あらゆる夢を訪れていると思われるリリエローワの夢の巫女に、誰もが出会うわけではない。
それは現実において、時代を揺さぶる英雄や歴史を塗り替える賢者や神秘をかたちにする芸術家たちが、どこか遠くにいるのとおなじことだ。
巫女たちは、あなたがみている場所からもっと東や西の、より妙味ある土地を歩いている。
夢のなかであなたが曲がらなかった街道の果て、乗らなかった船の行く先、見上げなかった太陽が昇り、話さなかった言葉が行き交う土地を。
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_ ピーター・S・ビーグルの『最後のユニコーン』を、ときどき読み返すのですが、十代の初読のときには「こんなに早く、生涯最高の本に出会ってしまった」と、大仰なことを思ったものでした。その感慨は持続しませんでしたが。というのも、生涯に渡って最高の本というのは存在しないからです。人は、生涯に渡って同一人物であるわけではないから。
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見て来たように神秘を描くのがファンタジィだとすれば、ぼくにとって『最後のユニコーン』はファンタジィではなく、それじたいが神秘的な物体でした。このようなことを言葉で書くことができるとは知らなかった。そういう一節がとめどなくあらわれるのですから。
読ませられるまで気付かなかった、読みたいこと。この本以前にも、そのような言葉に出会ったことはありました。しかし千の書物を渉猟してやっと蒐められるような珠玉の一節が、このたった一冊のなかから溢れこぼれてくるのです。「読む前の自分にはもどれない」そう思ったはじめての本でした。
こんなふうに見たい見えたい。そう思いました。ここにあるような宝物を自分のなかに生み出すこと、当時の熱っぽい気分で言えば、それが感動したことの証だと思ったのです。
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今でも、読み返すたびに、奇跡を見るような気分になりますが、当時ほどの驚きはありません。ぼくにとって、『最後のユニコーン』はエキゾティックでもストレンジでもなくなったからです。ほぼ日常になってしまった。
(とは言っても、ビーグルのようには、到底書けませんけれど)
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『航天機構』というHPの水城徹氏の書評を、ぼくは信頼しているのですが、グレッグ・イーガン激賞で、テッド・チャンはさほどでもないあたりが面白いです。ブルース・スターリングが高評価なのもうれしい。評者の思い入れの強いタイトルは、何度も出てくるところも好きw
そして、『最後のユニコーン』だけが、たくさんの書評のなか、まったく単独の語調で評価されているところが、微笑ましく、心温まります。
_ なにか考えているうちに考えが分岐して少し寄り道してから元の筋道に戻ろうとするともはや、さっきまで何を考えていたのか分からなくなっている。
自分がなにを考えていたのか考える時間が、考える時間より長い。
忘れないようにこまめにメモを取るが、翌日になると自分が書き留めたメモの意図が分からない。
本を読み進んでいくごとに、前の方になにが書いてあったか思い出せない。けれども気にしなければおもしろく読み進める。意外なオチが付けば、適宜おどろく。
思い出せないだけで、憶えてはいるようだ。ぼくの思考はほとんど、意識の外で行われているのかもしれない。
しかし時に、忘れてはならないことがあったはずだという焦燥感だけがついてまわって、なにも手に付かないことがある。これは困る。
_ 真っ黒くて、数字は蛍光グリーンの、変哲ない置時計が部屋にある。
遅れ始めたが電池を換えそびれているうちに、どんどん遅れる。日に三時間四時間と遅れるようになっても、止まらない。ときどき無意識にこの時計を読んでしまって、約束に遅れたりする。ちょっと困るが、奇妙な仏ごころが出てきて、そのままにしている。
_ ここ数日は歩くのがやっとの旅人のように、秒針さえのろのろとしている。ついに止まったかな?と思えば、水死体からぽこっと上がる泡のように、もう一秒を刻む。
電池と別れたくないから、労わっているのかもしれない。見られているときだけ、そっと動いてみせるのかもしれない。
