_ ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた』の中の、「リリオスの浜に流れついたもの」を読む。
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カミナンテ。それはユカタン半島の延々と続く波の荒い海岸を、一生さすらい歩く旅人たち。海辺に住む老いた主人公は、通りすがりの若い白人のカミナンテと話す。
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《「古くからの旅人(カミナンテ)に出会ったことは?」
「いまはみんな年をとって、二、三人しかいませんね。隠れ星(ヒドン・スター)のスミス—本名はエストレジャ・エスティコンダ・カマル。カモル、カモール、それはこの国のスミスに当たるありふれた名前です。最近の彼はパハロスの近所を歩くだけ。あとは虹を指さすな(ドント・ポイント・アット・レインボウズ)ぐらいかな」
「え、なに?」》
虹を指さすな。すてきな名前。誰かか何かに付けてあげたいと思う。
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《「前にもあの流木の横で眠ったことがあるんです」》
若い旅人が、果てしない海岸線のなかのひとつの流木を、まるでランドマークのように口にするのがおもしろい。戦場に紛れ込ませた死体を言い当てる探偵のように。
この流木が波にさらわれ、流れ流れて、遠く離れた浜辺でこの旅人に出会うところを想像する。
旅人「この流木の横で眠ったことがある」
流木「この人間の横で眠ったことがある」
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世界中でたったひとりの人にだけ思い付かれ、忘れるまで思われ、忘れられたときにまた別の誰かに思い付かれ、どこまでも流れてゆき、誰かから誰かへと心伝いに思い付かれていく思い付き、ということを思い付く。
二人の人が同時に思うことが許されない思い付きの物語を書いてみようと考える。これはすばらしい物語になりそうな気がする。物語のまわりに細部が、駆け足で寄り集まってくる。裸木に葉が群がるように。
そうして物語がかたちをなしてくるにつれ、ぼくはすでにこの物語が書かれていることに気付く。読んだ憶えがある。
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穂村弘の『いじわるな天使』を取り出し、開く。半年ぶりに「ユニコーン・イン・シュガーキューブ」を読み返してみる。水面に浮かぶ流木が、ぼくの頭にこつんとぶつかる。前に触れたときとはちがう角度で。
ぼくはほんの3ページの「ユニコーン・イン・シュガーキューブ」を、半年前に読み始め、ずっと読み続けていて、いま読み終わったように思う。読み終わったときのぼくは、「リリオスの浜に流れついたもの」を読んだことがあるぼくに変わっているので、傑作だ、という感想を持つ。
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たったいま、「ユニコーン・イン・シュガーキューブ」のことを考えている人から人の、心から心を伝って旅していけるような気がする。誰かがぼくを通り過ぎていった気もする。
いま通り過ぎていった人には、虹を指さすなの名を授けてもいいです。もしも会う機会があったら、そう名乗ってください。