_ みんな元気だろうか? 元気な人も元気でない人もいるだろうな。
「もう書かないんですか?」「また書いてくださいね」「待っています」いろいろな人が、いろいろな機会にそう言ってくれるのですが、みんな遠慮がちでした。「書いて。でも無理はしないで」ということなのでしょう。優しくしていただいてありがたく、大切に思っていただいてうれしく思いました。そもそもぼくのためにこの場所を用意してくれて「書いて」と言ってくれたNさんMさんありがとうございます。戻ったよ。
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_ 角背で厚手のソフトカバーや雑誌を不用意に開くと、束が割れてしまって、背表紙に一本くっきり皺が入って悲しいです。
誰かに「なにか本を薦めてよ」と言うと、「滅相もない。僕が雪雪さんに本を薦めるなんて、そんなおこがましいこと…」とかなんとか言われることが多いのですが、滅相もなくないです。こんな一日に二百も三百も本が出る国に住んでいて、自分にとって大事な本を漏れなくフォローすることなんてできませんから。ところでIさん、いつもありがとうございます。Iさんが去年の夏にプレゼントしてくれた別マ増刊biancaの創刊号、あなたが教えてくれなければ見過ごすところでした。あのすばらしい「その夜が来たら、自転車で」を。
木地雅映子は、出来が良くても悪くても、出てくれればうれしい作家です。出る、という情報だけでしあわせになってしまう。biancaの真ん中に載っていた木地雅映子のひさびさの短編「その夜が来たら―」は、イラストが五十嵐大介ということはぞくぞくモノでしたが、字が薄くてちっちゃくて、その上文字と重なってオレンジの紋様が踊っているし、加えてページサイズが本より二回りくらい小さいので、背割れを覚悟するくらい開かないとノドのあたりが読めなくて、無茶苦茶に読みにくかったので、そもそも木地雅映子を知らない人はわざわざ読みはしないのではないかと不安になるフォーマットでした。とはいえ、作品のほうは「だから木地雅映子が好きなんだ!」と言いたくなる傑作で、木地雅映子を知らない人に最初に読ませたいと思う感じなので、この作品を収録した作品集が早く出ればいいなと思います。
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_ ひさびさだったので、読む人を彼方に運び去ってしまうようなかっこいいことを書いて、「やっぱり雪雪さんはすごい」とか思われてみたかったのですが、今日は指がひとりでに喋っちゃいました。
_ あるときあるきっかけで眼から鱗が落ちて、眼の前にあるのに気付かずにいた真実に気付く。気付きの衝撃もさることながら、よくもまあこんな明白な答えに気付かないでいられたものだな、という驚き。さっきまでの自分が馬鹿に見えるスリル。
そういう気付きを繰り返して、細菌のコロニーみたいに、じわじわと視野が広がってゆく。それはそれでおもしろいけれど。
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_ 言えることがあるはずなのに、言おうとすると言えない。
答えがある。しっかりある。いつのことか、気がつくと辿りついてた答え。けれどそこに至る筋道がなくて、それがどのような問いの答えなのかわからない。
むかし行ったことがある月のように、星のように、それらの答えは彼方に散らばっている。
うかつに眺めていると、それだけで人生が終わってしまいそうだ。
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考えの宇宙の星々は、だんだんと私に近づいてきて月になる。空に、月と星がたくさんある人生は幸福だと思う。
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まれに、不意に、そこにいる。
月を見上げていて、ふと気付くと地球を見下ろしている。ああ、いま月にいるのだな。来る方法も帰る方法もないのに。
以前より地球が近い。もうすぐ問いが出るのか。「答えが出る」ときのように、「問いが出る」のだろうか。
_ 角川ソフィア文庫の新刊、池田清彦の『生物にとって時間とは何か』は、哲学書房から出ていた『生命の形式―同一性と時間』の改題文庫化です。文庫版あとがきに「ここ十数年の間に書いた本の中では、最も心血を注いだものであると同時に、最も売れなかったものでもある」とありまして、池田清彦は、ここ十数年に共著も含め50冊以上の本を書いているから、その中で「最も売れなかった」とすると、哲学書房が涙目になるくらい売れなかったにちがいなく、文庫化に踏み切ってくれた角川学芸出版の先行きが思いやられる。
ぼく自身親本を手にしたことはなかった。初刊時の2002年にこれを読んどいたらよかったのにようほんとにもう。なんで見逃していたんだかなあ。
