_ ラスコーやアルタミラの洞窟壁画の図版をはじめて見たときは小学生だったが、ちょっとびっくりした。子どもなりの浅薄な先入見で、原始人の描く絵はせいぜい現代人の幼児が描くような稚拙な画風だろうと思っていたら、意外に写実的でけっこう上手で。原始人のくせになまいきー。
先入見と書いたけれども、じっさいそれ以前に原始人の画力について明識的に考えたことがあったわけではなくて、人は考えたこともないことについてもすでにいろいろと判断しているのだな、ということについて明識的に考えたのもそのとき初めてだったかもしれない。ちがうかもしれない。
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現代人は幼児といえども言語の洗礼を受けているので、記号的な絵を描いてしまう。
木を描こうとすれば、概念としての幹を描いて枝を描いて葉っぱを描いて不格好に接合してしまう。われながら木に見えない。幼児画に特徴的な頭から手と足が生えた頭足人というやつも、顔の意味が豊穣すぎて、躯体は顔面の輪郭に吸収されてしまうのだろう。
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幼稚園のお絵描きのじかんには、僕も長円の中に丸をふたつ描いて目、縦棒で鼻、横棒で口、ぐらいの単純きわまりない顔を描いていたが、自分の描く絵に不満で、どうしてもそう描いてしまう定型から抜け出したくて、しかし抜け出し方がわからなくて懊悩していた。あるときひとりの女の子が、鼻をあらわす縦棒の先をくいっと曲げて、つまりひらがなの「し」の字にように描いているのを見て、後に得た語彙で言えば「画期的!」と思った。最初に思いついたのが自分でなくて非常に無念だった。
やれば誰でも簡単にできるが誰もやっていないことを最初に思いつくのは、本当に偉大だ。「し」の描法は強力なミームで、たちまち教室中に蔓延した。
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同居していた母方の祖母は、初孫であった僕をいたくかわいがってくれたが、ときおり思い出したように幼い頃の僕のエピソードを話してくれた。それがけっこういい話だったりして、僕としてはもっと早く教えてよと思うのが常だったが、中学生の時、どこからか一枚の紙切れを取り出してきて見せてくれた。「これはおまえがはじめて描いた絵だよ」と言う。「はじめて」というのはまあ家庭内伝説みたいなものだろうが、いずれにしても最初期の僕の作品ではあるのだろう。
祖母は腕がいいと評判の指圧師で自宅で開業していたが、その絵は横たわったお客さんの脇に正座した祖母が、体を傾けて指圧しているところを祖母の斜めうしろから見た構図で、なんとパースが付いていた。デッサンもしっかりしていて幼稚園時代の僕よりはるかにうまい。
言語が定着する以前には、僕も写実的な絵を描いていたわけだ。驚いたなあ。
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