_ ある種の敬虔さを前にして、すべもなく内容のない祈りを祈る。なにを願うとも、なにを誓うとも言えず、ただ祈るほかない祈りを。
_ たとえば、絶対に子どもを産まないという決意ゆえに、そして将来その決意を翻すことを許さないがために、外科的処置を自分に施そうとする女性がいるとする。
ほとんど例外なく両親は激越に反対するであろう。わが子は体に、自分は心に、不可逆な損傷を負うからである。
よしんば、わが子を尊重するがゆえに許容する親がいたとしても、その人の心は損傷する。わが子を大切にすることがわが子を損傷し、同時に、わが孫を削除するからである。
_ わたしの従う神。その聖典にはただ一行の教義が記されている。
「わたしを信仰してはならない」
_ 名。そして名たち。そして、名たちについての名。
_ 文字を連ねて意味のある文章をつづることは、さして難しいことではない。けれどどうして、さして難しいことではないのか、それは理解しがたい。
今もこうして、なにかしら書けてしまうことにぼくは驚く。いくら書いても慣れない。なじまない。
ここに書き付けていることはどうやら、ぼくが言いたいことではなくて、
言おうと思って書き始めたことではなくて、
どうやら自分が書いたはずの文章を読み返せば、どこから湧いてきたのかそれは、不測の意味がうるむように滲み出していて。
だのに次の言葉へと導かれるぼくの指は知らんぷりをして今しも、「知らんぷりをして」と書いてみせる。それはきっと「知らんぷりをしていることさえ知らんぷりのものたち」からのしらせなのだ。
言葉では言えないことはたくさんあるけれども、言葉が言っていないことさえ、ぼくたちは読んでしまう。言うつもりもなく、言った気もしないことがここに、書かれてしまうなんてかたじけないことだと思う。ご親切に感謝する。
_ 樹に出会うために森へゆくように、言葉の瞳に映ろうとして文字を書く。
分泌液のように滴った言葉を指でねぶり延ばして、漂ってくる意味をくんくんと嗅ぎ付けて、経験にない匂いがなぜか同定されてもそれは、たとえようもなくだから名付けようもないという名前が付いた、匂い。
じぶんがなにを言うために喚び出されるかという予感もなく、ただ誰かの指先から滲み出してしまえばもはや、記憶だったものたちは乾き切る前にじぶんを名付ける他ない。
名。そして名たち。そして、名たちについての名。
_ 言葉たちは、ながいながいひとつの名前のように書かれたならば、またいつか喚び出される希望がある。
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_ いつも脳裏によみがえってくるのは、藤崎あかりの、ふたつの後姿だ。
_ 藤崎あかりが『ヒカルの碁』のヒロインであることは確かだ。しかし不確かだ。20に及ばんとする巻数を重ねながら、これといって特筆すべきエピソードもない。作劇上これほど存在感のないヒロインもめずらしいのではないか。超越論的壁の花である。
けれども2ちゃんねるの漫画板あたりをのぞいてみれば、藤崎あかり萌えスレがざくざく立っている。エロ板にも伝染しているようだ。好きなぼくでさえ(これほど人気があるとは・・・)感嘆するくらいだ。
ひたすら小畑健の画力のみによってキャラが立っている。そういうことなのだろうか。
_ 小畑健は『ヒカルの碁』連載開始当初はけっして、突出して画のうまいマンガ家、というまでのあつかいではなかったと思う。それが今では、「いちばん画のうまいマンガ家って誰?」という質問を二十人にすれば、確実に何票か入る、というポジションに到達している。
マンガ家としての成長期とでも言うのだろうか。描くほどに上達していく時期だったのは確かだ。けれど、経験値を重ねるような熟達とは、ちがった種類の変化がかれにはあったと、ぼくは思う。
_ 13〜14巻の佐為と塔矢行洋との対局を境に、小畑の画風は急激に変貌をとげていった。
これまでの展開の中で、もっとも高階の知的なせめぎあいを描く中でかれは、それまで自分の画をもって語らせ得るとは思っていなかったなにかを、語り始めたのだ。
画面上に常に漂っていたほのぼのとした雰囲気(それは小畑の持ち味だったが)は、思い切りよく一掃された(ほのぼのとしたエピソードがなくなったわけではない)。
引き換えに吹き込まれたなにか。
それはいったいなんだろう?
