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雪雪/醒めてみれば空耳

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2015-07-09 忘れてはいないが、思い出せない

_ 「読んだ本の内容を忘れてしまうので、もったいない」と言う人がいて、「どうすれば憶えておけるのか」と訊かれるのだが、僕自身がどんどん忘れてしまうほうなので、参考になることは言えないの、であるけれどもそもそも内容だけが本の読み処ではあるまい。

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本は心の食事であり思考の運動である。

おとといの晩ごはんになにを食べたか忘れたら栄養が消えてしまうわけではないし、先週のトレーニングのメニューを暗唱できなければその効果が無くなるわけでもない。

本は、読んでいるそのとき心がおいしければいいのだし、思考が走り跳び伸びねじれほぐれ温まればいいのである。それだけで、本を読む意義はあるだろう。

そしてたとえ意識に上らなくても食事や運動が体に残り、機能したり構築したり燃焼したりするように、読んだ本は心にとどまりいろいろなことをする。たいがい意識の知らないところで、私達を育ててくれる。そのうえたまさか記憶に残ることがあったらそれは儲けものというものだ。

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人の成長というものは単調な登り坂ではなくて、登りのあとに長いプラトーを経て経験を蓄積し、蓄積がある閾値を越えると登り坂があらわれて開眼し、あたらしい視野を得てまた次のプラトーへと歩み出す。

登り坂で最後に背中を一押ししてくれて、わっと見晴らしが開けるきっかけになった本があれば、それは印象に残るだろう。けれどもしかすると、長いプラトーを淡々と踏破するあいだささやかな追い風であり続けてくれた、目立たない、もっと重要な本があったかもしれない。

心に刻印されるような衝撃や、思わず声が洩れるような昂揚はなにもないけれど、無くてはならない本。

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そんなことを考えていると思い浮かぶ、僕にとっての欠くべからざる一冊がある。それは今まででいちばん好きな写真集。僕が別人のように変化しない限り、死ぬまでいちばんであり続ける気がする写真集だ。

それを撮った人は、高名な画家で、時代を画するような斬新なグラフィックデザインを一再ならずものしてきた。作風は猥雑にして混沌。悪趣味なくらいコントラストの強い原色を駆使する。一見すれば、その人とすぐわかる。文筆にも才能を発揮するが、そちらも同様な印象である。ケバい。

そんな彼が、あるとき突然枯れて、おなじモチーフの地味な風景画を、延々と量産するようになる。たたひたすら、ありふれたY字路の画を。

Y字路だけの個展が開かれ、画集がまとまった。

数年を経て描くのに飽きてきたのか、ふいに写真集が出た。

それが国書刊行会『東京Y字路』横尾忠則。2009年の秋だった(ちなみにY字路の全画業を集大成したあたらしい画集が8月刊)。

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画集よりも写真集のほうがいっそう枯れている。写真のほうが、より作者の「自分」を消去しやすいからだろう。

ありふれたY字路が、おなじ構図で並ぶ。鋭角の突端に分かたれて画面の右奥と左奥に伸びる二本の道。撮影場所は中央区にはじまり、次第に郊外へと移行し、大島に至る。隣接した写真どうしの撮影場所はほぼご近所なので、全体の乏しいヴァリエーションの中でも、ことさらに似通った写真が連続する。

しかし、退屈しない。ページをめくればあらわれるY字路が、どれも新鮮で、異なった印象をもたらす。

ヴィトゲンシュタインの家族的類似になぞらえて言えば、ガンダム的類似。ガンダムプラモを総ざらえした『ガンプラ大全集』を眺めているときの愉しさを連想する。関心のない人にはほとんどおなじに見えるガンダムも、好きな人が見ればぜんぶちがう。「これぞガンダム!」から「これがガンダム?」まであるが、やはりいずれもまぎれもなくガンダム。似通っているからこそ、繊細きわまりないささやかな機微に注目することができる。

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236葉の写真が喚起する236の感情。記憶のなかではもはや弁別できないほどささやかな風情たち。

この写真集の魅力は、記憶に残らない。見ているときは魅力的だった、という記憶は残っているけれど。

見分けることの出来るすべての色を、思い浮かべることはできないように。そう、30種の青を見分けることはできても、30種の青を思い浮かべることはできないように。あるいは頭の中の味の記憶と、いま味わっている味を照合しようとする利き酒が、思いの外むずかしいように。じっさい手にとって眺めているときだけ、現在にだけ留まる芸術。

