_ そろって本が大好きで、祖父母から孫いとこまで連れ立って繁く通ってくださるありがたい御一家がいて、その中にあってぽつりとひとり、本を読む習慣のないのが大黒柱のお父さんで、かねがね「なにが楽しくてあんなに本を読むのかねえ…」と漏らしているのを聞いていた。ここでは栗田さんと呼ぼう。90年代初め頃のことだ。
栗田さんは仕事のほうも脂が乗り切った壮年の実業家。あるとき休暇を前に相談を受けた。「今度ハワイに行くんだけど、飛行機の中で暇潰しに読む本を一冊紹介してくれませんか」。
本を読むということは意外に体力を使うもので、若い頃から培った読書力という筋力がないと、疲れるし頭に入ってこないし集中力がもたない。五十の坂を越えて、読みつけない本を読み始めようというのは、家族に歩み寄ってみたいという気持ちの後押しがあってもなお、容易には征服し難い懸崖であると思われた。さてなにをお薦めしたものか、これは悩んだ。
このときミッションインポッシブルを託し、ハワイ任務に派遣したのが航空サスペンスの白眉、トマス・クック『超音速漂流』(文春文庫)である。内容のほうは検索でもしてもらうとして、旅客機の機内で読み始めたら臨場感抜群であろうと思ったのだが、正直一か八かの心持ちだった。
そろそろ帰国された頃かなー、と思っていたその日は奥様が一人で御来店になった。笑っている。満面の笑みである。
「お父さんったらねえ、飛行機の中で読み始めて夢中になって、『いやー、本というのはおもしろいなあ、今まで読まずにきてしまった後悔もしている暇がないほどおもしろいなあ』ってハワイに着いてからもホテルに籠もりっきり。家族も観光もそっちのけで読んでたんですよ。旅行の意味ないし。あの人が小説を一冊読み通すなんて天変地異。帰りの飛行機よく落ちなかったものだわ」
なんとまあ『超音速漂流』は、不可能に近い任務を完遂してくれたのである。
嬉しかった。観光旅行を台無しにしてしまったとしても、これは申し訳なくない。こちとら本屋だから。
これを機に栗田さんはエンタメの広野を旅する人となり、『超音速漂流』を度々まとめ買いしてくださいました。「布教」と称して知人の方々に配っていたようです。後年品切となったときには、「そんなことがあっていいのですか? 世も末だ!」と愕然たる面持ちでしたが、栗田さん、驚くことはないのです。世界は何度も終わっています。
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その後、『超音速漂流』はネルソン・デミルとの共著あつかいとなって時代設定を現代寄りに移し、技術系の旧びた部分に加筆修正を施した改訂新版として2001年めでたく復刊。現在のところ生きています。
新版は読んでいません。「前半きもちテンポ落ちてる」という評も耳にしますが、まあ、ちいさいことは気にしないで! なにせ本に無縁の人ひとり、一撃必殺で本好きに変えてしまった『超音速漂流』ですから。
豪快な設定なので粗っぽいところもありますが、ハイテンションを保ちながら引っ張りに引っ張るサスペンスの疾走力はハラハラハラハラハラハラハラハラハラハラ(息が!)の連続。比類なき徹夜本と言えましょう。読者を選ぶとしても、十人中九人は選ばれる見当か。いや八人ぐらいかなw
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航空サスペンスと云えば、サスペンスの強烈さでは譲るものの、格調と世評は本作を凌ぐ、ルシアン・ネイハム『シャドー81』(新潮文庫)がカタログアウトしている。「今後この手のもので、これ以上の作品が出るとは思えない」筒井康隆がそう評した稀代の名作であったが、これが消えるとあれば、もうなにが消えても驚かないなあ。いずれ復刊されて、いずれまた消えるのだろうが。