_ 言葉に気付かれないうちに記された詩
筆が触れる前に描かれた絵
声を拒む歌
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与えられる前に失われた命
昨日までに消えたすべての未来
自由を定める掟
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肌が知る虹の外の色の名
くちびるがない世界のキス
神様にかわされた祈りの行き先
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そこにあると知らされれば視える
永遠に
新月のままの月
_ 500文字の心臓では競い合う相手であって、MSGP2006二回戦では対戦もした赤井都さんのマメBOOK作品「籠込鳥」が、アメリカで開催された「Miniature Book Society」主宰の国際豆本コンペティションで、世界中の応募作から年に三作だけ選出されるDistinguished Award Winner Booksのひとつに選ばれました。22年を数えるコンペの歴史の中で日本人の受賞ははじめてとのこと。欧米の豆本文化は大きくて奥が深いからなあ。これは快挙である。
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赤井さんの手になるマメBOOKSはいつも、書物の妖精のような夢の繭のような物語の幼虫のような連想の胞子のような、繊細で優美な形姿をそなえています。
受賞作「籠込鳥」も、今しもなにか知覚では捉え難きものが孵化しそうな、ひっそりと息づくかすかなものの気配を湛えていて、まるで竹や紙や金銀といった物質で書き留められた詩。
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「籠込鳥」はこの秋から一年間、世界のあちこちの都市で巡回展示されるそうです。
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ふと見上げれば曇天の高みを、籠の中の鳥が群れをなして、かたかたかたと空を渡っていく。
見えなくなっても見送り続ける。籠の隙間から。かたかたと貧乏ゆすりをして。
_ おお。ブックオフの文庫フロアに明白にSF者である人からの出物がひと山、105円値付が終わって陳列を待っているではないか。漁る。ぼくの中ではブルース・スターリングの評価が時を経るごとに上がってしまったので、買い逃したしたことを悔いていた『ネットの中の島々(上下)』が最大の収穫。他にグラント・キャリン『サターン・デッドヒート』『サターン・デッドヒート2(上下)』などを。
上巻ばかり読み返していた丸山健二『千日の瑠璃』の下巻も入手。胸のつかえがひとまず下りる。
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ジュンク堂LOFT店に行くとSさんがレジから出てきて、「名文に出会ったんです」と言う。そ、そうなんですか。「読んでみてください」その名文を取りに行きがてにぴたっと止まって、くるっと振り向き「お忙しいですか?」ヒマですとも。
差し出されたのはCOYOTE No.13。フィンランド特集のプロローグ、写真家大森克己の見開き2ページの掌編小説風エッセイだった。雑誌で見かけた文章を、誰かに読んでみてもらいたくて、店頭で薦めてしまうというのは多分よほど好きなのであって、そんなふうに好きなものに出会えるということがすてきだ。よってその文章を読むというよりもむしろ、この文章を大好きになる人がこれを読んでいるときの気持ちを読んでしまう。
Sさんとは半年前のとある酒席が初対面で、その後店頭で一度あいさつしたことがあるだけだったのに「ぜひ読んでもらいたい文章を読んでもらいたい人」の範疇に入れてもらって、たいへんうれしい。読んだことは忘れても、読まされたことは忘れないと思う。
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なにかがどこかへ届くための通路は思わぬところにある。
通路だけがあって届くものがないことも、届けたいものだけがあって通路がないことも。
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_ 自分の身の回りに実際に起こった出来事や忘れ難い言葉を、折に触れ話しているうち、ある日テレビで芸人がネタとして話していたり、公募本に誰かのエピソードとして掲載されているのに何度か出会ったことがある。
ぼくが、斬新に言い回したつもりの言葉も、誰かにとってはどこかで見知った言葉であったりもするだろう。
言葉はほとんどなんの労力もなく、次々と伝えられていくことができる。受け渡されていくとき、力ある言葉は重くて運びにくく、そうでない言葉は軽くて運びやすい、ということはない。それが言葉のやっかいなところであり、すばらしいところでもある。
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あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者が、あれほど生きたいと願った明日
