_ 須原一秀の『高学歴男性におくる弱腰矯正読本』(新評論)は、ここにいながらにしてふと遠くに行ってしまうような人には必読の名著であるが、限られた層の男性限定の軽薄な自己啓発本としか思えないタイトルが災いして、読まれるべき人にはほとんど読まれていないのではないかと思う。
すごく大切に思っている本を失くしてしまったとき、買いなおさなくちゃと思い、でもいつも欲しい本があるから買いそびれているうちに買い逃してしまうことがよくあるが、もしもこの本を失くしたら、ぼくは迷わず即決で買い直す。かわりになる本がなく、この本が手許にないと困るからである。
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客としてうちの店にきて、その時期展開していた「みどり書房おすすめ」というコーナーの前に立ち、そこに並んでいる20点ほどの本が発する気配がただならないというのに、知っている本が一冊もなかったので、「まずい、ここで働かなきゃ!」と思ったという今は同僚であるIさんに、『弱腰矯正読本』を見せてみた。
ぼくが開いて渡したところを読んで、「わっわっわっ」と言った。「この本何冊あるんですか? 一冊? どうしよう欲しいです、すぐ読みたいですわたし買っちゃっていいですか?」そう言いながら、本を抱いて後ずさりしていった。
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この本は、論旨じたいも斬新でおもしろいのだがこの際それはさておく。最大の魅力は、例証として引用されている、ここではないどこかにいざなう魔法のような事例の数々なのだ。これは須原氏が哲学講師として学生から集めた膨大な「意識が変成する経験」の報告から抽出されたもので、つまりは以下のような体験談がたくさん載っているのである。
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【事例1】僕が小学校3、4年生の頃、家に唐草模様の入ったガラス窓があって、それをずーっと見つめていると、ガラスの模様がだんだん大きくなってきて、目の中に飛び込んでくるのです。それが波紋のような感じで、ビシビシと体の中に入ってきて、体がガクガクふるえているような感じになってきて、目の前が真っ白になりました。その感じが、怖いのですが、とても気持ち良く、やみつきになり、毎日ガクガクとなって遊んでいました。
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【事例3】保母をしている母から聞いた話です。ある三歳の女の子がガラス窓に右手を突きこみました。しかし、彼女の手から一滴も血が流れず、指の骨がきれいに見えていたそうです。彼女は相当の痛みだったでしょうに泣き声ひとつあげず、じっと自分の手を見た後、突然、隣の窓ガラスに再び突っこみ、直後に大泣きして病院に運ばれていったそうです。
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【事例9】小学生の時、タイムマシーンについて考えたのだ。私が将来タイムマシーンを作る。作り方は未来の自分が過去に戻って教えるのだ。だから作れる。教えている自分は、もちろん過去に作ったことがあるから、作り方を知っている。だから、過去に戻って教えることができる……だから、教えられて作る……これは論理的には成り立つ……したがって、この堂々巡りの輪の中に入ればいいのだ……
そんな事を考えていると、いつのまにか私はドアを飛び出して、無我夢中で走っていた。未来の自分が待っている、というような気がしたのは覚えているが、気づいた時は大阪湾沿岸の消防署にいた。夜の10時すぎにパジャマで走っている子供だったので、無論保護され、パトカーで家まで送ってもらった。
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【事例14】小さいころ、寝る前に気持ちを集中して、「そっち」の方へもって行こうとすれば、いつも変な感じになることができた。
「そっち」というのは、今ではそうなれないので、どちらの方向とも説明できないが、あの頃はその気にさえなれば「そっち」の方へ行けた。
その感じはどんな風だったかと言えば、少し記憶があり、口の中や頭の中にすごく広い空間を感じることが出来、また急な階段をすごいスピードで走り降りて行く感じでもあった様な気がする。
