_ 堀江敏幸の『熊の敷石』の終盤に、話者の旧友であるフランス人カメラマン、ヤンの本棚の描写がある。
「かつてパリのヤンの部屋で見た覚えのあるヴァン・ヴォクトの文庫本がならんでいる棚の一番下の段の重い辞書をつっこんだ箱に、言葉どおり、一九五〇年代に再刊された『リトレ』の端本が二冊あった」
こんなところにヴァン・ヴォクトの名が解説の文言もなく置かれているとは意外なことで、思わぬ人から思わぬことで褒められたような気分になる。
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中学生のとき、ヴァン・ヴォクトの『イシャーの武器点』を読み終わって、直線を全力疾走したい気分になったが、外は大雪なので妥協して、炬燵の周りを何度も周回したことを思い出す。
ヤンの本棚にほだされて、読み返してみた。旧い。未来が旧い。未来に対する展望が旧く、キャラクターの理念が旧く行動が旧く、新奇なものと想定された様々なガジェットが旧い。実現しないまま、我々の未来からは失われてしまったうつろな旧さたち。それはときに過去の方角からくすぐってくる新鮮さだったり未来からの埃っぽい懐かしさだったり。
その多相的アナクロニズムのアンサンブルは読み返すたびにおなじようでちがうようで、内装も品揃えも子どもの頃のままのデパートで発売されなかった新しいおもちゃに出会うようで。
SFならではの魅力というものは、叙事にして叙情というか、壮大に胸をきゅんとさせてくれるところだと思うが、本作のあのロマンティックな最後の一行はいかに忘れっぽい私といえども忘れることができない一行。
褒めてはいるが、これから読もうという方は過度の期待は禁物。
『非A』もまた読もうかな。
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仏版のヴァン・ヴォクトはボリス・ヴィアン訳で、本国以上に評価が高いと、どこかで読んだ気がする。フランス人うらやましい、とも思うが、仏訳以上の評価でぼくが和訳を読むもん、とも思う。
_ 「書店員を続けていく自信がないんです」
つかえる喉からやっと出てきたその言葉が、あんまりにも切迫しているので、
「生き続けていく自信がないんです」という意味なのだと思った。
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言いたいけど言えないことが溜まりすぎると、言わなければならないことの言い方がわからなくなる。
心にたくさん蓋をしているから、想いが流れることのできる水路が限定される。
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話していると、ときどきちょっとだけ蓋が開く。ちょっとした隙間から、あふれてくるものが多過ぎるので、その人は泣き笑いする。笑うときは泣いてしまうし、泣くときは笑ってしまう。
「どうして私が言えないでいることが、あなたに言えるの?」
そうではない。あなたが言ったんだ。あなたが声には出さずに言ったことを言い換えているだけ。
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ながいあいだ蓄積してきた苦痛は、少しずつ解放するのがいいと思う。
そのうち、ただ笑うことも、ただ泣くこともできると思う。
しぜんに、自信も戻ってきてくれるだろう。
自信というのは自由の言い換えだから。
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自由が多過ぎる場所では自信も多過ぎる。
だから、不自由から出発できるのは幸運なんだ。出発できればだけど。
_ 書店の店頭で偶然友人に会う。
「いしいしんじを読んでないのか」と言うから「読んでない」と答えると「読め」と言う。
少し読んでみる。
「ブラッドベリだ」
そう言ったのは誉めたのでも貶したのでもないが、彼の眼は泳いだ。
「ブラッドベリ読んでないのか」と尋ねると、「読んでない」と答えるから「読め」と言った。
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そういうわけで今夜ぼくは『麦ふみクーツェ』を読んでいて、彼は『たんぽぽのお酒』を読んでいる。
いい友人を持ったなあ、と思うのはどちらか。
_ 本をすすめるのはむずかしい。
すすめられて読むのにそぐわない作品があるから。
すすめるということは幾許なりとも、「力を入れて押し出す」という動きだから、その力が作品を損なってしまうことがある。
予測や期待に掻き立てられていっそう昂められる作品もあれば、できるだけひっそりと静止して、読み始めなければならない作品もある。
水面に書かれ、予断や、感動によってさえ掻き乱されてしまうような文字の連なり。