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これは趙昌仁『カシコギ』の一節で、たくさんの人の心を動かし、あちこちで大量に引用されている。ぼくもこれを読むと胸を鷲掴みにされる。
言っている内容は深くはない。容易に気付くことができることだが、言い方ひとつで、ありふれた発想が宝石になる。それが言葉のやっかいなところで、すばらしいところでもある。
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力ある言葉の力など知れたもので、一瞬人の心を熱くして、熱が冷めれば忘れられてしまう。けれど心に宿った言葉の力は、何度でも思い出すことができる。何度でも熱を発してくれる。
言葉が、人の背中をどこまでも押してゆくことはできないにせよ、誰かがもし、ほっとする未来と悲しい未来の境界線上にいるときには、少しだけ足りない勇気にほんのひと押しを加えるぐらいのことはできるだろう。5%あった可能性が6%になったために叶う、そういうこともあるだろう。
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3年前、2ちゃんねるをさまよっていたとき、「10年間抱いてきた希望が潰えた。精一杯やってきたことがぜんぶ無駄になった。10年前に戻ることもできない。この先、生きていてなんの意味があるのかわからなくなった」そういう意味の書き込みに出会い、レスを付けた。
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「10年後にはきっと、せめて10年でいいからもどってやり直したいと思っているのだろう。
今やり直せよ。未来を。
10年後か、20年後か、50年後からもどってきたんだよ今」
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この言葉が思わぬところで引用されているのに何度も出会って、検索してみると大量にヒットした。前後にストーリーが付加されて、フラッシュになっているものまである。驚いた。
いずれにしても、この言葉がほんのちょっとでも誰かの背中を押してくれることがあるなら、それはさいわいだと思う。
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これは10年前のぼく自身へのメッセージでもあった。あのレスを付けた日の10年前、ぼくは二階堂奥歯に出会った。未来の自分からのメッセージはぼくに伝わっていて、10年前の背中を押した。彼女を失った時から、出会った今に戻してもらったのだと思った。何年戻ったのか、それは分からなかったけれど。
ぼくは未来の記憶も経験も持っていなかったが、気にはしなかった。どうせ戻してもらう前にはできなかったはずの選択をひとつでもできれば、未来も、ぼくの得る経験も変わってしまうのだ。そして彼女も。
10年を取り戻してもらっても、人は大したことができるわけではない。ひとつのことに全力を振るうことはできない。その力を支えている別のことを大切にしなければならないし、がんばれば障害もあらわれる。あちらを立てればこちらが立たない。ベストを尽くしたと納得できるようにはならない。
せいぜいもう少し思い切ったことができ、休息を後回しにして急ぐことができ、無駄と分かっていてもしてしまう堂々巡りの回数を減らせるくらいだ。そしてそれが決定的であることを祈るしかない。
自分に好意的に解釈すればぼくは、2年を戻ってそれを10年にしたのかもしれない。あるいは周囲の努力を無にして20年を10年にしてしまったのかもしれない。どちらもあり得ただろう。
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ベストを尽くしたと納得できるようにはけっしてならない。どんな場合でも起こらなかった別の可能性、実行しなかった別の方法が存在するから。ゆえに、どんなにがんばることができたとしても、人は後悔しようとすればできる。
なにか経験して、後悔して悟ること。「どうしてこんなことがわからなかったのか。あれぐらいできたのではないか」と思うようなことは、経験する前に悟っておきたい。「どうしてこんなことが」と言いたくない。その程度のことならやらかす前に空想して後悔しておきたい。後悔を先に立てたい。1年でも5年でも10年でも。失ってからどんなに大切だったか気付くなんて御免だ。
そんなふうに思ってもどうせ浅ましくだらしなく頼りない自分なのでおなじような失敗を繰り返すのだが、期待していないからがっかりもしない。耐え難い悲しみをせめてひとつ余計に、できるならもうひとつ余計に回避できるように、もう少し思い切って、ちょっと急いで、せめて堂々巡りをいい加減にしてゆくだけだ。
死ぬ前にする後悔を、今しながら。
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_ 雪雪 [☆Lanaさんへ ずっと前、友人が叙景集が好きだと言ってくれて、 「山や野原や街に持って出て、ぼろぼろになるまで読み..]