睡っている電池は、そのときだけ、薄く眼を開くのだ。
_ 思い立って七分刈りにした。どう思い立ったのか、自分でもよく分からない。
ぼくの髪の毛は細くてやわらかいので、「バリカンが噛みませんわ」と床屋さんが言った。仕上げは鋏でさせることになってしまった。お手間をかけさせてごめんなさい。
毛質のせいで、七分でも微妙なウェーブがかかって、髪が立たない。しんなりと寝ている。掌でなぜれば、ぬいぐるみの感触である。
眼に見えるほどではないが、風が吹けばなびく。自転車でスピードを出すと、毛根に振り別けられながら頭皮をくすぐってゆく複雑な風が、うっとりするほど気持ちよい。さわさわとそよぐ野原になった気分である。たいへん得をした。
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_ 通い慣れた道をふと折れてみても、やがては見知った道に出るものだが、たまに深みにはまることがある。
道路案内で見当をつけて、帰途に近づく方向を選んだつもりで、その先の岐れ道では、どうも矛盾した表示に出会い、修正しつつ自転車を走らせていくうち、なんだか上り坂に次ぐ上り坂が続いて、聞いたこともない名前の真新しいトンネルに出会ったりする。陽が照ってなお寒い日は、トンネルの中はいっそう寒い。寒風が吹き込まないぶん、路面も陽光にぬるまないからだ。
漕ぎ進むほどに渡る川筋は細まってゆき、視界は左右とも山肌に遮られて、太陽も稜線に触れなんとしている。明るいうちに帰れるだろうか。
人里離れた路肩にとつぜん、砂利敷きの空き地があらわれて、車なんか一台もない中古車センターとか、手書きの看板の食堂が、すでに意識を失ったまま建っていたりする。寂しいし、いい加減腹が減ったぞ。
上り坂がようやく尽きて、人工林に挟まれて緩く下る直線に出ると、路端の繁みに埋もれかかって、蛍光色の「ダイエー○○店 3㎞先左折」という野立ち広告がある。しかし気を許すことはできない。どうせ左折してからまた何キロもあるにちがいないのだ。
いずれ歴史に残るはずの若い哲学者が、二十五年後に書いた自分の主著を未来から手に入れる。
これで二十五年を先回りできると思う。思うのだが、ふるえる指で読み進んでいくほどに、すでにこの本を読んだ上で書かれたものだとわかる。
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鯨に棲む猫が、波の中から転げ出てくる。
ぶるるるるるるるると、からだが飛び散るくらい水を切ったら、陸上用の足運びに切り換わって、とことこと歩いてゆく。
長い耳はペアの踊り子、呼吸を合わせてばらばらに動く。大きな眼が碧暗く澄んだみずうみに見えるのは、半透明の瞬膜を上げて、自分のほんとうの深みを隠しているのだ。
鯨に棲む猫を、陸上で見かけるのはとてもめずらしい。
星から星へ渡る物語とおなじ軌跡をたどる生き物なので、星間文明の接触が起こるのとおなじ確率で、鯨から旅立つ。双方向の接触でない場合は、鯨に棲む猫は鯨に帰れない。それでも帰ろうとはするのだろうが、望郷のにおいをせいぜい物語になすりつけるしかできないだろう。
鯨に棲む猫を捕まえて抱き上げてしまえば、ひとつ乃至ふたつの文明の運命を変えることができる。しかし戯れにすることではない。知らぬ間に失恋した文明がどんな行動をとるか、はかりがたいし、その文明に自分が属していない保証もないのだし。
とは言っても、眼を覗き込めば分かるのだけれど。
分かってしまうことに耐えられれば。
鯨に棲む猫がいきなり、瞬膜を開いたりしなければ。
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側頭葉の損傷による記銘障害のために、君は前日の記憶が残らない。朝起きるたび、ここがどこなのか、自分はどうしたのか、わからずにとまどう。昨夜の記憶と今日が繋がらない。毎朝医師の説明を受け、そのたびに驚く。
ベッドサイドテーブルの上の、自分の日記と称するものを読む。書いた憶えのない、とりつかれたような恋文の連続。
十四時、ひとりの娘が訪れる。なにくれとなく君の世話を焼き、対話の相手をしてくれる。どうしてこんなに懐かしいのか。はじめて会った気がしない。まさに彼女が、日記の中に繰り返しあらわれる娘であると思い至る前に(ときには後に)、君は恋に落ちる。
