_ 小三のときの担任は稲垣先生といって、椋鳩十や小川未明を読み聞かせてくれて、生徒たちひとりに一冊の個人文集を作らせた。物語に出会うよろこびと、創り出すよろこびを教えようとしてくれたのだろう。
一学期の最初の日に、黒板に「稲垣」すこし離して「道」と書き、いながきみちといいます。みちこじゃなくてみちです。変な名前でしょう?と言った。いいえ、ぜんぜん変じゃないです先生。
.
ぼくの書いた詩や文章を、何度もほめてくれたしその頃は書くことが好きではなかったが、のちのち好きになる萌芽を育ててくれたと思う。ただし、作品がコンクールなぞに出品されて入選したりしてみると、あちらこちら無断で添削されていて、自分がぜったい書きそうにない言葉になっていたりするのがいただけなかった。自分の力で入選したものかどうか、あやしい気分になったし。
不安定な女性で、生徒のしでかしたことと、それに対する叱責の強度に意外性があった。他愛ないことで烈火のごとく怒り出すのでこわかった。
授業中そっと教室を抜け出してそっと戻ってきたとき、先生にみつかって、床に倒れて滑走するくらい殴られた。先生は泣きながら「あなたはどうしてそうなの!」と叫んだ。ぼくは同級生たちから「えこひいきされている」と言われていて、実際そういう面はあったと思うが、先生としてはなにか、ぼくに対して溜まっていたものがあったのだろう。
.
_ ぼくはその頃、教えられるあらゆることが素直に呑み込めなくて、それというのもたとえば役者が役柄のうえで述べた台詞をまるで自分の名言みたいにしたり顔で口説きに援用する不当さというか、検証の手続きも不明確な命題を「真理」として語ってへいちゃらな、規範に無自覚な愚か者しか周囲にいないように思えて、とはいえそういう思いを的確に表現する語彙も知力もなくて、たまたま表現できたとしても伝わりそうな予感もなくて、たいへん煮詰まっていた。心がごりごり音をたてるくらい切迫した無力感。死ぬ以外に脱け出す方法を思いつかないのに、死ぬのはいや。
.
_ あるとき、白紙が一枚ずつ配られて、いちばんすきなことばをかきなさい、という課題が出た。
ぼくはほとんど迷わず「憎悪」と書いた。
みんなが書き終わるのを見守りながらしんとした教室を回遊していた稲垣先生がぼくの横を通り、立ち止まり、言った。「ひがしのくん、それはだめ」
.
ぼくは胸が張り裂けそうだったが何食わぬ顔をしていた。
稲垣先生が、どんな思いで言ったのか、それはわからない。ありがたい言葉だったのかもしれないし、ありがたくない言葉だったのかもしれない。
そのときに感じた真っ黒くて鋭い殺意はいまも鮮やかに甦る。
それなのに、思い返すとその言葉はいま、記憶の中でとても優しくひびく。絶望的な記憶の堅い殻を、内側からこつこつとつついて、数十年かかって自力で出てきたひよこみたいに。
.
一片の児童文学を読んだような気がしました。<br>不意に、烈火のごとく怒りだすけれど、なぜか愛を感じた女の先生は、私の小学二、三年生の担任でした。子どもだった私は、今充分すぎるほど大人になった私より、ずっと感性鋭く、しかも心豊かな大人の人間だったのだなあと、雪雪さんの文章を読んで思い出しました~
実はまたメールを送らせていただきました。お手数ですが、ご確認をお願い致します。
ただいま、またメールを送らせていただきました。何度もなんども申し訳ありません。ご確認いただけましたら幸いです。
お久しぶりです。<br>いつ来ようかいつ書こうかぽわわんとしてましたが足跡だけでも。私は「あれは先生が何歳ぐらいに言った言葉だなあ」と思い返すことが多くなりました。年をとったんだなって自分をまた新鮮に感じます。
越水先生こんにちは。<br>読む人に、思い出したことのないことを思い出させるような文章が書けたらいいな、そう思っています。
峯岸さん、ご心配をおかけしました。憶えていていただいて、たいへん嬉しく思います。
風平線。うわー、他では出会わない名前なので、一気にノルタルジー。<br>おたがい年をとりましたな。年をとるほど時間が経つのが速くなると聞かされ続けてきましたが、ちっとも速くなりません。一日一日は速いけど、一年一年は長~いです。