_ 虹を指さすな(001) [雪雪さん、Lana さん、こんばんは。 『記憶の国の王女』の件、10 年後から戻ってきたかいがありました。 雪雪さん..]
_ 雪雪 [☆虹を指さすな(001)さんへ この日付ではたいへん御無沙汰いたしました。「失われた物語たちの墓」を立ち読みしてまい..]
_ 虹を指さすな(001) [(あ、増えてる! いーや、開き直って書いちゃお) 雪雪さん、お久しぶりです。 もし「反応したいところ/ゆっくり」が終..]
_ 雪雪 [☆虹を指さすな(001)さん、毎度どうも。 モンンテロッソ出たのか! モンテローソ表記のほうがなじみなのですが。 こ..]
_ 現代詩が好きな人にリアルで会うことはほとんどない。「榊原淳子好き」と口に出したら「好き!」と返ってきたのはとある版元の営業さんだったが、あのときは二人して燃えた。溜まり溜まったものがあったので。酒席だったし。
榊原淳子の代表詩集『世紀末オーガズム』は、すごく良いときの姫野カオルコと対比する評言をどこかで読んだ。と書いておけば宣伝になるであろう。
ところでSF系女子に出会いたい。リアルでちっとも会わない。親しかったSF系女子は様々な事情でみな会えなくなってしまった。寂しいよ。
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そこでやはり寂しさをまぎらわすには榊原淳子である。彼女のエッセイ集『ヌーン・ムーンを見るために』(思潮社)は、無論入手困難であるが、貴重な一冊である。ときどき読み返す。燃えるから。
だってこれですよ。
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「とにかく今の私にとっては、SFが一番面白いのだ。(中略)私はこれまで、SFというものをあまり読んだことがなく、熱中しだしたのは、ほんの最近のことなのだ。
きっかけはJ・P・ホーガンだった。誰もがほめる例の『星を継ぐ者』、『ガニメデの優しい巨人』、『巨人たちの星』の三部作を読んだとき、あんまりおもしろいものだから、途中で止めることができなかった。はるか昔に失ってしまった読書のヨロコビというものを、久しぶりに奪還した気分だった。それ以来、SFの存在は私に、生きる希望(あるいは娯楽、あるいは快感)を与えるまでになった」
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だろう!
SF系男子のつぶらな瞳は、感涙ににじまぬわけにはいかない名文である。
そして『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、『ソラリスの陽のもとに』、『百億の昼と千億の夜』、『弥勒戦争』などなどを語った後、こうくる。
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「ラリィ・ニーヴンの『太陽系辺境空域』は、短編集のためか、あまり面白くなかった。そのあとで、彼とパーネルとの共著である『神の目の小さな塵』を読んだ私は、もう、彼らの他の作品を読むのが怖くなってしまった。
素晴らしすぎた。
私の、浅い読書体験における、ダントツの一位が、この『神の目の小さな塵』だ。ホーガンの例の三部作をも、簡単に抜き去って。
世の中には、たくさんの本があふれかえっていて、毎日一冊ずつ読んだとしても、死ぬ迄に読みきることはできない。(中略)でも、これだけは本当に、生きてて良かったと思わせてくれる本だ。『神の目の小さな塵』に、奇跡的に、めぐりあえたことは、私のとても大きな幸福だ。でも、まー、他の人にとっては、それほどの本でもないのかもしれないけど。
『神の目の小さな塵』を読んで、SFの可能性を思った。SFにあんなことができるのか、と感心した。私も、ああいったことがしてみたいのだ。
ひとつの言葉は、その言葉どおりにとらえていたら真実を見失ってしまう。反対に、言葉をダブつかせること、逆の言葉を逆に読ませることで、真実だけを抽出する方法がある。というより、そういう方法でしか真実はレリーフできない。(中略)私も、なるべく早い時期に、ああいったことがしてみたい」
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だろう! SFっていいでしょう? ね? ね? ね?