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昨日の日記で言及したブラッドベリもその魅力は繊細だけれども、しかし安定していて、伝わるべき人には伝わる。濃い薄いに関わらずその魅力は作品に行き渡っていて、一撃でやられなかったとしてもまず間違いなく捕まるべき人を捕まえる。たとえば『火星年代記』で「ふーん」と思い、『何かが道をやってくる』で「お」と思い、『十月はたそがれの国』で「うわあ」と思うかもしれないし、人によってはその逆の順番で捕まるのかもしれない。いずれにしてもブラッドベリなら「読め」とか言って少々強硬にプッシュしても壊れない。ヒットしなくても次善の策がある。
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たくさんの著書を持った作家でも、その作家の他の作品には替えられない作品が、ぽつんと立っていることがある。よしもとばななの「ともちゃんの幸せ」はそういう作品だと思う。これは短編集『デッドエンドの思い出』を代表する作品でさえないだろうし、あの短編集にもし「ともちゃんの幸せ」が収録されていなくても、世評は下がりはしない。でも、ぼくにとってよしもとばななとは、まずもって「『ともちゃんの幸せ』を書いてくれた人」だ。
すすめません。内容にも言及しません。お読みになっても、別にどうということはありません。でも、もし出会うなら、こんな文章いったん忘れていただいて、なにげなく出会っていただけますように。
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そういう羽目になるとは思っていなかった男と寝る羽目になる。ことが終わると男は眠り込みいびきをかき始める。このいびき、たしかに聞き覚えがあると女は思う。前にも一度くらい、この男と寝たことがあっただろうか。忘れているのか。
枕に頭を沈めて想いをめぐらすうち、女も眠りに落ちてゆく。夢の中ではちょうど夜祭の最中で、わびしい祭囃子が星と森のあいだを流れていく。提灯の列に導かれ女は歩く。ここはどこ、嗅ぎなれない夜気。でもこの音色は聞き覚えがあると思う。懐かしい人に手を引かれて行った気がするよ、この祭りに。
女は、雲にまみれる飛行機のように、祭りに突っ込んでゆく。
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かさぶたを剥がしたくてたまらなくなり、痕が残るから剥いじゃダメダメと自分に言い聞かせるけど、かさぶたなどできていないので遣り場のない剥ぎたさが空転してきなくさくなってくる。
ときどきこういう気分になる。
どこかに生き別れた双子がいるにちがいないと思う。
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昨日まであったはずの体臭がない。ものさびしい。探偵社はこういうものも捜してくれるのだろうか。ノウハウはあるのか。
【このにおいに心当たりはありませんか?】
とりあえず洗濯前の下着を電柱に貼って尋ねるが枚数が足りない。
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肌のない顔が微笑む為にいっとき唇を借りて、すぐ返す。
◆仰臥◆
あれは雲ではない、蓮だ。
してみるといま瞳が見ているのは光ではないな、と思う。
泥が重い。
そう思ったが泥だと思ったのはからだだ。
もう寝返りも打てない。
気泡がひとつ、ふらふらと昇ってゆく。仲間のもとへ帰るのだなおまえは。
_ どうして本を読むかというと変化するためだ。心は地質学的に、ゆっくりと変化する。だから自分の体験でない出来事に触れて、ふだん揺れない心を揺らし緩ませる。そうして変化の歩調をすこし速める。
なんならおもしろくなくてもいいし、印象に残らなくてもよいし、共感できなくてもよい。固いところを緩めてくれるならば。
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読んだ事を忘れてしまうなら、その読書は無駄だったということはない。振動や褶曲がいつもメッセージを伴うわけではない。揺さぶられたら揺さぶられただけ、それに見合った感興が残るとも限らない。
読んでいて思わぬところが揺れてくるのを感じれば、必ずしも読み通さなくてもいい。あるいはちらほらと読んで、ゆらゆらと揺れ始めるページから読み進めればいい。
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_ 単純計算で言えば、本を百冊読んだ人が出会うような最高の一冊に、千冊読んだ人は十冊出会い、一万冊読んだ人は百冊出会う。百冊も出会えば、その百冊がぜんぶちがった百冊であることが分かるし、またほとんどおなじようなものでもあるとも分かる。
「こんなすごい本が世の中に存在するなんて!」と思った本が意外にありがちだと悟る。すっかり忘れていた本を読み返してみたら、その本以降一冊たりとも似たようなものに出会っていないことに気付く。
貴重であるものは必ずしも心に灼き付かない、ということが分かる。もちろん、灼き付くこともある。
あるいは、ぎりぎりで釣り合っていた天秤を一方に傾かせた最後の一滴だけが心に残ることもある。そういうとき、もう一方に傾くにも、ただ一滴で済んだということには、けだし気付かない。
