◆レルネエⅠ◆
レルネエの街は充満している。意味と象徴と詩情に侵されている。なにげないものはなにもない。
曲がりくねった路地が暗示するしきたり、風をはらむカーテンがほのめかす理論。
屋根を走る子ども、道端で眠る老人、頭頂に載せた水瓶に片手を添える娘、誰もかれもがひとりにひとつ、偉大な叡智を心に秘めているように見える。
並木のきらめきは水に愛される呪文であり、ゆるんだ敷石のかたりと鳴る音は「振り向くな」という警告である。家並の稜線は舞麦の相場を予想し、渡りゆく雲さえこの街の上空では、茨にいましめられた女神が棘だらけの蛇に変ずる説話を演じながら流れる。
ときには暗合を果たせずに、夕光に縁取られた鐘楼の複雑な輪郭線が、覚者の焦燥をあらわそうとして思い屈するさまを見ることもある。
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◆レルネエⅡ◆
レルネエ人の日常の出来事はすべて、夢分析から派生した手法で分析することができる。
ふとした言い間違いが記念碑に刻まれ、着衣の色合いが犯罪を構成し、部屋の模様替えには許可申請を要する。
そのかわり夜には、定刻に出勤して定刻に帰る、そういう夢を繰り返しみる。
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◆レルネエⅤ◆
レルネエへの外来者が、レルネエで本を読むのは難しい。集中力が落ち始めると、内容以外の意味に内容が埋もれてしまうのだ。レルネエで本を読むときは、月を見上げる要領で読む。
レルネエにおいても月の光だけは静かである。街の影響力から充分に遠くにあるからだろう(太陽も遠いけれども元来静かではないし、見つめるのに適さない)。夜半の街で、いつまでも月を見上げている人は、本を読むための鍛錬をしているのだ。
レルネエの図書館には、照明としてちいさな月がいくつも浮かんでいて、沈黙を含有する光で、読書する人を補佐してくれる。
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◆レルネエⅥ◆
レルネエでの逗留を終えて出立する旅人は、ひとしなみに呆然として歩む。旅路の風景がなんの感興も呼び起こさないせいで。
森でしかない森。道でしかない道。鳥以外のなにものでもない鳥が、たんなる空を飛んでゆくのを眺めるともなく眺める。
世界は落書きのように平板で、意味を湛えるための深さを失ってしまったように見える。レルネエでの日々に、意味に晒されすぎて、轟音が耳を遠くするように心が遠くなっているのだ。
旅人は、穏やかさのない静けさというものがあることを知る。たとえ感情が乾き切っているように思えるときも、不安と虚しさだけは感情であることをやめないのだ、ということを学ぶ。
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