と、長々と引用したのは他でもない、『神の目の小さな塵』(創元SF文庫)が復刊されるからで、榊原淳子は日本一『神の目の小さな塵』を好きな人である可能性があるから、ちょっと評価を割り引いてもらうとしたってこれで買わずにはいられまい! 読んでない人は。
創元さん、なんかください。あるいは榊原さんになんかあげてください。
_ オリアナ・ファラチという女性ジャーナリストの訃報をネットでちらりと見かけて、そのまま通りすごしそうになって、はっとした。
『ひとりの男』(講談社)の著者だ。当時の表記はオリアーナ・ファラーチだった。
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十数年前、いろいろなジャンルのオールタイムベストを選ぶブックガイドブックで、「地上最強の恋愛小説」とあったので注文して購入した。それを見かけて同僚のIが、「あっ、俺も注文しなくちゃ」と言った(デイヴィッド・ロッジと幸田露伴を愛する男だった)。以前『ひとリの男』を読んで、いたく気に入ったものの、まだ本は持っていなかったらしい。Iは、ぼくの出会った本読みの中でも、「切れる」と形容したくなる破格の目利きであったから、ますます期待は高まった。ぱらぱらっと目を通したとき、そんじょそこらにある代物ではないということはすぐ分かった。腰を据えて読まなければならない。
ところが後日、Iには「品切重版予定なし」の返事が来たのである。「頼む! 譲ってくれ」と言う。申し訳ないが断る。だってすごそうなんだもの。「二倍出す」と言う。当時で税込3000円の本だ。そんなに言われるとますます譲れないではないか。「一万円でどうだ」まで吊り上がったが断った。運命だと思って、がんばって古書をあたってくれ(でもこれを買うような人は、おいそれとは売却しないだろうなあ)。
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ところであれから十数年、『ひとりの男』をまだ読んでいない。腰が据らなかったのだ。
地上最強の恋愛小説はいまだ伝説のベールに包まれている。
転職したIはどうしているだろう。
そろそろ読む頃合か。
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記録天使が行き交っている。
なにかが起こる前にその予兆を記録しているのか。こうして記録天使のことを記録している私のことも、ついでに記録しているのか。
なにもかもがなにかの予兆であって、すべては記録天使の記録が書き終えられることの予兆である。
記録天使の記録が書き終えられることは、記録天使の記録に残らない。それはなんの予兆でもない最終の事実の予兆である。
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会えば仲良く笑いあって、今はもう痛みなど感じないのに、借りっぱなしの本をひさしぶりに開いてみると見返しにサインがある。旧姓の。
独身のままのサインだけ手元に残すことはできないから、買い直して返した。
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_ 「私はいつも、神に対して自分を放棄し過ぎることがあるだろうか、ここから先は行くべきではないという限界があるのだろうかと考えていました。人間が「不可知のもの」に到達するためには、その全存在を支払わなければならないのでしょうか。試練を受け入れるために自分の意志を放棄することと、意志も能力もなしに生きることはまったく別のことです。自分を神に捧げるのはよいとしても、神がそれを受け取ってしまうことは恐ろしいことだと、その時の私は思ったのです」
バーナデット・ロバーツ