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時間に関する本は、とりあえず手に取ってみるほうだが、たいていマクタガートが出てきて、狭いとこ狭いとこに潜り込んでいくような窮屈な議論に終始することが多くて、まあそれはそれで面白いのだが「またマクタガートかい…」と呟いてしまう今日この頃であったけれども、この本の池田先生の筆致は滑りに滑って、彼方へ向かって飛び立たんばかりに幾度もはばたく。
扱っている範囲が広過ぎて粗っぽいところもありますが、めっちゃ刺激的です。こういうメガロマニアックに広闊な世界像を扱った本としては、デイヴィッド・ドイッチュ『世界の究極理論は存在するか』以来のおもしろさでした。
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ちょっと目次から抜き書いてみるが、「時を含まない約束」「時間を孕む固有名の同一性」「クオリアとコトバの非対称性」「生物たちは拘束されつつ、非決定論的な未来を夢みている」「生物と物質で異なる時間の速度」という具合で、これを見ただけで「すぐ読みてえ! 一刻も早く読みてえ!」と思う人は思うだろう。
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議論の過程で援用される「オートポイエーシス」「クオリア」「内部観測」「アフォーダンス」といったおなじみのわやわやな概念も、提唱者が言うよりむしろクリアに表現されていて好適である。特にカール・ポパーの世界1(自然/物質の世界)・世界2(思考/主観の世界)・世界3(言語/記号の世界)という分類を応用して、それぞれの相互作用の諸相を整理してくれる第2章が圧巻なので、2章から読み始めてもよいかもしれん。
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_ 内輪な話で申し訳ないが、5年ほど潜伏し始める直前には、プライベートな掲示板で、理屈を言うのが大好きな友人数人と、まだるっこしい議論を繰り返して超楽しかったのであるが、あの頃ぼくが「原初的なふたつの時計」とか「名前はどのようにして『付く』のか」とかいうフレーズで言おうとしていたことの七割くらいはこの本に書いてあるので、これを読んでおいてくれれば、つづきが喋りやすいです友人たち。もうはばたきたくてうずうずですよw
_ ふくしまFMで不定期にやっている本の紹介コーナーと、図書新聞の書店員レビューの連載、それから「空耳」に復帰したことやらなんやらで、遠くから訪ねて来てくださる方や、電話やおたよりをいっぱいいただいています。ありがとうございます。おたよりにはぜんぜん返信できていません。ごめんなさい。
来店してくださった方は、ぼくが「実在」することを確かめるためだけにいらっしゃった方もおられますが、たいていお薦めした本を何冊もご購入いただくので、いささか弾切れになってきました。これをして「嬉しい悲鳴」と言うのでしょう。早急に手配、手配。
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_ ふくしまFMの本の紹介は、数年前から、うーん累計で60点ぐらいでしょうか、地道に紹介して参りまして、その間3・11を挟んでラジオが震災対応編成になったためしばらくお休みし、また昨年春あたりから再スタートしました。再スタート後は突如県外のお客様からの反応や、県外の書店から「なんの本かはっきりしない問い合わせを受けてるんだけど、なにを紹介したの?」みたいな照会を受けるようになり、「なんで?」と思っていましたが、今はローカルなラジオ番組もnetで聴けるようになっているということで、福島から避難されている方々が避難先でも聴き続けてくださっているようなのです。ありがたいやらうれしいやら、書店員冥利に尽きる、といった感じです。
これからもがんばりますので、よろしくお願いします。
_ すき間 [ずっとこのブログを読んでいた者です。 おかえりなさい。初めましてなのにおかえりなさい。 すごくうれしいです。]
_ 雪雪 [ありがとうございます。ただいま帰りました。ここはもはや懐かしくて、小二あたりの教室のにおいがします。木造でした。]
_ M [おかえりなさい! また楽しみにしていいのでしょうか? ご存じかどうか分からないけど、以前しばらくこの場所が使えなく..]
_ 雪雪 [ご無沙汰しておりました。 今書けてほんとうによかった。 書きたいことはいっぱいあるけれど、問題は、いちばん書きた..]
_ あらまああらまあ [お元気ですか。雪雪さんの更新にめぐりあえたこと、とてもうれしいです。 お会いしたこと/メールしたこと/等々はないん..]