_ 「いままででいちばんすきなほんはなんですか?」という質問を、ぼくはよくする。その答えはそれひとつで、とてもいろいろなことを教えてくれるから。
先日家内に、ふと尋ねてみたところ「エンダー」という答えが返ってきたのには驚いた。
オースン・スコット・カードは油断ならない作家だ。卓越した力量を持っていて、それを持て余してもいて、人生の宝物だなと思う作品と、ゴミか、これはゴミなのかという作品が、ジャンケンみたいに出てくる。諸手を挙げて好きだ! と言える作家より好きなのに、諸手は挙がらないのだ。
『エンダーのゲーム』に発して、世評によるとやはり一人玉石混淆状態の「エンダーシリーズ」を、ぼくは第二部『死者の代弁者』までしか読んでいない。この初期二部作の、落ちたら壊れてしまうくらい高いところでふらふら保たれているバランスは、この後にどんな作品が続いても崩れてしまいそうで、続きを読むことができないまま今日まで過ごしてしまった。そんなぼくの横目には、確かに家内が、エンダーシリーズが出たならばすぐ買って、まったく積読期間なしに読んでいる姿が映ってはいたが、いちばんと言うほど好きだったとは迂闊にも粗忽にも気づかなかった。
家内は、好きなものを人に薦めたりすることはほとんどないし、うっとりしたり騒ぎ立てたりもしない。出た、となると即刻買ってくるものは、よほど好きなのだなと推測できる程度だ。作家なら恩田陸、音楽ならケイト・ブッシュとRUSH。とくにRUSHのライヴ映像などは、めずらしく高いテンションを示す。ニール・パートとゲディ・リーの手が動いているところは、居ても立ってもいられないくらい好きみたいだ。ぼくもRUSHは大好きだ。まだ付き合い始める前、大学生だった家内の部屋を訪ねたとき、ぼくはRUSHなんて知らなかったのだがちょうどBig Moneyがかかっていて、上がるなりぼくはげらげら笑って転げまわった。あんまりびっくりしたから。「なんだこいつらは。ここまでやるのか。なんてバカなんだ。なんてすごいバカなんだ」と思ったのだ。そのとききっと、家内の心にも「RUSHを聴いた途端バカ笑いしたバカ」として、ぼくの印象は忘れ難く刻まれたんではないかと思う。たぶんね。余談ですけど。
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_ 「ものども! あたま読み始めたらケツまで読まずにいられねーってコミックを推薦せい。完結していなくても可だ。ただし、リアルタイムで中抜けせずに既刊全巻揃うヤツな。あと魂にカッ! キーンと響く短編集も頼む」みたいな触れを出して、フェアを発動。題して『徹夜コミックと一生モノ短編集』。原則シュリンクはせずに、スタッフが「これを読んでもらいたいんですよう!」というコミックを集めた。
ぼくは本格的な長編ファンタジィを読みたい月間だったので、給料日におがきちか『Landreaall』(一迅社)を、既刊12巻まとめ買い。
その夜、家内はひとあし先に『Landreaall』を読み始めた。翌日ぼくが帰ると、不幸事の報せでもあったかと思う神妙な表情で、「あのね。たいへんなんだよ」と言った。「たいっへんおもしろいの」あいだを区切り区切り、ゆっくり言った。気配として、彼女がなにか作品に対して示した最大級の賛辞であると思った。
読み始めてみる。
ああ、たいへんだ。これはたいへんなものだ。
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言葉は魔法だ。魔法としての言葉の力は、達意の名文とか、華麗なる文体などとはまたちがった次元の力である。ヘレン・ケラーの『わたしの生涯』(角川文庫)をお読みいただければ。天才魔法使いヘレンが、練り上げられた言葉の魔法を叩きつけてくれる。かめはめ波ばりに。
卓越した魔法の才能に恵まれながら、魔法から隔離され、その存在すら知らずに育ってしまったが人が、決定的に後れて魔法に出会う。ヘレン・ケラーと言葉との出会いは、そういう出会いだ。そのとき、この上なく深く睡っていた才能はどのように振る舞い、なにを可能にするか。『わたしの生涯』は、希代の魔法使いが魔法について語る、希有なる書物である。
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そしておがきちか。言葉の魔法を知り、それを非常に高い水準で意識的に使う人に、ひさびさに出会ったなあ。それをネタに、『Landreaall』はすごいと、鬼の首を獲ったみたいに書くつもりで読み進んでいったら、まさにその魔法の件をキャラが、作中で露骨に語り始めた。ばらさないでよー。
自身も筋金入りのファンタジィファンなのだろう。大量の読書遍歴の蓄積が作品から滲み出している。でもおがきちかはきっと、読むときも、余人が読めないことを魔法で読み取ってしまうだろうから、たぶん、敵わない追い付けないと思うような大好きな作家の作品を周囲の人に薦めてみても、思うほどには反応が芳しくなくて、「先生のほうがおもしろいです!」などと言われてしまうのだろうな。
言葉の魔法使いといえども、それは文才のほんの一部であって、おそらくおがきちかは小説はうまくないと思う。なんだか局所的な、へんなかたちの文才なのだ。おがきちかに画才があって、ほんとうによかった。
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余談だが、オースン・スコット・カードが日本に生まれていたら、マンガ家になっていたんじゃないかという気が、すごくする。そしてカードの場合は、「作家のほうが向いてるんじゃないの?」って言われる羽目になるのだ。
こんにちは、こちらには初めて書き込みます。<br>もしかして、もう遅いかもしれませんが雪雪さんに<br>メールを出そうと思い、出したのですがアドレスが変わった<br>のかメールが帰ってきてしまいました。<br>もしもまだメールをしても大丈夫だよということでしたら<br>新しいメールアドレスを教えてくれるととても嬉しいです。<br>そろそろ季節の変わり目になりますので体調に気をつけて<br>お過ごしください。