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雪雪/醒めてみれば空耳

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2006-06-07 叙景集

_ 716

夢も童心も失ったエリスナリが花言葉の変更を申請する。

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_ 717

細胞膜を挟んで、はないちもんめする分子たち

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_ 718

◆殺しても死なない◆

妻が二番目に産んだ子どもは母だった。

初めてだっこした長男が頬擦りしながら赤ん坊に耳打ちしている。なんと言ったか聴き取れないが、察するところ「兄妹さけ、めおとにゃなれんのう今生では」ぐらい言ったと思う。

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_ 719

あなたのほっぺに耳をつけているとき、笑顔になるのがわかるみしりという表情筋のきしみ。

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_ 720

水の底で、まだ生きているテレビがするみたいなウィンク

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_ 721

発車のベルが鳴り響いているのに、キオスクの、雑誌の見出しに出ている名前がありえないので

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_ 722

「現在は過ぎ去るよ。でも永遠はけっして過ぎ去らない」

本日のコメント(全6件) [コメントを入れる]
_ SILK (2006-06-11 06:04)

初めまして。<br><br>わたしは、あなたがここに書かれていることでのみあなたと唯一の関わりをもつことができる大勢の方々と同じ、あなたの見知らぬ無数の読者のうちの一人です。<br><br>いつも素晴しい出会いをほんとうにありがとうございます。なによりもまずお礼がいいたかったのです。<br><br>あなたのような人がいることを知って、あなたのことを知る以前より、ずっとずっと本や人のことを好きになることができました。<br><br>環境が変わりこうしてコメントできることを、おそるおそるですが、うれしく思います。<br><br>正直なところ、ほんとうはあなたにどうしても伝えたいことがあったのです。<br><br>けれどもこうしてそれができる今では何も言葉になりません。ならばそのことだけでも、せめてあなたに伝えたかった。<br><br>語れないということでしか語れないことがあるのならそれも無駄ではないと信じ、今、こうして書いています。<br><br><br>ところで、すでに御存知かもしれませんが、モ−リス・ブランショという人が『待つこと忘れること』という本を書いています。それはわたしにとってあなたが読むべき本であり、ぜひとも読んでいただきたい本のひとつです。<br><br>このようにおしつけがましく伝えることは、あなたが海に手紙を投げるように続けていることとはちがいますが、何がどのように届くのか知ることができないという点で、ふさわしいともいえるかもしれません。<br><br>ぶしつけなこのようなかたちで何かを贈ることでしか感謝を表現することができないわたしの卑俗さを、もし受け止めていただけたなら、一読下さい。<br><br><br><br>このコメントは、読み終えたら消していただけたら嬉しいです。

_ 雪雪 (2006-06-11 23:02)

☆SILKさんはじめまして。<br>『待つこと・忘れること』さいわいにも(あるいは不運にも)知りませんでした。絶版のようですね。出会えるように心に置いておきます。『待つこと・忘れること』が待っている人のなかに、ぼくも入っているような気がしてなりませんから。<br><br>消して欲しいとのご要望ですが、tDiaryは、基本設定ではコメントを削除できないのです。でも、ぼくがとてもうれしく思ったように、ここにわざわざ立ち寄ってくださる人たちの中には、SILKさんの言葉を読んで、いろんな意味でうれしかったりほっとしたりする人がきっといると思うので、なんとか残させていただきたいというのが本音です。心をこめて私信を送ってくださったということを理解した上でなお、お願いいたします。<br>データファイルを直接編集するソフトがあるようなので、どうしてもという場合はなんとかします。ぜんぜん知識がないのでこわいけどw<br><br>なんだか、再度のコメントを要求するような文面になってしまいましたが、ご容赦ください。<br>こちらが読み切れていないことを、不安に思うような言葉を、ありがとうございます。鈍感であったら、ご叱責ください。遠回しに。

_ SILK (2006-06-12 03:21)

