ぼくがホームランだったら、観衆でいっぱいのスタンドが引っ繰り返って、ものすごい速度で倒れ込んでくる光景にびっくりしながら見蕩れるだろう。
ホームランでバットを打つときの快音が詩の定義だとする。
そのとき時間を跳ね戻ってスタンドからバットめがけて飛来するボールはその軌跡の途中でみずからの発した快音の残響に衝突し、初速の逆勾配で急加速してバットを打つ。その瞬間に快音はぜんぶ一点に戻ってくる。視線も得点もぜんぶ、一点に戻ってくる。その力でボールはひしゃげてバットにへばりつき、見えない手を伸ばしてバットの真芯を、力一杯握り締める。
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肉は滅んでにおいだけになったオオカミが、うちの庭先で力尽き倒れる。おぼろであるぶん断末摩も、のんべんだらりと間延びしてなかなか死なない。私が出かける度に、無い眼をぎょろりと動かし鼻を突くにおいで睨むから、鼻の奥で睨み返してやる。
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頬杖としてあてがわれた手の甲に凭れているその横顔を眺めていると、大切なことはぜんぶ分かってしまいそうになる。
もちろん横顔の主が、なんでも分かっているわけではない。
真理そのものは、じぶんを理解しない。すべてを知ってしまうと、なにも知らないときとおなじように、なにも分からなくなる。
ぎりぎりのぎりぎり手前で眼を閉じる。瞼の裏に残った残像込みで、ちょうどぎりぎりになる見当で。答えが先に出ちゃうくらい速い暗算で。
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駆け上る光が細く、川を裂き分けてゆく。川と川のあいだで、魚が跳ねる。沈んでいた小学生は跳ねない。
これ以上細くなれないところまで分かれた川は放散し、ひらひらとリボンのようにどこまでもたなびき、その左右を岸辺と定義してゆく。左岸右岸左岸右岸左岸右岸左岸右岸。せわしなく首を振る水面が。
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昇降龍の呼吸が安定するまでのあいだ、熱のない延焼は続いた。シャンドルニーの紋章たちは変色してゆく城塞の襟に留まることを選び、おたがいを文字とし、繋いだ手から手を経由する好意や悪意を文法として、帝国の威信を視覚的にも概念的にも支え続けた。
ファンファード・ニルインが鈴なりに吊り下げられた紺碧流線遡上風の屈曲部には、様々な材料でこさえられた昇降龍の雛形が鏡像分枝を構成して、温度を奪われ響きを賦加された森のように、微細な条彫りのある斜面を浸潤し緑化していく。
一般に白い、極窓属のヤンダンさえも、右の皮殻には鮮虹色の「思い惑い刳月」がひとつふたつと浮かび上がり、城塞が慣性で規定線を押し遣り弾力で過去北方にゆるりと戻されるその軌跡に、思い込みの強い泡の痕跡を剥離しかけた塗料として残した。つまり、指の腹で押すと、それはしゃりしゃりと潰れたのである。
シトカン、ラルド、パロー、そしてカートツァーツからコームリンゲルンに到る、殊更に教義に無理解な避難民は、いまだに忘却は整数次元ではないと信じており、結果的に北西アドードに残存する瞬膜階級の支援者としての役割を果たすことになった。無論、本人たちの意図を離れたところで。
ちなみに「コームリンゲルンの右の冠毛」という故事はこの出来事に由来し、ニルシマーにある電離語法鞭の見返しには、その当時すでに五本あった猿の指の指紋が、くっきりと残されているといわれる。