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雪雪/醒めてみれば空耳

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2008-07-01 なんか微妙な天才と、絶妙な天才

_ 「いままででいちばんすきなほんはなんですか?」という質問を、ぼくはよくする。その答えはそれひとつで、とてもいろいろなことを教えてくれるから。

先日家内に、ふと尋ねてみたところ「エンダー」という答えが返ってきたのには驚いた。

オースン・スコット・カードは油断ならない作家だ。卓越した力量を持っていて、それを持て余してもいて、人生の宝物だなと思う作品と、ゴミか、これはゴミなのかという作品が、ジャンケンみたいに出てくる。諸手を挙げて好きだ! と言える作家より好きなのに、諸手は挙がらないのだ。

『エンダーのゲーム』に発して、世評によるとやはり一人玉石混淆状態の「エンダーシリーズ」を、ぼくは第二部『死者の代弁者』までしか読んでいない。この初期二部作の、落ちたら壊れてしまうくらい高いところでふらふら保たれているバランスは、この後にどんな作品が続いても崩れてしまいそうで、続きを読むことができないまま今日まで過ごしてしまった。そんなぼくの横目には、確かに家内が、エンダーシリーズが出たならばすぐ買って、まったく積読期間なしに読んでいる姿が映ってはいたが、いちばんと言うほど好きだったとは迂闊にも粗忽にも気づかなかった。

家内は、好きなものを人に薦めたりすることはほとんどないし、うっとりしたり騒ぎ立てたりもしない。出た、となると即刻買ってくるものは、よほど好きなのだなと推測できる程度だ。作家なら恩田陸、音楽ならケイト・ブッシュとRUSH。とくにRUSHのライヴ映像などは、めずらしく高いテンションを示す。ニール・パートとゲディ・リーの手が動いているところは、居ても立ってもいられないくらい好きみたいだ。ぼくもRUSHは大好きだ。まだ付き合い始める前、大学生だった家内の部屋を訪ねたとき、ぼくはRUSHなんて知らなかったのだがちょうどBig Moneyがかかっていて、上がるなりぼくはげらげら笑って転げまわった。あんまりびっくりしたから。「なんだこいつらは。ここまでやるのか。なんてバカなんだ。なんてすごいバカなんだ」と思ったのだ。そのとききっと、家内の心にも「RUSHを聴いた途端バカ笑いしたバカ」として、ぼくの印象は忘れ難く刻まれたんではないかと思う。たぶんね。余談ですけど。

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_ 「ものども! あたま読み始めたらケツまで読まずにいられねーってコミックを推薦せい。完結していなくても可だ。ただし、リアルタイムで中抜けせずに既刊全巻揃うヤツな。あと魂にカッ! キーンと響く短編集も頼む」みたいな触れを出して、フェアを発動。題して『徹夜コミックと一生モノ短編集』。原則シュリンクはせずに、スタッフが「これを読んでもらいたいんですよう!」というコミックを集めた。

ぼくは本格的な長編ファンタジィを読みたい月間だったので、給料日におがきちか『Landreaall』(一迅社)を、既刊12巻まとめ買い。

その夜、家内はひとあし先に『Landreaall』を読み始めた。翌日ぼくが帰ると、不幸事の報せでもあったかと思う神妙な表情で、「あのね。たいへんなんだよ」と言った。「たいっへんおもしろいの」あいだを区切り区切り、ゆっくり言った。気配として、彼女がなにか作品に対して示した最大級の賛辞であると思った。

読み始めてみる。

ああ、たいへんだ。これはたいへんなものだ。

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言葉は魔法だ。魔法としての言葉の力は、達意の名文とか、華麗なる文体などとはまたちがった次元の力である。ヘレン・ケラーの『わたしの生涯』(角川文庫)をお読みいただければ。天才魔法使いヘレンが、練り上げられた言葉の魔法を叩きつけてくれる。かめはめ波ばりに。

卓越した魔法の才能に恵まれながら、魔法から隔離され、その存在すら知らずに育ってしまったが人が、決定的に後れて魔法に出会う。ヘレン・ケラーと言葉との出会いは、そういう出会いだ。そのとき、この上なく深く睡っていた才能はどのように振る舞い、なにを可能にするか。『わたしの生涯』は、希代の魔法使いが魔法について語る、希有なる書物である。

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そしておがきちか。言葉の魔法を知り、それを非常に高い水準で意識的に使う人に、ひさびさに出会ったなあ。それをネタに、『Landreaall』はすごいと、鬼の首を獲ったみたいに書くつもりで読み進んでいったら、まさにその魔法の件をキャラが、作中で露骨に語り始めた。ばらさないでよー。

