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雪雪/醒めてみれば空耳

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2008-05-03 レテに漕ぎ出し、渡り切らない舟

_ 生涯は、生前の過去と死後の未来の、果て遠い死期に挟まれた一瞬の光芒である。死んだこともないのに生者は死について語る権利は持たない、というようなことを主張する文言に、何度も何度も出会ってきたが、そうではないと思う。

生前と死後の、膨大な死期の記憶と展望に、内容がなにもないということこそが、正確な死の記憶であり経験である。

とある死と別の死に較べてみれば、とある生と別の生は似ているところがなにもないと云えるほどちがっている。翻って死と死は、似ているところがなにもないと云えるほどおなじである。

私たちが持つ、この上なく奇怪な「同一」という論理の強度は、一切異なるところのない死の経験からの質感によって支えられている。同一律は内実のない約束であって、実際には生の世界にまったく同一なものは存在しない。「同一」という虚ろな足場をなにげなく踏むことができるものは誰もが、死の経験を活用している。

同一律とは、対象を、現在において殺す方法である。

死んでいたことがあり、かつそれを憶い出すことができるものだけが、同一律を駆使し、言葉を使うことができる。

語ることと考えることは、生きながら少し死ぬ技術である。知性は、そこでしか成り立たない。これが、知性や論理に死臭がついてまわる所以である。

本日のコメント(全3件) [コメントを入れる]
_ おさとウサギ (2008-05-03 13:03)

似たようなことを考え続けています、ここ数日、殊に。<br>「以前(以前、以後という言葉がここで機能するならば)死んでいたことがある」と言うのはとりあえず控えていますし(ほとんどの場合そこで会話は終わる)、「今生きているってどうしてはっきり言えるの?」なども同じことです。<br>死の経験って、ほんとうに一切異なることのない同一の経験なのですか?<br>私にはそれがよくわからないので、「同一」を足場にできないのかもしれません。<br>今の私は、日に日に「同一感」が薄れてくるような気がしています。<br>ああ、でも、言葉という、この同一は、どうしたらよいのでしょうか。

_ 雪雪 (2008-05-04 23:45)

おさとウサギさんへ<br>>死の経験って、ほんとうに一切異なることのない同一の経験なのですか?<br>ここでは、視える限りの視野のどこにも淵源を見出せない「同一律」の、(特段の意味の)淵源の名前として(特段の意味の)死が要請されています。だから、この文脈においては、異なるところのある経験はすべて生の諸相です。たとえば既存の概念を借りて言えば、「死後生存仮説」とか「転生」とか「バルド」といったものは、もしそれらがリアルならば生の範疇ですし、もっと玄妙な意味であっても体験として異なり得るならこの際それは生と定義します。「それって生じゃないの?」というのが、ぼくの率直な感想でもあります。

_ おさとウサギ (2008-05-05 22:31)

「それって生じゃないの?」・・ありがとうございます、よかった、私も率直にそう思ってきました。<br>de profundo... 私は積極的に「同一律」という語を遣いませんが、淵を淵と思うためには淵源の存在が感じられることが要請されるでしょう。<br>さて、そうだとしたら、そこで要請されている名前としての死は「経験」なのだろうか... あれこれ考えると、ますます淵は深くなるばかりのようでもあり。<br>閑話休題、クラフト・エヴィング商會の作品は、彼女らが女性2人のユニットだった頃のものに出逢って以来、ピンときそうで少しはぐらかされて、でもやはり「好き」としか言えない、という、ビミョーな感じを抱き続けています。<br>つまり、ほとんど、手元にあります。<br>『テーブルの上のファーブル』をテーブルに載せてみる、ということも、当然バカみたいにやってみました、特に面白いことは起きませんでしたが。