読むとき、通常は「語」られた「物」を読む。つまり言葉をカメラとして、作者によって撮されたものを、自分の心に映写する。そのとき、カメラや映写機の構造についてなにも知らなくても、映すことはできる。
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先に名前を挙げた人達は、「これってどうやって撮ったんだろう」と思わせる人達である。独特の撮影技術を持っているのか、それともカメラが違うのか。
ふつうの小説は、文字の並んだ紙面を通して、その向こうで読まれる。文字が鳥だとすれば、紙面の向こうに飛び立つ様を眺めるのだが、そのふつうの場合とは対照的に、紙面のこちら側で文字が紙面に降り立つまでの仕草に心を捕らえられる作家がいる。
僕は、読みながら「なんじゃこりゃ」と思う。降り方が変だし、そもそも鳥なのかこれは。
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どうしてこんなことが書けてしまうんだ?
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見えないものや語り得ぬものの領域は、「見えない」ことさえ「見えない」ものから、「見える」か「見えない」かぎりぎりのものまであって、おもしろく思えるのはぎりぎりのところだろうが、その境界は人によってちがうだろうから、僕が名前を挙げた作家を「なんじゃこりゃ」と思わない人もいるだろう。あなた自身が、「なんじゃこりゃ」側な人かもしれないし。
それでもやはり、ラファティだけは「なんじゃこりゃ」なのではないか。
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スミスやビーグルやラファティのおもしろいところは、作者の意図はどうあれ、思わせぶりで意味ありげなところである。深遠なことが明晰に書いてあれば、筆者の意図どおりに読めてしまうが、なんかいかにも深遠そうな不明瞭なことが書いてあれば、思わぬことを思いつくことができる。作者がすごいことを書いたかどうかは別として、なんかすごいことを読み取らせてくれる。
もちろん深遠めかして空漠たる書物もいっぱいあるけど、彼らの力量は、できたときはどんな実用性があるのかわからない科学技術、みたいな言葉の運用を提示できるところだと思う。なかでもラファティは、そこらへんが断然だ。
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ラファティに入門しそこなう人は、おそらく「なんじゃこりゃ」と思って挫折するのだろうが、そこですよ、そこが読みどころなんです。
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_ 『百万畳ラビリンス』!
わー、たかみちがこんなの描ける人だとはしりませんでした。僕は巨大建造物モノには目がない。巨大建造物といっても壮大な背景装置でしかないものがほとんど。それでも好きなものは好きなのだが、『百万畳ラビリンス』は、でかいだけじゃないよ。
ボルヘス「バベルの図書館」、山尾悠子「遠近法」、テッド・チャン「バビロンの塔」、五代格『クロノスの骨』(知名度は低いが無茶苦茶におもしろい)あたりと並ぶ、キャラの立った巨大建造物である。行きたい。歩きたい。
そして、たった二人の主要登場人物の造形がただごとではない。たまらない。
好き。マンガとしては『蒼き鋼のアルペジオ』以来に好き。たーのしいぞー!
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_ 寝仔 [今日は駆け足で。 「ニューヨークで考え中」近藤聡乃(亜紀書房) こちらは絶賛おすすめです。 「デフ・ヴォイス」..]
_ 寝仔 [追記です。わすれていました。 「悲しみと無のあいだ」青来有一(文藝春秋) これは買えませんでしたが、なかをざ..]
_ いちる [はじめまして。 雪雪さんのブログを覗き見て、なんだかふふふと笑い出したいような気持になっています。今回は、円城塔の..]
_ 雪雪 [いちるさんはじめまして。そしておひさしぶりです。 SFは私の魂なので、ものすごく悩みます。 作品が重ならないベス..]
_ いちる [お返事ありがとうございます。こちらこそご無沙汰でした… 時間をかけて検討してくださっていただいているようで、申し訳..]