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いくたびもこの本を繙いて、いくつものY字路に佇むうちに、みえないものがみえてくる。

この本を開いた瞬間、射してくるひかりが。

はじめのうちそのひかりは、曙光のさきぶれのように遠くの空を明るませることによって、心の地平線のありかを報らせる。

やがて、この本を開いたときだけ起こるなにかに対して、無意識がする準備があるのだろう、そのひかりが、そのひかりがあるときとないときの差が、明白にわかるようになる。

今しも『東京Y字路』を開けばひかりが、地平線の向こうに閃く最初の曙光のように、心の中の起伏を低くたばしる。わたしたちがふだん、自分の心のはたらきつつある様を水音のように聞いているとすれば、それがとつぜん、揺らぐ水面と弾けるしぶきと躍るしずくとなってあらわれる。

卑近なたとえで言えば、大好きなギターフレーズの音色しか知らなかった人が、それがどのような指使いで奏でられるのかを目の当たりにしたとき、とつぜん身体が参入してきて、音色が空間を得て立体化するように。

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現在に備わった生彩なクオリアだけが表現でき、想起することはできないもの。それこそが芸術の神髄ではなかろうか。

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『東京Y字路』。それは開いたときだけ奏でられる楽器のように。

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本日のコメント(全5件) [コメントを入れる]

_ 寝仔 [雪雪さん、こんばんは。 もうじき丑三つ刻ですが。 テキストがそっと増えたりしているのをわくわくしてます。 実は..]

_ 寝仔 [あ、もうこれは見ていないと思い出さないので機会を虎視眈々と狙って買います。]

_ 寝仔 [ 量子力学について読んだり聞いたりする時に、私はフィルムカメラ(ピントの絞りも手動の)をいつも思い浮かべて例えたり一..]

_ 寝仔 [追伸 カメラのピントは、というかフィルムの面は、人間の視野では一度に見られないはばの隅々までピントを合わせることが..]

_ 越水利江子 [このところ、読んでは忘れる(それが仕事の為の資料でも)を繰り返している私には、冒頭のお言葉は額装して飾っておきたいで..]


2015-07-23 しらせは届いていますというしらせ

_ ひとりの人に、たくさんの私信を送った。

遠からず死んでしまいそうなその人に、僕は、当人の意に反して生きていて欲しかった。それが無理なら、幸福であって欲しかった。幸福がしかしその人の命を救わないなら、少しでも楽にしてあげたかった。

なににも増して、その人が求めていた鍵を、事態を早回ししてでも、反則してでも渡してあげたかった。

十何年か前のこと。

その私信の宛先は、いまはもうない。

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その頃から、電子メールや郵便で、私信を発することができなくなった。誰か特定の人に向けて、ということのハードルが高いようです。

この十数年、心が温まるような私信を幾通もいただきました。ありがとうございます。記憶では、一通だけ返信できましたが、それは質問紙でした。

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ほんとうに申し訳ありません。

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最近もはじめての方から一通の丁寧な私信をいただき、しばらく心頭滅却してみましたが、返事が書けません。

伝わることを祈ってここに書きますが、ぜんぜん気にしていません。ご心配なく。ご用件が、あまりにも繊細微妙で、むしろかような私信が成立することに励まされる思いです。ありがとうございました。

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本日のコメント(全8件) [コメントを入れる]

Before...

_ 寝仔 [わお、横に長くなってしまいました。m(._.)m]

_ 早秋 [寝仔さん。ご挨拶もせずにごめんなさい。 私も「赤貧」を学んだクチです。 再読したくなっているのですが、なにせ引越..]

_ 雪雪 [藍川さとるは、以前同僚に「読んでない! 読んだ方がいいですよ」と言われてレヴューをチェックすると、評言に「哲学的」と..]

_ 寝仔 [早秋さん。 挨拶は形式のようなものです。 私がなにやら丁寧にしているときは、緊張しているかいいかっこしよう! と..]

_ 寝仔 [わー。雪雪さんの本も、ではついでのようですが、 空耳が更新されたと気がつくとものすごい勢いで買えるかなー、 読め..]