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【事例31】幼い頃、私は雨を見ていると、何故かそれに体が引きこまれていったことを覚えている。もちろん、私はびしょ濡れになる。そんなことは分かっていたことなのに。後には不安が残った。「私は何をしているの。どうして? どうして?」と何度も思っていた。
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【事例43】小学生の頃だったと思います。私は「お」と「む」という文字をみると、なぜかそれがむにゅうーと動いているような気がして、いつも面白がってじーっと見ていました。
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【事例54】二年前の夏にカナダで、オーロラを見ました。その美しさに声も出ず、無宗教なのに、「神様、私はいい子になります」と誓ってしまうほど感動して、オーロラが踊るのをずっと見ていました。
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【事例56】去年の夏休みに長野県の学生村に行きました。夏休みも終わり近くになり、ほとんどの学生が帰ることになり、その前の晩に、湖のそばでたき火をして、お別れ会をしました。私の好きだった一人の学生が、格好よくギターの弾き語りをしたり、みんなで合唱したりしました。
その時初めて「火が赤い」ということが本当にわかったのです。火って本当に赤いのです。それは燃えるように赤いのです。それが分かった私がすばらしく、誇りを感じていました。
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こういう事例のどこがどう「弱腰矯正」に繋がるのか疑問の向きもあろうが、これがまたストレートに繋がるのである。非常にベイシックなレベルで元気が出る本だ。
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『弱腰矯正読本』に先立つ『超越錯覚』(新評論)でも、つづく『<現代の全体>をとらえる一番大きくて簡単な枠組』(新評論)にしても、須原氏はいつも独創的で新鮮な(うかうかとは頷けない)視野を提示してくれるのだが、今年はじめ、これまでに増して圧倒的に独創的な本が出た。
その本、『自死という生き方』(双葉社)が出るまで、ぼくは2006年に須原氏が亡くなっていたことを知らないでいた。自死と知って、一瞬「えっ?」と思った。好奇心に溢れ、生きていることが楽しくて仕方がない様子が、行間から滲み出てくる人だったから。
らしくない、と思ったのだが、本を開いて、開いた口がふさがらない思いとともに納得した。哲学者に残された数少ないフロンティアとして、「明朗に、平常心で、みずから死を選ぶことは可能か」というテーマに挑戦した結果としての自死。そしてそのリポートとしての一冊の遺書。ほんとうに須原氏らしい。
死さえも楽しもうとする態度をいっそすがすがしいと感じる人もいるだろうが、断じて受け容れられない人も必ずいるだろう。須原氏の本はいつも、この種の「断じて」に向けて書かれていて、その意味では書かれなければならない本だったのだと思う。
文字通り命を賭けて書かれた本ではあるが、読者の心を撃ち罅を入れるような激越さはなくて、ありふれたエッセイのように気軽に読めるところが物足りなく、その物足りなさがとても素晴らしいと思う。戦慄すべきテーマを真正面から扱って、鳥肌すら立たせないところが見事だと思う。
バナナカレーさんはじめまして。<br>仕事柄、出版に携わる人たちに幾人も出会ってきましたが、たとえば「なんかいい企画ないでしょうかー」などと言われると、宝はそこら中に埋まっているのに、なにをぼさっとしているのだろう、と思ってしまいます。口先のほうは嬉々として「ありますあります!」と言うのですが。<br>駆け出しの頃から、すごいな、と思う編集者たちは、装填済みの拳銃のような人たちでした。今はまだ足りないものがあって果たせずにいる。それは能力かもしれないし、権限かも資金かも、ないしは人脈かもしれないけれど、とにかく、早く早くこれを世の中に発射したいという実弾が、心に籠められた人たちでした。当たろうが当たるまいが撃ちたい弾が(そして、同じ弾丸を装填した編集者どうしは、ライヴァルであり同志なのです)。<br>たとえばジャイブの、『氷の海のガレオン(文庫版)』や、『悦楽の園』は、そういう拳銃から発射されたのです。<br>バナナカレーさんにどんな弾丸が装填されているのか、まだ知らないけれど、たのしみにしています。
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