これからここに書くことも、おそらくはあなたのおっしゃられるその不安のなかで書かれることでしょう。<br>けれども、もしかするとそれは拭い去られるべきものではなく、わたしとあなたにとっての対話といえるものの断面なのかもしれません。<br>どうか、ありのままでしか書くことができないこの愚かさをおゆるしください。<br><br>ほんとうのところわたしは、それよりずっとおそろしいことを考えずにはいられませんでした。<br>それは「もし彼がわたしのような人間がいることを知っていて、やがて彼の元にわたしがやってくることをあらかじめ待っていたのなら・・・」ということです。<br><br>けれどもあなたがわたしのことを知らず、またわたしのことを待ってはいなかったということが、この奇妙なやりとりのなかでわたしを安心させてくれました。<br>(おそらくはただ慣れていないというだけのことなのです。)<br>おかげでこれを書いた後、わたしは安心してどこへでも立ち去ることができるし、ここに書かれてはいない別の何かと出会うことができます。<br>そのとき別れというその絶望のなかに、新たなよろこびが見い出されるのです。<br>それは、いつかどこかでわたしが出会うことを求めている不自由に、あなたが与えてくれた唯一の自由なのです。<br><br>さて、わたしがあなたに与えてしまった不安は、それが目論まれたものではないにしろ、もしかするとわたしの出会いというものの考えに対する、執拗な思いいれ(わたし自身、そのことのために何も手につかないことがあるくらいです!)が、全体に浸透してしまっているせいかもしれません。<br><br>わたしがこの出会いということばをおそれや不安のなかで使わざるをえないのは、それが、まだ見ぬかけがえのないものとの遭遇のきっかけを与えてくれるだけでなく、さらに過剰なその瞬間の無限の反復(つまり期待)によって、別のものとのつながりで成立していたかつての現実、またそうではない別の現実との引き裂きをもたらしうるものだからです。<br><br><br>しかし、ほんとうのところ、ぼくはけっしてあなたをそのような思いにさせてよい人間ではありません。<br>わたしにそんな権利はどこにも与えられてはいないだろうし、あなたの顔も、名前すら知らない。<br>まず、ここでこのように話している「わたし」とはいったいだれなのでしょう?<br>だれがだれに、いったい何を言おうとしているのでしょう?<br>「ここ」とはいったいどこなのでしょう?<br><br>モ−リス・ブランショという人は、こうしたことにたったひとりで答えようとしてきた、また答えることをやめようとしてきた人です。<br><br>だから「ここ」で「わたし」は、あなたがいまだ出会っていない、いつまでも出会うことのないすべての人たち、またすでに出会ってしまい二度と出会うことのできない人たち、そういうものでありたい、いえ、実際にはそうなのです。<br>「わたし」とはそういうものなのです。<br>それは代弁者などですらなく、彼ら「そのもの」なのです。<br><br>コメントは消さなくてもけっこうです。<br>けれども、どうかわたしのことは忘れてください。<br>そしてブランショという人を、あなた自身の目で見つめてほしいのです。<br>それは他ならぬあなたのためにあるのですから。

_ SILK (2006-06-12 03:38)

モ−リス・ブランショ 著 平井照敏 訳<br>『待つこと・忘れること』<br>思潮社 1966<br><br>*白水社より『最後の人/期待・忘却』というものも出ていて、その後者に収録されているものはこれと同一の作品です。訳者がちがい読み比べるのもなかなか面白いですが、個人的に平井訳の方を勧めさせてください。

_ 雪雪 (2006-06-12 17:02)

☆SILKさんへ。ご返答とともに『待つこと・忘れること』 <br>の刊本についてのご教示ありがとうございます。<br><br>ところで、ぼくとあなたのようなものが遣り取りするときには常に、不特定多数のぼくと不特定多数のあなたの遣り取りになるのであろうし、その不特定多数の組み合わせのなかには、もっとよい出会いも悪い出会いも様々に潜在していることでしょう。<br>それは平板で普遍的な事実です。<br>なにか抱くに足る目的、語るべき物語があるとしても、それは必ずしも「ここ」で果たされなくともよい、と考えます。<br><br>単純に思いますのは、差し当たって取り扱うことができる「ここ」においては、あなたにとって使いであるぼくでありたいな、ということでありぼくにとって使いでのあるあなたであるといいな、ということです。同時に使い勝手もよければそれに越したことはありません。

_ t3koritzdw (2008-03-16 22:00)

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