_ 睡眠時間はかなり短いほうなのだが、昨日十二時間睡ってしまって驚いた。
ぐっすり睡っているあいだに、一日が百八十度回転しており、目覚めると光の方向も反転していて、天井に伸びる電灯の影も反対側に振り切っている。日本から一瞬眼を閉じてアルゼンチンに来てしまったみたいである。寝入ったと思ったら目覚めるような深い睡りだったからなおさら。
耳の中の森。
目尻まで這ってくる蔓草。左耳から右耳に帰るヒヨドリ。脳の中を繋がってゆくナラタケの根状菌糸束。
思いの丈によって移り変わる季節。
呼び声としてひびいてくる秋。
落ち葉の腐る音の合計。
耳の中の森に狩りにくるもの死ににくるものさまようもの。
階層的な局所生態学。
泣き声。煮炊きのけむり。おそれといのり。取り残された捨て子たちの集落。炉端で語り継がれる首長竜の首の伝説は、きまぐれに突っ込まれる神の耳掻き。
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さほど遠くない未来。右耳から左耳までの長距離バスが、鼻梁を斜めに登り、閉じた眼と頬のうえの産毛のきらめきが見渡せる人中で、10分間の休憩をとっている。眉間の上から、ふしぎそうに見下ろす羊達。羊飼いの振る鐘の音。
右列の車窓にもたれてまどろんでいる一人半の男の、これは夢想に過ぎない。
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_ 地球が直径1メートルの球だとするなら、太陽は110メートルで、12キロ向こうで燃えている。人工衛星は2・3センチ上空をめぐり、大気圏はわずか1ミリ。
こんなふうに数字で書いてみると、大気圏でも底のほうにある雲というものは、じつに低い、という実感がある。
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真夜中の静かな道を、走る自転車の上で立ち上がって雲に手を伸ばしてみる。
夜の雲は、街明りに真下から照らされているから、陰翳がなくて、のしたようにぺらぺらに見える。端っこをつまんで、そっとひっぱると、ぺりぺりと夜空から剥がれてくる。
乾かしてから本に挟んで栞にするとよいかもしれない。
常夜灯に透かしてみると、活字がうっすらと浮かび上がる。
もともと、本のあいだに挟んで、おもしをかけて薄べったくした雲なのかもしれない。
「押し雲」と名付けてみる。
あのひとの眼球をめぐる衛星に、わたしへの好意を示す旗が立っている。
衛星はゆっくりとあのひとの眼の裏にまわり、やがて目頭の側からあらわれてくる。
目が回るし、ときおり旗のデザインが変わっているので、あのひとの言葉から気が逸れてしまう。
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蜘蛛の巣を弾く、ほとんど実体のない楽団がゆっくりと、うちの庭を通り過ぎるそのけはいに追いすがるように目覚める。
半纏をはおりながら庭に出てみると、遠ざかりつつあるかすかなひびきを聞き届けようとして、薔薇の花びらがどれもこれも、色が薄まるほど引き攣っている。
ざわめくまいとする植物の緊張が、絞り出すような濃い芳香となって漂ってくる。
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裸形の幼稚園の背中に、峰打ちの虹の痕が残っていて、不憫に思う。
_ 人間の脳髄を使って考えているうちは、絶対「わからない」ことがいろいろある。でも、それがどんなふうにわからないのか、その「わからなさ」については考えることができないでもない。
「わからなさ」についての知見が蓄積すると、「わからないこと」どうしの関係が掴めてきて、わからないままで、わかってくる。
どこに着くか知らないが、道だけはあり、歩くことができる、そんな感じで。
わかったようなわからないような、わからなさに向かって歩く。
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やがて、名前も知らない街(のような場所)に着く。
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名前も知らない街(のような場所)では、暮らし方さえわからないけれど、その場所の「子ども」として、あらためて心細く適応してゆく。そのうち勝手がわかってきて、居付いてしまえば、まだ理解していないことについても考えられたりして、おもしろくなってくる。
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そんな遠い場所にも、父や母がいるのだが、しがらみのない純粋な父母で、「繁殖しないものの両親」として、曰く言い難く振る舞ってみせてくれる。
顔と言えるものはある。微笑んでいるらしく推測される。
ぼくは適当に甘えてみる。
産んではもらえないとしても、養ってはもらえるように。
_ どうしても書き出しが決まらない詩を、どうしてか書き終えることはできる。
