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雪雪/醒めてみれば空耳

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2015-01-04 無は無念の無

_ 音楽を好きになればなるほど「許せない音楽」が増えるように、物語を好きになればなるほど「許せない物語」が増えるように、ある種の人間ぎらいは、人間を好きになりすぎた末路なのかもしれない。(三秋縋)

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なにか新しいことを始めてしまうと、明白なプラトーに到達するまで全精力を傾注してしまう傾向があるので、用心しているのだが果たして新しいことを始めてしまって、本を読むようになってからこれほど読まなかった月はないな、と思うような月が二ヶ月続いた。ほぼ仕事の休憩時間にしか読んでない。

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_ 佐伯瑠伽『環八イレギュラーズ』は、次の次あたりに読もうと思って買ってあったのだが、寝仔さんのおすすめとあって俄然前倒して今読んでる松岡圭祐『探偵の探偵』やミハル・アイヴァス『黄金時代』やダニエル・ケールマン『世界の測量』を中断して即刻読んだ。

上橋菜穂子が、佐藤多佳子『シロガラス』について「私はここしばらくのあいだ、本を読んで面白いと思うといった感覚がなくなってしまっていたんですけど、『シロガラス』ではひさしぶりに「ああ……これだ!」という感覚がありました」そういうふうに語っていたけれど、僕は『環八』にそれを感じた。ああ、自分は長いこと、これを求めていたのだと。

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出会い損ねたことを無念に思うべき本は、読んでないから無念に思うことはできない。読んだからこそ、『環八』に出会えなかったらさぞや無念であったろうと思う。もっとも無念と思われるべきときにこそ、無念と思われ得ないことは、当の無念としても無念なところであろう。

『環八』のなにがどうすばらしいのかいろいろ言いたいことはあるが、時間がないのでいつか書くとして。

とりあえずここに立ち寄ってくれるような人のなかで、この本に出会うべき人が、読みたくていてもたってもいられなくなるような殺し文句を書き残しておきたい。

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『環八イレギュラーズ』がどんな本であるか。

ひと言でいうと、「木地雅映子が書いたSF」。

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本日のコメント(全4件) [コメントを入れる]

_ 寝仔 [ニヤリ。私も読みながらずっと木地さんがチラチラしていたのでした。帰省して良いところで中断中なので楽しみに読みます。 ..]

_ 寝仔 [一番はじめに書こうと思ったことを一番最後に書きます。 雪雪さんが新しいことをはじめていると読んで、私は楽しくなりま..]

_ 寝仔 [もうひとつ書き忘れました。また旅の途中ち立ち寄ります。]

_ はやかつ [殺し文句に殺されて読みました>環八 もちろん、読後感はお察しのとおりというか、言うまでもないというか。 ありがと..]


2015-01-05 パースのある指圧師

_ ラスコーやアルタミラの洞窟壁画の図版をはじめて見たときは小学生だったが、ちょっとびっくりした。子どもなりの浅薄な先入見で、原始人の描く絵はせいぜい現代人の幼児が描くような稚拙な画風だろうと思っていたら、意外に写実的でけっこう上手で。原始人のくせになまいきー。

先入見と書いたけれども、じっさいそれ以前に原始人の画力について明識的に考えたことがあったわけではなくて、人は考えたこともないことについてもすでにいろいろと判断しているのだな、ということについて明識的に考えたのもそのとき初めてだったかもしれない。ちがうかもしれない。

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現代人は幼児といえども言語の洗礼を受けているので、記号的な絵を描いてしまう。

木を描こうとすれば、概念としての幹を描いて枝を描いて葉っぱを描いて不格好に接合してしまう。われながら木に見えない。幼児画に特徴的な頭から手と足が生えた頭足人というやつも、顔の意味が豊穣すぎて、躯体は顔面の輪郭に吸収されてしまうのだろう。

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幼稚園のお絵描きのじかんには、僕も長円の中に丸をふたつ描いて目、縦棒で鼻、横棒で口、ぐらいの単純きわまりない顔を描いていたが、自分の描く絵に不満で、どうしてもそう描いてしまう定型から抜け出したくて、しかし抜け出し方がわからなくて懊悩していた。あるときひとりの女の子が、鼻をあらわす縦棒の先をくいっと曲げて、つまりひらがなの「し」の字にように描いているのを見て、後に得た語彙で言えば「画期的!」と思った。最初に思いついたのが自分でなくて非常に無念だった。

やれば誰でも簡単にできるが誰もやっていないことを最初に思いつくのは、本当に偉大だ。「し」の描法は強力なミームで、たちまち教室中に蔓延した。

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同居していた母方の祖母は、初孫であった僕をいたくかわいがってくれたが、ときおり思い出したように幼い頃の僕のエピソードを話してくれた。それがけっこういい話だったりして、僕としてはもっと早く教えてよと思うのが常だったが、中学生の時、どこからか一枚の紙切れを取り出してきて見せてくれた。「これはおまえがはじめて描いた絵だよ」と言う。「はじめて」というのはまあ家庭内伝説みたいなものだろうが、いずれにしても最初期の僕の作品ではあるのだろう。

祖母は腕がいいと評判の指圧師で自宅で開業していたが、その絵は横たわったお客さんの脇に正座した祖母が、体を傾けて指圧しているところを祖母の斜めうしろから見た構図で、なんとパースが付いていた。デッサンもしっかりしていて幼稚園時代の僕よりはるかにうまい。

言語が定着する以前には、僕も写実的な絵を描いていたわけだ。驚いたなあ。

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