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将棋のはなしになるが、田中寅彦が著書のなかで、有名な「羽生のため息」について述懐している。
羽生善治は対局中に印象的なため息を洩らすことがある。それがあまりに深く大きくて、周囲にもはっきり聞こえるので、「『羽生のため息』が出た」と、慣用句的に言い慣らされているほどだという。白熱した対局のなかで、自分の勝利が見えたとたん、これが出る。けれどもそれは、ほっとしたため息ではない。「こんなにすばらしい将棋だったのに、相手のつまらないミスでこの楽しい時間が終わってしまう」という落胆のため息なのだ。いかにも無念そうなひびきが、相手の気持ちを逆撫でせずにはおかない、そんな(天才ならではの)しぐさなのである。
_ ぼくは『ヒカルの碁』をリアルタイムで追いかけてはいなかった。
第二部開始前、番外編として描かれた(主要なサブキャラを主役にした)六つの短編、その塔矢アキラの回を、コンビニで立ち読みした。読み終えたぼくは、そのままコミックスを買いに走った。
塔矢アキラは、本編では主人公ヒカルのはるかに先を歩む目標としての役割を担う。この短編はアキラとヒカルが出会う直前のエピソードである。
―小学六年のアキラの力は卓越していて、天才ゆえの孤独を感じていた。好敵手と期待した少年との対局にアキラは勇んで臨むが、相手の力量を見定めるとともに、序盤の引き締まった表情がだんだんと緩んでゆく。この緊張から弛緩への表情のグラデーションが絶妙の一言だ。
コミックス18巻の29ページにあたるこのシーンは、「勝ってしまうことへの失望」そして「満たされぬ知的な欲望」の気配を、ため息のように発散している。
_ 佐為と塔矢行洋の対局以降には、(第一部終了直前の「黒いコマ」を始めとして)天才的なコマがいくつもあるけれど、
17巻の109ページと19巻の149ページには、他でもない藤崎あかりの後姿がある。
ぼくはいつもこのふたつのコマ(とそこに至る繊細な流れ)に感嘆してしまうのだ。
ひとつめは、ヒカルに「一局打たねェ?」と誘われて、ついてゆくシーンだ。ヒカルの歩幅に追いつこうと少しだけ早足になって、ヒカルの視界から外れているために(無警戒に)ちょっとウキウキしているのが、(読者には)バレバレの後姿、かわいいぞ。
ふたつめは、先生から「第一志望ギリギリ」と言われてめげているあかりが、帰り道ヒカルの母親に会い、(がんばってる)ヒカルの話をきいてじわじわっとやる気が湧いて、ファイトコールしながら(巡航速度をちょっと超える速さで)走って帰る後姿である。そして、まさにそのような後姿でしかないところがすごい。(たとえば「父危篤の報に、収容先の病院に心を馳せながら、全力疾走する後姿」ではない。試みにフキダシを隠して、夜空に白抜きで「おとうさん、待ってて・・・・」と書き込んでみるといい。どーもしっくりこない、よね?)。
どちらのシーンも、マンガ的記号の支援は皆無と言ってよい素朴な画面構成だ。
この単なる後姿、しかしとても雄弁な後姿が、ぼくはとても気に入ってしまっている。
(ひとつめのシーンならあかりの頭から波線伸ばして先端にぴとっとハートを置くとか、ふたつめのシーンなら片手を空に突き上げるとかすれば、解釈が固定されて楽であろうが。むろん、それでは萌えない)。
_ ぼくを一気に引きずり込んだ、18巻29ページ「アキラ勝利に失望」の場面。最後のコマのネームは完全に蛇足だと思う。原作の中にはあったのだろう。仮に削除しても、表現に不足はないと思える。かえって邪魔なくらいだ。
ただ、当該シーン執筆からほぼ一年をへだてた今の小畑健なら、きっとこのネームを削除するだろうとぼくは考えている。
彼の変化は、今も進行中だ。
.