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子どもの頃、どこからともなく援けにきてくれるヒーローだとか、裁かれない不正を正しにきてくれる正義の味方だとか、ある日迎えに来るほんとうの両親だとかを、夢想したことがある人は少なくないと思う。
ぼくが待望してやまなかった救済者は「精神科の天使」といったものだった。呼称はいま考えたので、子どもの頃そう呼んでいたわけではない。空から舞い降りてきて、大人たちも納得せざるを得ない強い説得力で、「この子は狂っている。休ませてやりなさい」そう伝えてくれる存在。あるいは「あなたは狂っているけれど、大丈夫だよ」と言ってくれる存在。
周囲が狂っているとは思わなかった。自分がどこか狂っていると思っていた。どこがどう狂っているのか、言い表す語彙がなかった。自分に対しても。
田舎だしともだちもたくさんいたし、いつも陽気に遊び回っていた。しあわせだった。しかし苦しかった。わくわくする日々を包含して苦しかった。
成人してから、希死念慮を母に打ち明けたとき、母はおどろいて言った。「あなたは子どもの頃から『生きていることが大好きだから、ぼくはぜったい自殺しないよ。自殺する人はばかだと思う』っていつも言ってたじゃない」
言われて思い出した。確かにぼくは繰り返し、自分にそう言い聞かせていたな。それはそれで確かに本心だったのだ。でも安心しないでくださいお母さん。あぶないと思うよ、その子ども。
ともあれ今日まで齢をとることができた。今は元気です。たくさんの人に、ありがたくも支えてもらった(もらっている)。そしてときどきに、ぼくの力では現実から学べないことを、本が教えてくれたのだ。
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バーナデット・ロバーツの『自己喪失の体験』(紀伊国屋書店)が、復刊されているのに今頃気付いた。この本を誰かに薦めたいと思う機会は何度もあったのに、長い間品切れでその度に残念に思った。気付かずにいたのは迂闊だったが、復刊したとはいえすでに二年経っているので、今度もそろそろ在庫があやしくなっている頃だろう。
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バーナデット・ロバーツは、キリスト教の伝統に沿った瞑想修行を続ける主婦だったが、ある時「自己」が無くなってしまったことに気付く。そのときを境に世界は変貌し、彼女は神、あるいは神のごときものと出会ってゆく。未知の状況に困惑した彼女は、古今の文献を渉猟するが指針になるものは見つからない。
この本は、その体験の推移を丹念にたどったものだが、バーナデットは自己とともに通常の意図や欲望も失っており、自分の貴重な体験を衆生に頒ち与えよう、といった尊大さとは無縁である。彼女は、自分の他にこういった境涯に陥った人がいたときに、幾許かのしるべになればという動機で、起こったこと感じたこと視えたことを坦々と記してゆく。自己のない実存の、体験に根差した洞察。筆致は静謐にして透明。指針がなかったと言うだけあって、既存の宗教の神秘体験の位階を表わすそれらしい用語も極力使われていないから、かえって微に入り細に穿った精細な描写が鮮烈である。憧憬を感じるよりもむしろ、怖ろしく生々しく、逃げ出したくなるほどだ。
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今回読み返して、『知覚の呪縛』、『死と狂気』といった、病者の内面からの視界に果敢に(あるいは掟破りに)踏み込んでゆく渡辺哲夫の一連の精神病論を連想させられたが、バーナデット自身友人に忠告を受けている。あなたの体験は精神病の症状に過ぎないのではないかと。その意見はあながち的外れではないと思う。