彼女が帰ったあと、なにか書き留めずにはいられなくなる。そうしてまた、日記のページが埋まる。あとになるほど、娘の帯びた懐かしさが強調される。出来事の記憶が失われても、衝撃が残っているのだ。
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ある日を境に、ふっつりと娘は来なくなる。
十四時、いわれのない昂ぶりが水位を上げ、君の胸は高鳴る。期待と落胆がないなぜになったような、傾いた感情でいっぱいになる。けれど感情は、舷側を擦り合わせながら次々と難破してゆく。
はじめ君は、自分になにが起きたかわからずにいる。やがてそれが、恋の不在、恋の音楽の残響だと気付く。さきほどまで読んでいた日記のなかで、日一日、輪唱のように積み重なり高まっていった恋だ。記憶にない恋のこだま。
君は、ふたたび日記をひもとき、娘が訪れた最後の日からの日数を数え上げる。その日数ぶん、こだますものはひびき終わっていくように思えて、なごりを惜しむ。
終着駅で降りるとそこから先は世界がない。
断片化した世界はじぶんを忘れまい忘れられまいとして、あちらこちらの断片に微量に含有された故郷を喚び集めようとする。
「蒔かれた種子としての世界は心としてふるまい・・・」
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—ぬばたまの鳥はかたちのない庭に降りる。
世界のひとつが尽きるところで、向こう側に寝返りを打ったときにみたけしき。
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階段を這い降りるものの背中に乗るスリル
ひとびとの見守るなか、意を決した男は、ついに屋上から飛び降りる。
野次馬がわっと退く。
衝撃を予測して誰もが身を縮める。
男は舗道に叩きつけられる直前、カエルの舌に巻き取られ、ぱくり、と食べられる。
自殺は未遂。
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「階段と踊り場しかないの。どこまでも無意味に、いろんな長さの、いろんな広さの階段が、いろんな角度で、ただただ折れたり岐れたり寄り集まったりしているの」
あまり唇を動かさずに彼女は話す。ぼくはちらっとしか、彼女の歯を見たことがない。
「だから階段がこわい」と彼女は言う。「階段をのぼると、またあの果てのない階段に戻ってしまいそうで」とくに、のぼった先が見えない階段がだめらしい。「二階に着いたつもりで、そこがまた階段で、おりようしても、もう下にも階段しかないかもしれないでしょう?」それはずっと昔の話なんだよ。今残っている階段はみな、あの時代の生き残りにすぎないんだ。ぼくは彼女に説明する。
「わたしは鳥の群れだったことがある。ところどころの踊り場に刻まれた文字を読むの。読めば出られるのよ。でも誰かに読まれた文字は光を失っているから、まだ光っている文字を探して、どこまでもくだっていくの。読みやすいところは、もうぜんぶ読まれてしまっているんだもの。くだっていく先に、蒼白く輝く文字をみつけて、読めるか読めないかのとき、右の階段からあらわれた別の群れに先に読み終えられてしまったこともある」みんな鳥だったことがあるんだよ。君にも、君だけが読んだ文字があるんだ、ということはまだ話さずにおく。
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乾いた鍵に解かれる、濡れた鍵穴の身じろぎ
ジャングルジムの中に博物館が絡まっていて、どちらにしても使い物にならない。
博物館から子どもたちが這い出してくる。見学していたのか、陳列されるのに飽きたのか、ジャングルジムの支柱のあいだにぼたぼた落ちてくる。地べたに転げて、枯葉みたいにかさかさいう。
そのうち市の職員が、子どものおでこに付箋を貼って、回収してゆく。その後ジャングルジムに残された付箋の控を読んで、心当たりの親が受け取りにゆく手筈になっている。
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窓の外を落ちていく人が、あいさつしていったが、答えるひまがなかった。
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