_ ぼくにとって今、かけがえのない本があるとすればそれは、心のとある部分をその本だけが揺らしてくれる、そういう本だ。もちろん心の地質学的状況は人によって違うので、そういう本を不特定多数の人に薦める意義はあまりない。ただ、「今、この人に薦めたい」と思える人に、思えるタイミングで出会えれば、それは幸運と思う。
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_ このところ長いこと夢をみない時期が続いていた。と言っても、実際に夢をみていないはずはなくて、憶えていないだけなのだろう。不意に頬を打たれて目覚めてしまう夢や、覚醒に向けて背中を押しやってくれる夢を、みなくなっていたということなのだ。
ある本を読んだ晩から、いきなり夢をみるようになった。夢の記憶と繋がったまま目覚めるようになった。気分としては、凍結していた水道があったまって、蛇口からあっちゃこっちゃに水が噴き出してきた、という感じだ。
_ クリス・ファーマンが遺した唯一の小説『放課後のギャング団』。適当に悪く、そこそこ繊細な少年たちの物語。ありがち。物語じたいは懐かしいというより、自分も作中にいるみたいに生々しくて、むしろその生々しさが懐かしかった。
子どもの頃はリアルとフィクションの境界が曖昧なもので、「あれ、これって夢だったけ、ほんとだったっけ」と悩むことがあった。ドラマを視ても本を読んでも、まんまと術中にはまってしまって、おはなしの中に入って行きたくて居ても立ってもいられない。
そういう読書の幼年期が、ばさばさと、やかましく羽ばたきながら戻ってきた。もう卒業したつもりの感情が窓をこじ開けて押し入ってきた。今、目の前で物語が起こっているようだった。物語の真ん中まで走っていきたかった。許しがたい奴を懲らしめてやりたかった。軽率な友人にそいつがどんなくだらない野郎なのか思い知らせてやりたかった。鈍い主人公の耳元で「気付け!」と怒鳴ってやりたかった。傷付いている人を、どんくさいキャラに替わって慰めたかった。
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_ どうして夢をみなくなっていたのか、はっきりとは分からない。
どうして夢が復旧したのか、それはもっとわからない。『放課後のギャング団』ひとつの力ではないだろう。いろいろな力が緩めていた場所の、決定的な筋目のところに、この本がこつんとぶつかっただけかもしれない。
たぶん、クリス・ファーマンが書こうとしたことと、ぼくの夢がぼくに報せようとしていることが、迂遠に繋がっているのだと思う。
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_ ここ半月、一日二三回泣く。すごく涙もろい。
なにがどこへ向かっているのか。なんの準備なのか。
_ しかし『放課後のギャング団』というのは、知らない人がふと手に取ってみたくなる邦題ではないな。『チビと脱腸』がいいと思う。
_ 大切なことは言葉にすると、誰から発せられても似たような言葉になる。聞いたふうな言葉になる。大切な言葉はたいてい、すでに誰かによって語られていて、大切なことが書かれた本はいくらでもある。その言葉を、強く聞くことが難しいだけで。
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_ なにかを強く知っている人は、強く撥ね退けることもできるけれど、強く受け容れることもできる。
ただ、撥ね退けるほうが容易ではある。撥ね退けた後は考えなくてもよいけれど、受け容れた後は考え続けなくてはならないから(運命が強引に受け容れさせてくれた場合を除いて)。
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_ 伝えなければならない言葉は分かり切っているのに、言っても無駄だ、ということがある。あるいは、誰かに説得されるとき、すでに知っている言葉がまったくちがった強さで聞こえることがある。
それは、語る側の説得力のせいかも知れないし、聞く側の説得される力によるのかもしれない。
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_ 人と人が通じ合わないとき、説得力が不足しているのではなくて、説得される力が不足していることが往々にしてある。
ふしぎなことに、人は説得力のなさに悩むことは多いが、被説得力のなさに悩む人は少ない。説得される力がないことを、支えにする人がおり、武器にする人さえいる。
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_ ある特定の問題域に関して、未来においても説得されないという決定。それを信仰と呼ぶ。その効果は「迷いがなくなる」、ということである。
自由意志を制限する自由意志というものは、おもしろい。そして怖い。
◆緑の傘◆
金属反応の正体は固定軌道式交通機関の跡―線路だった。横断すると蘇鉄の群落の向こうに海岸が見えた。ウミネコが群れるふたつの陸繋島に区切られた小規模な白砂の浜。
