_ そうそう叶うものではないと思いつつ、叶ったらとても嬉しいな、と思うことをあちこち頼み込んだり書き残したりしていた。
振り返ってみると、思いの外高い確率で叶っていて、ちょっと驚く。
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水見綾の『マインドイーター』は未収録作を加えて復刊されたし、クラーク・アシュトン・スミスは読みたかったハイパーボリアやゾティークが次から次へと訳されたし、『クトゥルフの呼び声』のドリームランドサプリメントも刊行された。『オレンジ党』は続編が出た。葦原大介は新作を描いてくれて、そのあおりで『賢い犬リリエンタール』が増刷された。しばらく売ることができなかったフアン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』も、ヘレン・ケラーの『わたしの生涯』も増刷された。めでたいなあ。『吉田博全木版画集』は復刊し、アルマ=タデマは新しい画集が出た。入手困難だった越水利江子の『忍剣花百姫伝』の文庫化もうれしかったなあ。迂闊にもおがきちかが素晴らしいことに気付くのが遅くて、入手しそこねてしまった新刊時応募者全員プレゼントの小冊子。それに収録された『エビアンワンダー』の掌編があまりにも評判がよいので心の片隅にいつも隙間風が吹いていたが、『エビアンワンダーコンプリート』というのが近刊で、例のソレも入るそうである。ありがたいことである。紆余曲折の末『ギヴァー』が甦ったのもうれしかったが、紆余曲折の末全四部の刊行決定まで漕ぎ着けて、ここで下りた肩の荷は大きい。
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知る限り世界でいちばん僕と趣味が合う友人が教えてくれたショーン・タンの『アライバル』は、版元さんと呑む機会があると原書を持ち込んで、「ほらほらすばらしいでしょう。字がないから翻訳の手間がいらないよ。すぐ出そう、ぜひ出そう」と推しまくっていたが、ついに河出から出ることになって、ありがとう!日本一売るぞ、くらいの心意気で手配したが、発売日直前に震災がきて、お店はめちゃくちゃになった。
世間では『アライバル』はじわじわと話題を呼んで、ちょっとしたベストセラーに育ってゆくのを僕は、うれしく眺めていた。指をくわえながらだけど。
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森下典子の『前世への冒険』は、品切になることを見越してあらかじめたっぷり在庫を用意しておき、版元品切になってからも延々と売り続けていたが、震災のときに汚損してぜんぶ駄目になった。悲しかった。
営業再開のためにがんばっているとき、版元である光文社のえらい人がお見舞いにきてくださって、はたせるかな「私共になにかできることがあるでしょうか?」と言った。
「ありますとも!」即答した。
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郡山の古本屋では、他の街では新刊書店の棚でもあまり見かけない『ギヴァー』や『前世への冒険』をよく見かける。残念な気もするが、嬉しくもある。たくさんの人に読んでもらったしるしだから。
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_ 先日同僚が、「あまり知られていないが超すばらしいマンガ家といえば誰を挙げる?」という質問をしてきて、「いっぱいいるけどまずは高山和雅」と答えると彼は高山和雅を知らなくて、布教のためにその場で検索してみると、なんということであろうこんなことがあっていいのか僕が知らないタイトルがヒットした。『天国の魚(パラダイスフィッシュ)』青林工藝舎。1999年の『電夢時空2 RUNNER』以来15年ぶりの新刊である。
おいおい9月20日に出てるよ。その日は22日だったが殺生なことにうちの店に配本はなく、僕は吼えながら発注した。
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最初に手にした高山和雅は短編集『パラノイアトラップ』だった。「落差」の新鮮さは筆舌に尽くし難く、今まで読んだことないと思った。すごいと思っても余人に真似ができるものではなく、その後も比類するものを読んだことない。いまだに新鮮なままだ。ちょっと連想するのは山尾悠子「遠近法」と、テッド・チャン「息吹」かな。いや、似てはいないんだけど壮大なものがコンパクトに完成している感じが共通しているのか。とはいえ高山作の中で「落差」が突出した出来というわけではない。
未完の長編『ノアの末裔』は、これこそが「彼方からやってきて僕の読みたいSFどまんなかを貫通して彼方へ飛び去ってゆく」傑作なのだが、『天国の魚』は『ノアの末裔』の続編ではないものの、そちこちから『ノア』のけはいが立ちのぼっていて、ことによると、『ノア』に組み込まれるはずだったモチーフを独立させたものかもしれない。
長かった。待っているあいだあのメビウス、日本のマンガのポテンシャルに非常な期待を抱き弐瓶勉にフランスでの発表の機会を与えたりしていたメビウスがですね、高山和雅について、「マンガに革命を起こすかもしれない」とコメントしていたことを知って、「むべなるかなー!」と心の中で叫んだりしていたが新作は出ない。その間、僕は気付かなかったのだが別名で新人賞に応募していたという話を最近聞いて、『電夢時空2』のカバー折り返しにあった「このような作品を描いて、発表の場をさがすことが、今の私のたたかいです」というコメントが思い出されて涙が出そうになった。
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『天国の魚』も、まぎれもない傑作です。アフタヌーンでボツったプロットの再生であるようだが、なんということか。これが埋もれていたかもしれないと思うとおそろしい。
錯綜したプロットにめくるめくが、読み返すと、初読の感触から予想したよりも容易に読み解ける。いくらでも長くできたろうに、つつましく節約されて、息が止まるような美しいプロットである。曲線とその交叉で構成された彫刻のようだ。
壮大なプロットが両手におさまって、回してみれば五つないし六つの万華鏡が重なり合いながらきらめくようにふるまい、一周回しても元のかたちに戻らない。
なんだろうこの曰く言い難い感じ。一度目に通過した些細なエピソードの数々が、再読にしてすでに懐かしい。認知科学の本でよく出会う、心の構えによって見えるものがちがう絵のように、どっちつかずの風情が掻き立てられる。せつないと思えばほのぼのするような、うっとりしていると芯のあたりが凍るような。微笑ましくも隔絶。ふわふわと夢のようなのにざらざらして血が出るよ。
ヒカルがだいすきでだいきらい。カオルは超かっこよくて超かっこわるい。
脳髄のどこかを、点で灼くように刻印されるシーンは少なくないが、中盤「四捨五入」のくだりは、森博嗣『笑わない数学者』エピローグ以来の、「一歩あとじさると遠くに着いた」感触があった。
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高山和雅の中には、あとどんな物語が埋もれているのか。描かせてあげてください。星雲賞でもなんでも、あげられるものをあげてください。
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