自身も筋金入りのファンタジィファンなのだろう。大量の読書遍歴の蓄積が作品から滲み出している。でもおがきちかはきっと、読むときも、余人が読めないことを魔法で読み取ってしまうだろうから、たぶん、敵わない追い付けないと思うような大好きな作家の作品を周囲の人に薦めてみても、思うほどには反応が芳しくなくて、「先生のほうがおもしろいです!」などと言われてしまうのだろうな。

言葉の魔法使いといえども、それは文才のほんの一部であって、おそらくおがきちかは小説はうまくないと思う。なんだか局所的な、へんなかたちの文才なのだ。おがきちかに画才があって、ほんとうによかった。

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余談だが、オースン・スコット・カードが日本に生まれていたら、マンガ家になっていたんじゃないかという気が、すごくする。そしてカードの場合は、「作家のほうが向いてるんじゃないの?」って言われる羽目になるのだ。

本日のコメント(全1件) [コメントを入れる]

_ 月読 [こんにちは、こちらには初めて書き込みます。 もしかして、もう遅いかもしれませんが雪雪さんに メールを出そうと思い、出..]


2008-07-03 存在しないもう一巻を、心の中で読む

_ 『Landreaall』があまりにもよかったので、おがきちかの『エビアンワンダー①②』『エビアンワンダーREACT①②』(一迅社)を読む。

主人公のフレデリカと、道連れの弟ハウディ、そして二人を追いかけるハウディの師匠フェイ・イ。この三人が主要登場人物である。旅の物語。出会いと別れの物語。悪魔と神の物語。

尺が足りない。終盤、展開が唐突で駆け足になる。あと二巻は欲しいところだ。けれども瑣末なことであろう。

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フェイ・イにとって、姉弟との出会いは、とても重要な出会いであったはずだ。しかしフレデリカにハウディに、フェイ・イがはじめて出会うシーンは、物語の中では描かれない。作品中最高の名シーンが作品の中にない。ぼくのいちばん好きなシーンはここだよと、誰かに見せてあげることはできないけれど、しかしぼくはそれを、ありありと想い描くことができる。描き続けて、描き終わることがない。

描かない、という描き方。

存在しないそのシーンをぼくは、忘れることはないだろう。折りに触れて想い出し、雲が切れ光が降り注ぐときのようにしずかに世界のたたずまいを変える、その力を借りるだろう。

傑作である。

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_ Pharmf362 [Very nice site!]

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2008-07-25 真夏の残雪

_ 「地図にない国々」と銘打って、架空世界紀行・空想博物誌モノのフェアを挙行中である。ときどきラインナップを入れ替えるために、そういう匂いの未読の本をチェックしているのだが、そしてそういう動機がなければいましばらくは手に取らなかったと思うのだけれども、長野まゆみ『カルトローレ』が予想以上によくて、早速積み上げた。

『エンジンサマー』『ヴァーミリオンサンズ』『火星年代記』『大潮の道』といった水脈に連なる傑作である。良くも悪くも金太郎飴的な、いつもの筆致とは異なっているゆえ、代表作とはいえないがしかし最高傑作、という感じである。

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ピーター・S・ビーグルとパトリシア・マキリップの話を、『パブロ・カザルス 鳥の歌』と絡めてやりたい、というようなことをしばらく前に書いてまだ書き落としていないのだが、長野まゆみのことを考えているうちに、最も対極的な作家として残雪が立ち上がってきてしまう。残雪の既刊本は軒並み品切れで、中古市場では息を呑むような値段が付いているので、残雪を引き合いに出しても読んでいる人が限られていて伝わりにくいだろうなあ、という思いが先に立つのだがしかし、8月に出る河出の世界文学全集の次回配本に残雪が入る。

残雪は必読の作家の一人だと思う。残雪の道を残雪より遠くに行っている作家はたぶんいないから。いわゆる文学の領域を画定するとき、ひとつの方角の指標になる作家であると思う。

残雪をまだ知らない方は、8月9日をお待ちください。収録された作品のどれでもよい、冒頭からすこし読み進めば、この作家を好むと好まざるに関わらず、くろぐろとした凄絶な才能に蝕まれる想いがすることだろう。

読者の鼻の穴に指を突っ込み無理矢理おっ拡げるようにして、感性の幅を拡げてくれる作家である。鼻の穴がそうであろうように、拡がってしまってから後悔する感性かもしれないが。