_ その出来事は穏やかに始まり、穏やかに終わった。
驚くべき出来事だったが以前もこういうことは起こった。一生こんなことは起こらないかもしれないと思っていた頃も、準備だけはしていた。そのせいで、とてもすばらしいことがいくつか起こった。だから、準備だけはしている。今も。
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遠くからきて、ふっと立ち寄ったと思われるその人は十代を離れて間もないくらいに見える女の子で、「この本はどこにありますか?」と言って検索機のレシートを差し出した。『〈子ども〉のための哲学』。まかしといてください。そいつはぜったい置いてあります。「はい、こちらです」
次の質問は「詩はどこですか」。
このへんでもう僕は、ああ、この人にはしあわせになってもらいたいなと思っている。詩の棚に案内すると彼女の視線は、あきらかに特定のなにかを求めて棚をさまよっていたので、「なにをお探しですか」と尋ねる。
「金子千佳を」
あんまりにも予想外だったので、一瞬反射的に「金子みすず」に伸びた自分の手を僕は止めた。「どうしてそんなに若いのに金子千佳を知っているんですか?」「古い詩の雑誌のバックナンバーを読んでいてひっかかりました」「それはちょっとした奇蹟ですね」
全国に無数の書店あれども、新刊書店で金子千佳を探すにはうちに来るしかないだろう。でも無念。最後の金子千佳は、震災のときに濡れたモルタルの粉がこびりついて、売り物にならなくなったので、僕が買って丹念に改装して、ある人にプレゼントしてしまった。でもうちの棚には伊藤悠子がいる。「金子千佳以後では、最高の詩人です」あとは日本の10番井坂洋子をすすめる。
「他にはなにか」
「矢川澄子の翻訳じゃないものはありますか」
書店員にとっては夢のような質問が、また出た。ああ、もうすこし前なら、ちくま文庫があったんだがなあ。
「すみません。今はそれも無理です」またしても無念なので、こちらから質問してみる。「いままでにいちばんすばらしいと思った本はなんですか」彼女は、書名ではなく名前で答える。「泉鏡花です。日本の近代文学ばかり読んできたんですけど、あたらしい方向に幅を広げたくなって」
泉鏡花から来て、矢川澄子を通って、永井均や金子千佳に向かって移動中の人。
「だったらこれを」
高原英理のアンソロジー『リテラリーゴシックインジャパン』を差し出す。「ゴシック?ですか」ちょっととまどった様子なので、目次を開いて見せる。「こんな作家が並んでいます。このラインアップなら、あなたに出会いたいけどまだ出会えていない作家に出会えるんじゃないかな(たとえば山尾悠子や吉田知子に)」彼女は目次に目を走らせる。「はい!他にもおすすめはありますか」
幅を広げたいというなら、選択肢は広い。対戦相手が彼女という前提で、一試合だけをたたかう今すぐ招集できる当店の代表メンバーを選べばいい。
アンナ・カヴァン。リチャード・ブローティガン。リディア・デイヴィス。津原泰水などなど(ニッパンのwebにアニー・ディラードの『本を書く』が一冊だけあるのを発見して、即刻注文したのが昨日だったことが悔やまれるけど、しょうがない)。
そしてなによりも、この本が世界に存在してくれてよかった二階堂奥歯『八本脚の蝶』を渡す。
このメンバーなら、彼女の読書経験を二、三年は早回ししてくれるだろう。
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直後休憩に入って、売場に戻ってくると、同僚のO君が「さっき接客していたお客様が『渡してください』って」
ちいさな紙片にちいさな文字がびっしりの手紙。
ありがとう。大切にします。
魔法が解けないように、なんて書いてあったかは、秘密。
(あっ、しまった。今月末に『マルセル・シュオッブ全集』が出ることを教えてあげるのを忘れたぜ!)