イレギュラーな色彩を検出。汀線限界から3イルギィの位置に傘が落ちている。人間は雨に濡れることを忌避し、これを上肢に把持して降雨を遮った。
接近する。
拾い上げながら操作法を検索し(状態は良好。通常因果を逸脱してここに置かれたものかもしれない)後退しながら開いた。付着した砂が散る。紫外線を浴びて褪色し、緑の濃淡による縞模様になっている。表面に黄色い塗料で文字が書かれている。未解読の文字だが、因果履歴を追尾してみると、遠隔的な願い―祈りがエンチャントされている。貴重な情調遺物。感染効果で好奇心が励起される。好奇心に対する好奇心が喚起される。
腹腔を開いて格納するべきところだったが陽光を遮るように掲げくるくると回してみた。光学認知系を人間水準まで低下させると、文字が黄色い輪になって視えた。情調検索して「わくわく」を拾い出した。反芻してみる。わくわく。わくわく。
「緑の傘を拾う」を「わくわく」を表わす慣用語法として申請する。
この語法は22万7千年にわたって断続的に存続した。
_ 塩野七生がこれを読んで「震撼した」という、アゴタ・クリストフ『悪童日記』を読む。この名作を今頃読んだのである。面目ありません。ブックオフで三冊105円のセールで買えたのだ(セールはもう終わったけど「今だべー!」という感じでいっぱい買った。お金がないのにたくさん本を読みたいぼくにはありがたいことであった)。
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心のやわらかいところにさくっと刃を埋めてくるので「人生変わるよ」という評言も耳にしたことがある。ぼくの場合、これを読んで変われる振り幅はすでに振ってしまっていたが、かえって破格のおもしろさであった。平板きわまりない筆致が、自分の日常感覚に非常になじむ。
読んでいるあいだどうにも、ビアフラ体験(1970年)以後の、なんにつけても無感動になったヴォネガットの内面に想い及んでしまう(内面と言ったって、ぼくの想定上のヴォネガットに過ぎないが)。
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冷え冷えとして、絶望していて、元気。「こどもの作文」はこうでなくっちゃ! という筆致でこれだけ陰惨なことを書かれると、微笑ましくさえある。眼は笑ってない微笑ましさ。
苦くて重たいけれどもじつに軽快にあっというまに読める。比類のない読書体験ではある。作者自身の味わった悲痛を、執拗に反芻し捻じ伏せた後の癒えない疲労。それが、このさりげないほどに実直な筆致を生み出しているのだと思う。
万人向け。読まなかったことを後悔することは、読まないとできないわけだが、読むつもりのない人は後悔しておいた方がいいかもしれない。
(この本、一章数ページの六十二章に分かれており、各章ともある程度の独立性があって完成度が高い。掌編・超短編に魅かれる向きには、またいっそうの興趣があると思われます)
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_ しかしこのラスト、はげしく引きが強いなあ。三部作の残り『ふたりの証拠』『第三の嘘』も読まざるを得ない。いつかな。
◆ひからびさん◆
ピンクひからびさんのカップにお湯を注いで三分。自分で蓋を押し上げ「御用ですかー?」あどけなく尋ねるあつあつのひからびさんに、娘への伝言を頼む。真剣に聴き入る表情は、ごく小さいのに遠くはないので奇妙にあざやか。
人肌くらいに冷めるのを待って、どっこいしょとテーブルに片足を乗せて股ぐらを差し出す。「毛はまとめて掴んでね、痛いから」「あいよっ」ひからびさんは外陰部に取り付き陰唇を掻き分けて高窓から忍び入る忍者みたいにするりと潜り込む。産道を滑らかに遡行して子宮に到達したのがわかる。しばらくもぞもぞして反転。「ぷはー」と言って出てくるところを掌で受け止める。「あなたが最初のお友達よ」「てへへ、羊膜越しでもべっぴんさんでしたよー」ひからびさんは暗視が利くのだ。
翌朝、どぶ臭い水の染みがテーブルまで続いていて、ピンクひからびさんの姿がない。脱走ひからびさんの地下組織に誘拐されたにちがいない。
救助隊を編成せねばならない。
迷彩ひからびさんのカップを三個用意してお湯を注ぐ。注ぎ終わりの時間差そのまま、三分きっかりに迷彩ひからびさんはびしっと蓋を撥ね上げ敬礼する。敬礼する。敬礼する。
_ 答えがやってきたので解けたことは分かるが、そもそも謎なんかなかった。答えは言葉になるのだが、答えを得てなお、なにが謎であったのかは言葉にならない、そういうことがある。
あるいは答えそのもが、問いを見失わせる答えがある。
そして誰もがあらかじめ答えを携えて生まれてくるがゆえ、いつか解かれたということを誰も記憶していない謎があり、それらは忘れ去ることによってしか憶い出すことができない。
という言葉を答えとする謎が、いずこかにある。
_ はやかつ [今頃コメントするのも間抜けですが… このエントリがなければ読まなかったかもしれない『麦ふみクーツェ』を読みました、と..]
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