第二部以降は少しく評判がよくないようだ。「人気作品につきもののクライマックスのあとの引き延ばしだ」とか、「ただ碁をやっているだけで単調」とか、そういう評言に出会う。理解できるが、残念である。ぼくにとっては、どんどんおもしろくなっているので。ほったゆみの原作も作画の小畑に挑戦的で、彼の力を引き出していると思う。
ここはへんなテコ入れが入らぬよう祈っております。
ぼくは小畑健がどこまでゆくのか、見たいんだ。
_ ヒカルが「ヒカル自身の碁」を見出してゆくとともに、彼と彼を取り巻くライヴァルたちの視線も変わってゆく。
なにを見ている、と、言えはしないが、なにかを見ていることを確信している眼に。
それは小畑健自身の視線の変化でもあるのだろう。
(当初より目線の鋭いキャラとして登場した緒方でさえ、登場シーンをさかのぼってみると、思いの外グサッとこない眼をしている。彼でさえ、佐為と塔矢行洋の対局を見つめるにふさわしい視線を、あらためて獲得しなければならなかったのだ)。
このように言えるかもしれない。
マンガ家のたどる軌道が、あるとき登場人物たちの軌道と重なり、マンガ家は登場人物たちの視線を獲得したのだと。そのとき初めて登場人物たちは、彼らに備わっていたはずの視線を、画面の上で示すことができたのだ。
_ ヒカルやアキラや塔矢行洋、緒方十段、桑原本因坊らの視線の先に「神の一手」があるとすればあるいは、「神の一手」を求める知的な欲望の物語―『ヒカルの碁』―はそのまま、
「神の一コマ」を求めるマンガ家の碁盤なのかもしれない。
(しょせんは儚い夢物語だろうか?しかしこれは初めてみる夢だ)。
_ 碁盤のこちら側で、それを見届ける読者でありたという欲望。そしてぼくの視線が充分に鋭いことをまた、欲望する。
_ ワードプロッセッサーというものがこの世になかったら、ぼくはなにも書き残すことができなかったと思います。直筆で紙に書くとひどく消耗するのです。寿命が縮む気がします。原稿用紙一枚につき1キロ減量する感じなのです。二十枚書いたら死ぬ計算です。
わが家には今プリンターがないので、手紙をもらっても返事が書けずにいます。
ぼくに手紙をくださった方々、ありがとうございます。とても元気づけられました。
_ 最近はほとんど考えることができません。なにか書けることが不思議です。
_ 少年イル [私は逆です クロッキー帳には自分のために書けるのに、パソコンでは 何度修正しても後悔しそうです。 手は動くけど自分で..]
_ 頭が悪くなってみると、いろいろなことが分かってくる。
とりあえず自分を叱咤激励する必要が生じる。
目が悪くなるから「見よう」としなければならないし、視野が狭くなるから歩かなくてはならない。疲れるから度々休んで、その度に「立ち上がろう」としなければならない。獲物に出会わないので「諦めちゃだめ」と言い聞かせ、やっと出会えば追いつけない矢が当たらないで、とぼとぼ矢を拾いに行く。実入りがないから飽きる。散漫になるからでかい石を蹴って足の指をくじく。
ごとん、と転がった石の裏に字が彫ってある。かがみこんで土を払ってみる。
「おとうさんが死んだらおまえが喪主だ」
一瞬フリーズ。立ち上がって二回深呼吸。
のろのろと歩き出しながら考える。(俺が先に死んだら父は立派に喪主を務め上げるだろうなあ)。
―どこからか、子守唄が聞こえてくる。
ひとつ年下の女の声で。
しりがかゆいや、じかに掻いちゃえ。
_ 本を整理していて、なにげなく手に取った『文藝別冊 Jミステリー』に、津原泰水の名があった。「天使解体」という短編である。
ものぐさで、いちばん近所の本屋にしか行かないものだから、そこにない本は読めない。津原泰水は内輪で評判がよかったので興味があったのだが、ないものは読めない、と思っていたところなのでうれしかった。
ところで、文体そのものが好きでこの人の書いたものなら内容はどうでもよい、と思う書き手はアニー・ディラードと金子千佳だ。他にもいたが、飽きたり、ぼくの脳が変わったりするうちに、いつどこから読み始めても安直に魔法が発動するのは、この二人だけになってしまった。
_ これはもしや三人目になるだろうか?「天使解体」を読んでそう思ったところである。
係り結びの付け外しが絶妙だ。話題が転換する“継ぎ間”が読みどころで、フェイクやステップの間合いが心地よい。前を歩いていた女の子がいきなりくるっと振り返るような文体である。といっても躍動的な語調ではない。静かな語調で意味がメロディアス。
俄然好きになった。
もっと読みたいが、お金がないから「天使解体」を読み返していよう。七回も読めば、短編集を読んだのとおなじだ。