そもそも「自己を失う」とはなにがどうすることよ? という向きもおありと思うが、そこはそれ、読んでいただくにしくはない。「自己」と「神」に関心があるうえで、読んで無駄、ということはまずないと思われる。
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ぼくはこの本にとても勇気づけられた。
ある意味狂っていても、世界が見知らぬ表情に変わってしまっても、先の見えない一人きりの混迷の道を、冷静に客観的に、知性を保ったまま進んで行くこともできる。たとえ稀でも、それが可能な場合はあると知ったから。
近接したテーマで、本書よりも奥深く射程の長い書物は存在する。しかしぼくの目の前に、ちょっと遅い気もしたが待ち切れるタイミングで舞い降りてきて、「大丈夫」と言ってくれたのは他ならぬこの本であり、今も代りになる本はない。
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_ 長いあいだ本を読んでいると
本を読む霊が遊離してくる
幾体も幾体も
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本を読もうとするといそいそと寄り添ってきて
いつもじっとそばにいる霊がいるし
遊離してから一度だけ戻ってきて
それきりのやつもいる
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話が合う霊も合わない霊もいて
霊どうしも
好きな本はおなじだったりちがっていたり
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わくわくしていると
泣いている
憎んでいる
くだらないなあと思っていると
指をあてて一行一行丹念に読んでいる
明日への希望を掻き立てられていると
うつらうつら寝ている
それを
別の読書霊が叩き起こす
それを
離れたところから見慣れた景色として眺めている霊は
とある霊から遊離した霊の霊で
びっくりしているのか
怒っているのか
恋に落ちたか
よくわからない霊がまたどこからともなく遊離して
あたふたと走り回っている
今ぼくが読んでいるページの上を
群れで
.
落ち着け
.
.
うまれたばかりでちいさくて読書が大好きな読書霊は
本を読んでいないときには
本を差して髪の毛をひっぱる
読んで読んで読んで
そのくせ気が散りやすくて
読んでいる本とは別の本の記憶を読みかじっては
頭の中で
朗読する
_ 本も好きだが本屋も好きだ。本屋に行きたくて仕方がない、ということはないがしかし通りすごすことができない。入ってしまう。入ってしまうと出てこない。
脳は獲得することに劣らず、探索することを幸福に感じる。探索するモードで出会う本は格別で、家で読むのとは読み心地がちがう。何気なく手にとった小説にたちまち捕えられて知らない詩人の詩集に捕えられて初めて聴く言葉をタイトルにした新書に捕えられて、「よろしくお願いします」鞄の中でずっしりしている本たちと挨拶しあいながら「また買ってしまった…」帰る帰り途が好きだ。
読むのが速いほうで、店頭で飛び飛びに読んで見極めをつけてから買うから、買って失敗したと思うことはあまりないが、家で読んで「まだ買ってないときのほうがおもしろかったなー」、と思うことはよくある。人に向ける恋心とおなじで、もう会えないかもしれないときや、自分のものでないときに、いっそう掻き立てられるものがある。浅ましい限りです。
そういう意味では、心ゆくまで蒐めた本に囲まれた蔵書家よりも、自分のものでない本に囲まれている書店員は幸せかもしれない。いつも掻き立てられた心で本をひもとくことができるから。もちろん、どちらかの立場を選べと言われたら私は前者を選ぶけれども。浅ましい限りです。
.
.
