いずれ歴史に残るはずの若い哲学者が、二十五年後に書いた自分の主著を未来から手に入れる。
これで二十五年を先回りできると思う。思うのだが、ふるえる指で読み進んでいくほどに、すでにこの本を読んだ上で書かれたものだとわかる。
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鯨に棲む猫が、波の中から転げ出てくる。
ぶるるるるるるるると、からだが飛び散るくらい水を切ったら、陸上用の足運びに切り換わって、とことこと歩いてゆく。
長い耳はペアの踊り子、呼吸を合わせてばらばらに動く。大きな眼が碧暗く澄んだみずうみに見えるのは、半透明の瞬膜を上げて、自分のほんとうの深みを隠しているのだ。
鯨に棲む猫を、陸上で見かけるのはとてもめずらしい。
星から星へ渡る物語とおなじ軌跡をたどる生き物なので、星間文明の接触が起こるのとおなじ確率で、鯨から旅立つ。双方向の接触でない場合は、鯨に棲む猫は鯨に帰れない。それでも帰ろうとはするのだろうが、望郷のにおいをせいぜい物語になすりつけるしかできないだろう。
鯨に棲む猫を捕まえて抱き上げてしまえば、ひとつ乃至ふたつの文明の運命を変えることができる。しかし戯れにすることではない。知らぬ間に失恋した文明がどんな行動をとるか、はかりがたいし、その文明に自分が属していない保証もないのだし。
とは言っても、眼を覗き込めば分かるのだけれど。
分かってしまうことに耐えられれば。
鯨に棲む猫がいきなり、瞬膜を開いたりしなければ。
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