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_ 遠くからわざわざ訪ねてくださるありがたいお客様が、時折いらっしゃいますが、できるならば、「いついつは東野(雪雪)はいるのか、何時出勤なのか」ということを確認いただいて御来店ください(休みの翌日に「昨日、あなたを訪ねてお客様がいらっしゃいましたよ」という話を聞くと、口惜しくて仕方ありませんので)。
そういうお問い合わせは迷惑でもなんでもなく、むしろ僕のスタッフとしての評価にプラスに寄与すると思います。
最近私的なスペースで、店の名前を出すのはダメ、ということになりましたので、ご存じない方は適当に検索してください。
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_ 前回のコメント欄で、寝仔さんから「認識の外の外について考える時に旅の道連れになってくれる本」という質問をもらいました。
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昔、樫村晴香をはじめて読んだとき、あまりに突出した射程の長さに驚き、既知の穏当な知見から発してこれほど遠くにまで行けるのかと、目の覚める思いを味わいました。探せばいるものだなあ、と思って探してみましたが、ちがう土俵ですごい著述家にはいろいろ出会えたものの、樫村晴香ほどのファンタジスタはいませんでした。とにかく「そこをパスが通るのか!」という絶妙な経路で論旨を通してくるのです。
必読なのは「言語の興奮/抑制結合と人間の自己存在確信のメカニズム 人工知能のための人間入門-その精神神経言語学的概要」と、保坂和志との対談「自閉症・言語・存在」だと思います。
樫村晴香は単著がないのですが、前者は「人工知能が人間という異質で混沌とした知性を理解するためのテキスト」という実に魅惑的な形式をとっていて、友人の保坂氏が自身のHPにupしてくれているので、そこで読めます。後者はこれも保坂和志のエッセイ『言葉の外へ』に収録されていたのですが、文庫化の際割愛されてしまいました。これに関しては「なんであれが載ってないのー!?」という声があちこちで上がったものです。『言葉の外へ』も保坂和志にしか書けないめっちゃおもしろい本で、僕も何度も読み返していますが、「自閉症・言語・存在」が載っていないんじゃ価値が半減の半減の半減の半減の半減です。単行本を中古で御入手ください。
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どうも過去の人、という感じになってしまった栗本慎一郎ですが『意味と生命』は、知性と世界の関わり合いについて見晴らしのよい立脚点を与えてくれる好著です。具象と抽象はおなじものの別の顔であり、具象が振り返ると抽象になるという布置は、この本で習いました。
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基本は『意味と生命』で、そして展開はマーヴィン・ミンスキー『心の社会』で。
ミンスキーは、こんなことまで問うことができるのか、と思うくらい心の些末な局面までを微に入り細に穿って分析します。ミンスキーは人工知能工学者。じっさい作るための思索ですから、そりゃ細かくなろうというもの。
心がやっていることを再現できそうな方法論がたとえばABC三つあるとして、それぞれにメリットとデメリットがある。人間にはこういうデメリットがあらわれているから、じっさい採用されているのはシステムCだろう。ミンスキーにはこういう観点があるので、読んでいると、たとえば神様であれ自然であれ、仮に人間の心をデザインしたものがいるとして、そのデザインコンセプト、つまりはなにを重視してなにを犠牲にしたか、みたいなことが見えてきます。
『心の社会』は森のような都市のような希有な書物。どこから読み始めてもよく、読みながら抱いた関心の方向によって、進んだり跳んだり戻ったり、読むたびに編集されて新しい相貌をあらわす一冊の皮をかぶった百冊です。
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トノーニ/マッスィミーニ『意識はいつ生まれるのか』は、近刊脳本の中でどれか1冊といったこれだ!と言いたい面白本。意識という捉え難い対象を科学するための地道な方法論と、そこから見えてくる斬新な知見。メインテーマは意識が「ある」ことと「ない」ことの境界ですが、謎解きの手妻は、名作『脳の中の幽霊』以来の快感です。
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_ 曰く言い難いことを考えるために、曰く言い難い気分を喚び寄せる。
読書は、そのための方法のひとつだ。
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たとえば『インディアナ、インディアナ』の、オーパルの手紙の部分。『インディアナ、インディアナ』は、紛う方無き名作であるが、オーパルの手紙たちは名作中の名作である。
言葉ってすごい。こんなものを作ることができるのだ。
心ってすごい。このすごさを、僕に伝わるように表現できるのだ。
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榎本俊二『ムーたち』は、マンガ史上屈指の名作だと思うのだが売れなかった。
どんなマンガかっていうと、
幼稚園で習う「てつがく」、みたいな。きがくるうごっこ、みたいな。
将来は難解になる謎が、いまはまだ赤ちゃん、みたいな。
そういうの。
こんなにもなめらかに、読む者を哲学的水面下に沈めてくれる媒体には他に会ったことがないので、フランスあたりで翻訳出版したら、それをきっかけに国際的声価を克ち得るのではないか。……ないか。
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Before...
_ 寝仔 [日記の端から端読めー! などでも承ります。 ああ、日本語おかしいですか?]
_ 寝仔 [※とりあえず自己解決です。長いのでお時間のある時まで読まないことをおすすめです。 昨夜は一種の躁状態だったために配..]
_ 雪雪 [つちださんようこそ。 なかなか書き込みに来ることができないので、すっかり遅くなってしまいました。 武田親子はどちらも..]
_ 雪雪 [寝仔さん質問をありがとう。 いつも寝仔さんの質問に刺激されています。 諸々長くなりそうなので、後で本文で書きますね。]
_ 越水利江子 [素晴らしい書店さん、近くなら、通い詰めるのになあ~と。 雪雪さん、いつかお目にかかりたいです。]