ある日、本屋を回遊しながら、ふと一冊の歌集を手に取る。めまいするような一首に出会う。時間が止まるような一首に出会う。これはまずい。予定外に欲しい。ところが落ち着いておなじ歌を読み返すと、意外に残るものがない。最初の驚きは色褪せてくる。「初読のインパクトはあるが、熟読玩味に堪えない」というような評言をくだしてみる。買ってないからより魅力的に見えるタイプの本だと思うことにする。なるべく買わずに済ませたいのだ(貧乏で、かつ徹底して客観的であることは難しい)。
詩歌棚を離れうろうろするが、足が私をその棚の前に戻してしまう。別の歌集を覗くがどうも眼に入ってこない。今はこれではない。さっきの歌集をあらためて手に取って読み返す。印象は変わらない。しかし考えが変わってくる。
一首の力で一瞬どこかに運ばれる。しかし数秒後に読み返すときには、すでに読んだ憶えがあって、それはもはやおなじ体験ではない。おなじ歌だから。その歌の力に対する構えが、心にできてしまっている。不随意に受身をとってしまう。
不意をつかれた一瞬だけ、どこかに届く。届いた場所の記憶は残らない。「届いた」という記憶だけが残る。それでいいではないかと思えてくる。普通に感動するより、そっちのほうがよほど凄い気がしてくる。いよいよ欲しくなる。
頭に残らないものも、体には残る、ということもある。頭はすかさずもぎ離されて、その場に跳ね戻ってくるとしても、手は反射的に「どこか」を掴んで、なにかを千切り盗ってくるかもしれない。いつかは。
結局観念して、買う。江田浩司『ピュシス ピュシス』(北冬舎)。念のため言っておきますが、全部が全部一瞬が勝負の歌ではない。
迷っているうちに、店頭でほとんど読んでしまったが、私はとても忘れっぽいので、ほとぼりが冷めた頃にまた読み返そうと思う。
なにかを思い出そうとすることは随意にできても、忘れようとするとそのことを思い浮かべずにいられない。そこが記憶の難しいところなので、忘れっぽいという短所はときにありがたい。
まかせたぞ脳よ。早く忘れますように。
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切り口が人間の貌
草の香をからからと眼に塗り込める
風
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江田浩司
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きれいにダンボールに収まった廃墟が届く。産地直送で、滅びたての。
かろうじて残るぬくみが、豪雨に急速に冷やされている。かすかに、歌うたう機械の奏でる夏の日の恋の歌が、雨音に紛れがてに聴こえる。
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「おにいちゃんなら絶海の孤島の翡翠の城に、ピーマンがだんだん好きになる魔法を取りに行ってます」
少女は無愛想に言う。
「それは君の好き嫌いの言い訳にはならない」
家庭教師は煙草を揉み消す。触手で器用に。
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酸素を失ったぶん老いに蒼らんだ血液は静脈を流れる。すれ違う動脈の音楽。永遠にすれ違い続ける流れ。過去の心臓に押され、たちまちに老い、未来の心臓に迎え入れられればそこで、赫々と甦る。
とある心臓から動脈を経て静脈へ、そしてまた次の心臓へと受け渡されて、赫らみ蒼らみうねうねと長い旅路をどこまでも血液は流れてゆく。遠い未来には、ふしぎな、誰も見たことのない、止まっている心臓があるという伝承にはまだ半信半疑のまま。
_ 言葉を組み合わせ、配列するだけで、私の心には直前まで存在しなかったものが存在するようになる。
言葉では言えないこと。それはすばらしいけれど、どちらかというと私は、言葉でしか言えないことの方が好きだ。
言葉では言えないこと、それはすでに「世界」にありふれ、「世界」の主要構成要素となっている。
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言葉でしか言えないことが、言葉では言えないことの輪郭である。言葉でしか言えないことが、言葉では言えないことをきわやかにする。
言葉でしか言えないことがあたらしく言われるたびに、言葉では言えないことがあたらしく気付かれる。そのとき「世界」は変わり、言えることと言えないことの境界が変わる。