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_ しかとはよみがえってこない記憶に触れて、その質感を確かめる(言い当ててゆく)。毛並みや温かさ、突出部の規則的な紋様、裏側の亀裂の内壁にある湿り気。ある瞬間に、閉じていた眼をぱっと開く(眼を開けていいよ、という許しが与えられる)。想い出す。
この質感をほとんど失ってしまい、ぼくは想起に困難を感じるようになった。
_ 頭のなかで言葉を踊らせていても、まるでなげやりに描かれた振り付けの説明図を見るようだ。指先のはためきも、流れてさっと切れる目線の軌跡も、皮膚に密着しては汗を拾いたわんで浮き上がるコスチュームの遷移もない。手入れのわるい水槽の金魚ばりの舞踊だ。
頭のなかでがやがやとひしめき鳴り騒ぐ質感を失えば、静けさが訪れる。それは透明で広やかな静けさではなくて、うすぐろく息苦しく煙った矮小な静寂である。脳裏の空間は質感でできているからだ。
_ ぼくは、この新奇でどんよりした静寂を、興味深く眺めている。
「なんというおもしろいつまらなさであろうか」
このようなものが失われるものかと、そしてそれでも残るものはこれかと。高鳴らぬ胸でわくわくしながら。
ちいさく少なく貧しく切り詰められてゆく冒険。
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_ ぼくも本はかなり好きなほうだが、こと一冊の本が好きで好きで愛し抜く度合いではユタカに負ける。
ユタカはぼくの弟で、自閉症の名に恥じずやたら数字に強い。算数のドリルをあてがっておけば、たちまち解答欄を埋め尽くしてしまう。最初からずーっと正解で、途中から全部×である。いきなり飽きたわけだが、解いているときも適当に数字を書き並べているときも、スピードに差がない。母親や先生は「途中の式を書きなさい」と言うのだが、無理な相談である。あいつの計算に途中なんかないのだ。
ユタカの一番好きな本は、『NTTハローページ 岩手県北版(個人名)』だ。数字でびっしりの電話帳はいっぱんに好きなようだが、なかでもこれは特別らしい。生まれた土地でも育った土地でもないのに、なにがどう特別なのか、合点がいかない。ぼろぼろになるまで読み返しては代替わりし(父が定期的に取り寄せているらしい)、もはや何代目なのか杳として知れない。ユタカにとっては永遠の名作である。
ぼくも手に取って、じっくり読んでみたことがあるが、素人目にはこの名作のよさがとんとわからない。彼がこれを好きな理由を考えてみたりすると、なるほど「語り得ぬことについては沈黙しなければならない」のだなあと実感したりする。
_ あるとき母から電話があり、「ユタカはヘンにするどいところがあって困る」と言う。
ユタカはドライブが大大大好きなので、両親がクルマで出かけようとすると必ずついて行きたがる。だからユタカが不在のときに所用でクルマを使ったときなどは、両親はなにも言わずにバックレている。ところがユタカは帰って来るなり「お父さん、お母さん今日はどこにでかけてましたかあ?」と問いただしてくるのだ。「(ぎょぎょっ)ううん、どこにもでかけないよ」と言っても絶対に納得しない。まるで、顔に書いてあるとでも言いたげな態度だ。行き先が市外だったりすると確実にゴネるので、近場でごまかそうとしても通用しないばかりか、ときにはほんとうの行き先まで見破ってしまう。根負けして認めると、やはりゴネる。
「不思議だわ〜、なんでバレるんだろ?超能力かしら。ほんっと、にくらしいったらありゃしない!」
ぼくは電話口で苦笑しながら、あいつならそれくらいやりかねないな、くらいに思っている。このとき誰かが耳元で、「考えろ!名探偵になるチャンスだ!」と言ってくれれば、ぼくはきっと、快刀乱麻のごとく謎を解き、母を大いに感心させることができたと思う。名探偵には、謎を解く直感とともに、この謎はエレガントに解ける!ということを察知する直感もまた必要なのだ。
口惜しい。無念である。
忘れたころにまた電話があり、母はミステリーの最後の一行のように語った。
「わかったのよ!謎が解けたの!ユタカったらね、出がけと帰りがけにクルマの走行計見てたのよ!」
_ わが家から自転車で南東に走って走って走って少し北に行くと、広大な田園風景が開ける。
田んぼのなかに垣根がある。垣根の起点と終点に門柱みたいに垣根の二倍ほどの丈の樹が立っている。家屋やおやしろに付属しているのではなくて、垣根だけがぽつんとある。作業中隣人の顔を見たくなかったのかな?