そんなときは、眠った憶えのない場所で目醒めてとまどっている、その詩の表情をしばし眺めて、それから慰める。
月光も届かない深い真夜中の通りを、重たい鉄靴の看守が通り過ぎてゆく。機械仕掛けのように、乱れのない歩調で。
足音は反響しながら遠ざかり、しばらくするとまた戻ってくる。
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沿道の家屋で睡る市民たちは一様に、おなじ夢をみている。
南天の高みから北天の高みまで、ゆっくりと大きな周期で揺れる、ながいながい振り子の先で脈搏つ石の心臓。
近づいては遠のきながら刻まれる時の鼓動が耳の底に積もり、石に滲む冷や汗のにおいが鼻の奥に澱む。
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ひとびとの夢のなかにだけ、血の気の失せたあおじろい月が、おびえの薄雲をまとって、祈りのかたちのように空に懸かっている。
往来する振り子に切り裂かれた光が、刀身から払われた血のように、振り子の表面で助走しながら、夢の夜に飛び散る。
農薬のように振り撒かれて、あの屋根この屋根に落ちてくる。
きらめく粉末の悲鳴のように。
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鯨に棲む猫の、喉元を薙ぐ銀河に、わたしたちの星があるとすればそれは
「俺たちはバツイチだから」
最近おぼえた人間の言い回しで彼は言う。
切れ長の眼と長い耳を持つ彼の種族は、以前、自分たちの文明をすっかり滅ぼしてしまったのだ。
「二万年かかったよ。立ち直るのに」
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「あれはなんという生き物ですか?」
「<遠景の汗腺>です」
「なんとなく、現世でおなじものを見たような気がするのですが」
「あれは、自分のものとは思えない遠い不安に囚われているとき、ちょうど地平線のあたりで景色に冷や汗が滲んでくる、その分泌部位です。この冷や汗は現世の側に滲みます。いまは腺の内側から眺めている見当ですね」
「ああ、それではあの震えながら流れている色彩は、いま現世に懸かっている虹ですね」
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いきなり首ががくんとするのは、眠いわけではなくて、頭のなかの腕が突発的に動くからだ。
わたしの頭のてっぺん、頭蓋骨の内側にすんなりした腕が生えていて、鋭い爪で空気を引っ掻いたり、ぴしゃり、掌で額の裏をはたいたりしている。頭のなかに一匹迷い込んだ蠅を、仕留めようとしているのだ。
蠅は敏捷だが、頭蓋のなかは狭苦しくて、羽根を休めるひまがない。わたしは、かぜかぜかぜと想いを凝らして、爪にかかりそうな蠅を、風圧で援ける。ふう!いまちょっと危なかった。
このままでは蠅は腹ペコになって消耗し尽くしてしまうだろう。
風のことを考えることをやめずに考えることができる食べ物について考えていると、風のほうがおろそかになってしまう。
もう少しがんばるんだ蠅よ。
なにかあったはずだ風のような食べ物が。早く。早く想い付かないと。
_ 長い長い坂をのぼって、長い長い坂をくだると、愛子という地区に出る。子を愛でると書いて「あやし」と読ませる。すてきな地名だと思う。
愛子を貫く幹線道路の南側には、なだらかな丘陵の連なりがあり、いちめん丈の高い草原に覆われている。牧場を逸出した牧草なのか、服を汚す湿り気もなく、肌を切るほど堅くもなく、それなのに力一杯跳躍して大の字に落下してもへっちゃらなくらいしなやかである。
持ってきた素手と、途中で買ったプラスチックのバットとボールで、ノックをする。草に足をとられるから、安易なポップフライでも全力で跳び付かねばならないが、落下の衝撃に配慮しなくてよいダイビングキャッチほど気持ちいいものはない。ノッカーを交代しながら思うさま転げ回っているうちに、草原がへたってクッションを失ってくるから、少しずつ場所をずらしていく。
明後日あたりまでの備蓄カロリーまで使い尽くしてへとへとになってしまうと、バットをかついで帰途につく。見送りの風が、ぐんぐん汗を乾かしてくれる。
丘をくだり切って振り返ると、思わず声が出る。
頂上から日の当たる緩斜面にかけて、ぼくたちの転げ回った跡が、草原のなかにくっきりと刻印されている。「あんたがたはこんだけ遊びました」という指標のように。さらさらの薄い緑のなかに沈む、しんなりした濃い緑の斑(ふ)。巨大な見えない船が、影を落とさずに着陸しているみたいだ。(ほんとうに着陸したのは、もっとずっとちいさい生物たちだったが)
ぼくたちの跡は、三キロほど離れた高台からも、絨毯に残った家具の跡のようにくっきり見えた。
_ 遠い真夏の記憶である。
Before...
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