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そして、けっして言葉でしか言えないこと、言葉で言われない限り永遠に示され得ないことだけが、「世界」を踏み切っていく。
_ そろって本が大好きで、祖父母から孫いとこまで連れ立って繁く通ってくださるありがたい御一家がいて、その中にあってぽつりとひとり、本を読む習慣のないのが大黒柱のお父さんで、かねがね「なにが楽しくてあんなに本を読むのかねえ…」と漏らしているのを聞いていた。ここでは栗田さんと呼ぼう。90年代初め頃のことだ。
栗田さんは仕事のほうも脂が乗り切った壮年の実業家。あるとき休暇を前に相談を受けた。「今度ハワイに行くんだけど、飛行機の中で暇潰しに読む本を一冊紹介してくれませんか」。
本を読むということは意外に体力を使うもので、若い頃から培った読書力という筋力がないと、疲れるし頭に入ってこないし集中力がもたない。五十の坂を越えて、読みつけない本を読み始めようというのは、家族に歩み寄ってみたいという気持ちの後押しがあってもなお、容易には征服し難い懸崖であると思われた。さてなにをお薦めしたものか、これは悩んだ。
このときミッションインポッシブルを託し、ハワイ任務に派遣したのが航空サスペンスの白眉、トマス・クック『超音速漂流』(文春文庫)である。内容のほうは検索でもしてもらうとして、旅客機の機内で読み始めたら臨場感抜群であろうと思ったのだが、正直一か八かの心持ちだった。
そろそろ帰国された頃かなー、と思っていたその日は奥様が一人で御来店になった。笑っている。満面の笑みである。
「お父さんったらねえ、飛行機の中で読み始めて夢中になって、『いやー、本というのはおもしろいなあ、今まで読まずにきてしまった後悔もしている暇がないほどおもしろいなあ』ってハワイに着いてからもホテルに籠もりっきり。家族も観光もそっちのけで読んでたんですよ。旅行の意味ないし。あの人が小説を一冊読み通すなんて天変地異。帰りの飛行機よく落ちなかったものだわ」
なんとまあ『超音速漂流』は、不可能に近い任務を完遂してくれたのである。
嬉しかった。観光旅行を台無しにしてしまったとしても、これは申し訳なくない。こちとら本屋だから。
これを機に栗田さんはエンタメの広野を旅する人となり、『超音速漂流』を度々まとめ買いしてくださいました。「布教」と称して知人の方々に配っていたようです。後年品切となったときには、「そんなことがあっていいのですか? 世も末だ!」と愕然たる面持ちでしたが、栗田さん、驚くことはないのです。世界は何度も終わっています。
.
その後、『超音速漂流』はネルソン・デミルとの共著あつかいとなって時代設定を現代寄りに移し、技術系の旧びた部分に加筆修正を施した改訂新版として2001年めでたく復刊。現在のところ生きています。
新版は読んでいません。「前半きもちテンポ落ちてる」という評も耳にしますが、まあ、ちいさいことは気にしないで! なにせ本に無縁の人ひとり、一撃必殺で本好きに変えてしまった『超音速漂流』ですから。
豪快な設定なので粗っぽいところもありますが、ハイテンションを保ちながら引っ張りに引っ張るサスペンスの疾走力はハラハラハラハラハラハラハラハラハラハラ(息が!)の連続。比類なき徹夜本と言えましょう。読者を選ぶとしても、十人中九人は選ばれる見当か。いや八人ぐらいかなw
.
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航空サスペンスと云えば、サスペンスの強烈さでは譲るものの、格調と世評は本作を凌ぐ、ルシアン・ネイハム『シャドー81』(新潮文庫)がカタログアウトしている。「今後この手のもので、これ以上の作品が出るとは思えない」筒井康隆がそう評した稀代の名作であったが、これが消えるとあれば、もうなにが消えても驚かないなあ。いずれ復刊されて、いずれまた消えるのだろうが。
◆降臨◆
からっ風だけが通う雲上の学校。
ここは寒い。というより、ほとんど温度らしい温度がない。張り詰めた頭皮の校庭は髪の毛も血の気も失せてしまって、世界はもう存続することに関心がない様子だ。
巫女は以前見かけたときのまま、倦み鳥の玉座に座って待っている。足音は聞こえているだろうに、落っことした眼球を眺めているようなからっぽの視線を、こちらに向けようともしない。
「神さまはどちら?」そう尋ねると、右腕だけが吊られたようにゆるりと持ち上がり、答えもせずに鼻をほじりはじめる。異教徒とみて侮っているのか。思わずむかっとする。彼女の鼻の穴から、つーっと神さまが垂れてくるまでの、みじかいあいだだったが。
_ XNcoHvi [RueTMKJ]