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雪雪/醒めてみれば空耳

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2013-07-19 なにげなくのどかでほほえましいひかり

_ 昨日、フアン・ルルフォに言及したけれど、『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』の『短篇コレクション1』にはフアン・ルルフォの「タルパ」が収録されており、そこに忘れ難いコメントが付されている。前半部を引用する。

「長篇は長いから途中でだれてもなんとかなるが、短篇の原理は形の美である。ぜったいに隙やゆるみがあってはいけない。

この話など、整いの美の手本であると思う。完璧な短篇」

ひとりの作家・批評家が、一生に一度しか使えない評言であろう「完璧な短篇」を、池澤夏樹はここで使った。

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_ 僕にも「完璧な短篇」として想起される短篇がある。

島尾敏雄の掌編集『硝子障子のシルエット』収録の「草珊瑚」。

なにげなく想い出すことができない。この作品を想い出すと、心の中で両開きの扉が押し開かれて、重さのない水のようにひかりがなだれこんでくる。眼を細める、という仕草で、心を細めてしまうようなまぶしさ。

このなにげなくのどかでやわらかくほほえましい掌編を読んで、ぼくは永続的に、ほんの少しだけ賢くなった。愚かにする力能には事欠かない世界で、それは奇特なことである。

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本日のコメント(全9件) [コメントを入れる]
_ ナナイ (2013-08-10 16:22)

ねえ、雪雪の自分で自分だとわかるもの、なに?「シュレディンガーのチョコパフェ」の由布子ちゃんのチョコパフェみたいなの。

_ 雪雪 (2013-08-17 04:07)

「相対化のための努力の跡」だと思う。相対的な視野は、考えることの基本で前提だろう。<br>なにかを相対化するとき、その抵抗、というか手強さは様々である。印象的なケースがみっつある。第一に、一般的に手強いのだが自分にとってはほとんど努力を要しないこと(このケースはむしろ反相対化の努力を要する。自由から不自由に向かう努力。あるいは普通になってみる試み)。第二に、自分にとってはすごく抵抗があるのだが、一般的にはほとんど無価値であること(自分にとっては素直に大切なのだが、周囲に伝わらないこと)。第三に、理性的には相対化できているのにその力能がほとんど低減しないこと(くだらないけどすてきなこと。ひどいのにたのしいこと。まちがっているのに支えになること)。<br>それらの描くコントラストが、もっとも端的に「自分」の指標になっていると思う。つまり「相対化のための努力の跡」を失ったら、僕から自分らしさは消える。<br>まわりくどい話ではないのだが、説明するとまわりくどいねw<br>繁忙期で、あまり立ち寄れなかった。遅くなってすまない。

_ 寝仔 (2013-09-02 00:46)

雪雪さん、こんにちは。<br>そのやり方について考えると、それまでどうやっていたのかをふいに忘れてしまうように、自分の来し方のほうをぼんやりと振り返っていました。<br>そこには道があるようで無く、混沌としています。<br>一つの糸を引くとそれにまつわる物がぞろぞろと付いてきて、けれどどうもそれは呼びたいような物でもなく、縁日のくじ引きをしているようです。<br>ハムリー、ハンブリー、ハンフリー……と唱えていて「ハンフリー・ボガード」がついでに転がり出てきましたが、そちらは下の名前で綴りが違いました(笑)。<br><br>一番最初にお答えしなければいけなかったのですが、私の書いた本たちは比較的入手のたやすい物ばかりです。私はどんなに親しい人が薦めてくれた本でも、何年も何年も読まない、読めないこともあり、それはその本の良さとはあまり関わりがないので、自分がとても読みやすい本、自分にとても必要だった本でも、雪雪さんや、ここを読むどなたかに、読まれてしかるべき、とは思いません。<br>ので、どうぞいつでも、必要な時に、手に取ったり、取らなかったりして下さい。<br><br>私は、普通に会話をすることは出来るのですが自分の伝えたいことを「喋り言葉」で伝える際に、本当に大事な微妙な部分を大人の人に伝えられることが稀だったので、本を読むに際しても誰かに何かを聞くということもなく、97年ごろにネットに触れるまでは私が好きなモノというのを好きな人と遇うことはあるのかな? どうなのかな? という具合でした。<br><br>そのおかげで一人遊びの上手な大人子どもに育ったやも知れません。<br>98年ごろから2007年までの天野可淡の人形写真集絶版の時期に、どうしてもそれを「適正な価格で」探し出すことができずに無い本を探して本の隙間を貫き通すくらいのやぶにらみで「それらしい本」を探し続けた熱病のような時期が、私を、どこへ行ってもお店の端から端まで棚にある本を見つめる、という変な人にしてくれました。<br>本のことはだいたい棚の中の位置と姿で覚えるので、どうしてもタイトルと著者をぼわっとしか思い出せない本がたくさんあります。<br>そんな本にどこかで出会うと一人で興奮します。<br><br>読み違いや勝手な想像を繰り広げることも多いので、きっと本の中にないシーンをなぜか特別大切に思っていたりすることもあると思います。<br><br>私はなんだかなぜだか繰り返しの、喪失の後のメランコリーの中に立っているので、雪雪さんにお薦めした本は、最後まで読み通そうと思っています。<br>そのような影に降りて行ったままのお話ならば、勇み足をしてしまったなあと思うからです。<br><br>しばらく文章という文章を長く読むことができません。<br>けれど「ガブリエル・アンジェリコの恋」は"彼女は学生だ"のところまでだいたいすっと読めました。そして消えていくような複雑な心理や謎解きの積層があるのでもなく一つの、町に滞在した時の記憶のような空間として、その本の記憶はあるので、またいつ、読みはじめても良いと思えます。<br><br><br>頭の中の町に棲んでしまった怪物を棒で突っつきながら、もう一度、扉を開いて、旅をしてみようと思うのです。<br><br>長文失礼いたします。

_ 峯岸@500文字の心臓 (2013-09-06 17:21)

ご無沙汰しております。<br>ご連絡したい事がございまして、メールを送らせていただいております。ご確認いただければ幸いです。<br>ご面倒をおかけしますが、よろしくお願い致します。

_ ナナイ (2013-09-07 00:22)

図書新聞の連載、終わってしまったっぽい。あのう、kindle から木地雅映子さんの『20/20』が発売されているのだけど読めていますか?今日は「相対化のための努力の跡」を読物化して帰ります。ありがとう微塵。まだ嬉しくて困っている。

_ ナナイ (2013-09-07 00:33)

置いていくね。木地雅映子『20/20』 http://www.amazon.co.jp/dp/B00EMZNIBM/ref=cm_sw_r_an_am_ap_am_jp?ie=UTF8

_ 雪雪 (2013-09-08 03:10)

寝仔さん、峯岸さん、ナナイ。かまってくれてありがとう。<br>相変わらずフットワークがトロく、敏活なレスポンスができないけど、置いてくれたものは順次食べています。もぐもぐ。

_ ナナイ (2013-09-11 15:27)

次 RADIO GROOVE に登場するときお知らせほしいなー(・∀・。)

_ 雪雪 (2013-12-11 04:35)

>ナナイ 今やってる枠はパブ枠なんで、空きが出たとき、いつでもワンテイクで突っ込める俺のところに依頼がくる。そういうわけで予定はなくて、いつも突然なんです。<br>12月4日に『エンダーのゲーム』やりました。11日に『無限の始まり』やって、あと年内に18日か25日になにかやります。