ふいに垣根のなかから一群のすずめが湧き上がって、垣根のまわりに散り敷かれた山吹色の稲藁の原に降りそそぐ。たちまち稲藁にまぎれて姿が消える。すこし散漫なやつが、遅れて二羽三羽一羽一羽とあとを追う。
しーんとする。
ふいに稲藁のなかからすずめが湧き上がり、吹き散らされる葉っぱのようすを逆回ししたみたいに、垣根のなかに吹き込んでゆく。たちまち濃緑の葉叢にまぎれて消える。すこし散漫なやつが、遅れて一羽三羽三羽一羽とあとを追う。
しーんとする。
ふいに垣根のなかからすずめが湧き上がる。稲藁に吸い込まれてゆく・・・・・。
リピ−トしてるアニメの背景みたい。
スティーヴン・ミルハウザー「東方の国」の庭園にいる、完璧に制御された鳥たちを思い出す。
ファーブルのミームが作動して(相手は昆虫じゃないけど)、周期を計時してみることにする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・残念。すずめ時計じゃないや。
あのマイペースなやつらはいつも同じやつかな?最初に飛び立つやつは?稲藁から脇にある樹上へ、垣根から垣根へ、イレギュラーに行動してるのが何羽かいる。
みんながいっせいに行動する。しかし一部の者が必ずイレギュラーなことをやらかす。雑草の生存戦略だ。(みんないっせいに来年発芽するが、一部の者は二年後、三年後、四年後に発芽する。すっかり刈り取られても絶滅しないように)。
すずめたちは雑草のように、稲藁に生えたり垣根に生えたりしている。
ぜんぜん飽きない。しかし寒い。
こんなことなら、もうすこし厚手の上っ張りを着てくるんだったぜ。ファーブルモードキャンセル。帰巣行動開始。再見。
_ いま、ここに書かれるほか、書かれようのない言葉を、言葉は記す。
なにかが触れ、なにかが離れる。
.
ゆくりなくも言葉は、まだ言葉が知らぬことについて、誰かに教えてしまう。
なぜ?という言葉を知る前に問うていた問い。
夢、という言葉を知る前にみた夢の記憶。
学ぶことの裏側にまわり、知るべくもない知識をたくわえる、見る影もない者たち。
.
言葉の餓え、言葉の恨み(それは熱くはない)によって、語りえぬものどもを切断する。
呪文をつくる呪文として。喚びだす力を喚びだす力として。
ここに書かれていることを信じるなと、誰が誰に言い聞かせているのかそのとき
果てしなく「名たち」から離れて、すべての名付けを一瞬忘れて
言葉は出会う。最初にして
最後の敵に
幾度も。
ただひたすらに語られ、よるべなく記しつけられて、
殺す。
みずからを生み出した者を。そして
けして忘れないことによって罰する。
.
言葉であることを拒む言葉に、やがて語ってはならぬものを、教えるすべはない。
_ なんでもわかりやすくしてくれる養老孟司が、「実在とはその人の日常生活である」というような話をしていました。日常、のべつ出会っているものは、どんなものでもリアリティがついてくる。数学者は数にうずもれて生活しているので、数が実在だと思うようになる。デカルトは抽象的なことばかり考えているので「思う」が「ある」に直結するようになる。世の中金だ!と思っている人はお金こそがリアルになる。
うーん!わかりやすすぎ!
ネット上で「真の実在」について議論しているのをROMっていたら、意見がバラバラ。物だとか心だとか神だとか無だとか愛だとか脳だとか遺伝子だとか。それぞれの日常生活がほの見えるようです。
.
ぼくの脳はいつも、ぶつぶつ独りごとを言っていました。子どものころから脳の話を聴くのが大好きだったからでしょうか、言葉にはとても実在感を感じるのです。そのせいで、たくさんものを考えると頭が重たくなります。一時的に頭のなかの実在が増えて。
.
いちばん好きな言葉はたとえば、にばんめに好きな言葉はあるいは。
たとえば、たとえばと言うときの脳裏がペラペラっとめくれる感じ。
あるいは、あるいはと言うときの半身で振り返ってメンチ切る感じ。
たとえばとあるいははとてもよくなついてくれたので、いまでは固有名みたいです。「たとえばー」と呼べば大喜びで走ってきます。ぼくのにおいをくんくんと嗅ぐと、さっと身を翻して例え話を捜しに行きます(行きました)。
もしももうひとつ挙げるとすれば、もしもです。もしもはたとえばと並んで、もっとも脚の速い言葉です。でも、ついたとえばを使ってしまいます。どうしてかというと、もしもの守備範囲はほとんどたとえばの守備範囲に包括されてしまうからです。
もしもたとえばが的確な話を拾ってきても、書くときはもしもで書き出したりすることもあるわけです(この文のように)。それでもたとえばは怒ったりしませんけど。かれらは書き取られることより、動き回っているほうがずっと嬉しいのです。
とはいえむしろまさしくも好きです。名前を呼ぶだけで楽しくなります。
とはいえ、なぜならがあまりなついてくれないせいで、なかなかためになることが書けないのですけど。
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