_ 仙台の書店に勤めていたとき、かれこれ二十年以上前のことであるが注文カウンターにいた僕は、カウンターに背を向けて到着した客注品を未連絡の棚に収めていた。「すみません」と背後から声がかかった。そのなにげないひと言を聞いただけでわかった。今僕に話しかけている人は、今まで実際に出会った無数の人々の中でも、群を抜いて頭のいい人だと。
注文品を受け取りにきたその60代ぐらいの男性は「西澤です」と名乗り、本のタイトルを言った。その本に付いていた受注票には、西澤潤一とあった。
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卓越した器楽奏者が一音を奏でるだけで、あるいは卓越した画家が線を一本引くだけで、天からなにか降りてきて、一瞬で世界のにおいが変わる。
とても頭のいい人は、脳を熟練した楽器のように弾いて、独特の意匠の口調で話す。美しいとは限らないが、楽の音のように話す。考えていることと、話していることがハモっている感じ、と言えばいいだろうか。
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『すべてはFになる』がドラマ化されて、まああまり期待はしていなかったが、すごく頭のいい設定の人がたくさん出てくるのに、そんなに頭がよさそうではない人が多かった。武井咲が、浮いていた。よい意味で。彼女を嫌いな人も多いようだが、この世代の中では逸材だと思う。瞳孔の開閉まで制御できること、多彩に臨機応変に自然に笑えること、そしてフレームに入っていなさそうな時でも、手が、手の本能でするように、指先まで演技しているところなどは天性のものだろう。キャラクターに固有の、インプットとアウトプットのテンポにも、例のハモり感があった。
しかし全体的には残念な出来で、これから画期的によくなってゆく予感もしないな。
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_ 幼稚園のとき、おえかきの時間には、近所に住む画家のおじいちゃんが来て、採点をしてくれた。絵の裏に、いっぱいにぐるぐると渦を描く。渦がいっぱい巻いてるほど出来がよくて、最高なときは周囲に花びらがついて花丸になる。
あるとき、画家のおじいちゃんは、ぼくの絵の裏に渦巻きを描いて、「花丸はあげられないけど、きみは画家になるといいと思う」と言った。幼稚園児に振るには難解なコメントだと思うが、僕はその言葉を忘れずに、よりによったら画家になるつもりで小学生になり、中学生になった。
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中学の美術部は部室がなくて、放課後のいくつかの教室に二三人づつ分かれて制作を行っていた。その日、僕の一年二組の教室ではTさんとHさんが絵を描いていて、二人ともすごく頭がよくて(直前の中間考査で、Tさんが287人中7番で、Hさんが4番だったなあ)かわいい女の子だったので、部外者の僕はちょっかいを出しに近づいていった。
その途中の机の上にケント紙が一枚載っていて、その隅っこに使いかけで尻のところが巻かれた黒の絵の具のチューブが、ころんと転がっていた。通りすがりに拾おうとした僕の手は紙の表面をかつん、と打った。
そのときのぎくっとした思い、おしっこを漏らしてしまいそうな、体の芯を這い降りる蛇のような冷たい驚きを、今も忘れない。
それは、Tさんがたわむれに鉛筆で描き込んだ絵の具の絵だった。
彼女が一線を越えていることがわかった。その一線は、僕の中で出会ったことのない一線で、つまりは、永遠に越えられないであろう一線だった。
一瞬で僕は、画家になろうと思うのをやめた。
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<br>雪雪さん、こんにちは。 <br> <br>最近、数日間かけて、二階堂奥歯さんの本を読んでいます。 <br>その本の中に雪雪さんが登場されていて、気になったので、インターネットで調べてみると、ここに辿り着きました。 <br> <br>私は十七歳の田舎娘です。二階堂さんほどの本の虫ではありませんが、本がとても好きです。 <br> <br>二階堂さんの大切な人であるあなたが、今も生きていらっしゃっていて良かったと私は思いました。 <br> <br>これからも本が好きな同士、雪雪さんも私も、面白い本に出合い続けられたらと思います。 <br> <br>でしゃばった真似をしてすみません。 <br>拙文、失礼いたしました。 <br>ではでは。
矢翠さん、こんにちわ。 <br>こんな辺鄙な場所にようこそ。 <br> <br>面白い本はたくさんありつつも、面白くなかった本が面白くなるとき、それもまた読書の醍醐味です。面白くない本にも出会っておいてくださいね。
雪雪さんにとって(も?)「三日間の幸福」の終わりのほうのシーンは、重みや痛みや切なさのあるシーンだったのだろうか、と思いました。 <br>私はO型の説明書に「いつも将来の夢がある」と書かれて吹き出す人間なので諦めが悪くて、今もほんの時々てにをはを無視して絵を描きます。 <br>母は青森の八戸第三中学を出て、どの学校へ進学したかは聞いていないのですが、高校で絵の先生と出会って東京の美大へと進みました。娘の頃の母の横顔をもし見られるのなら、そっと覗いてみたいです。