_ この一文は、本題に入らない。
ながいあいだ忘れていたとを思い出した。とても大切なことで、短く書く時間がないので、きっかけだけ、自分の心覚えとして書いておきたい。
読んでくれた方はもやもやすると思うが、ごめんなさい。
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_ 「言葉とは、アウグスティヌスが書き遺した真理や精神とは無縁のものである。地上のいたるところでまったく異なる言葉が話されているのだから。言葉が少しでも神の普遍と類似したものであるなら、すべての言葉に共通の語があるはずだ。しかしそのような語は一語たりともない。人類は言葉に習熟するほど神からも真理からも、精神からさえも遠ざからざるをえない。それは今わたしが述べた言葉の特性からの必然的な帰結である。」
これは保坂和志『カフカ式練習帳』135ページからの引用。
読んだのは去年の春で、たちまちいろんなことを考えてしまいそうな刺激的なフレーズだったが、考えなかった。眼を逸らしたのだ。そして眼を逸らしたことを自分に気付かせないようにした。
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_ 十代の終わりから二十代にかけて、ぼくは「思い出したくないことなどない」とのたまって、思い出したくないこと、思い出しそうになると抑圧が働いて眼を逸らしそうになることを、懸命に思い出したりしていた。できるだけ視界から翳りを払い、できるだけ透明な視野で遠くまで見渡したかったから。偏りを無くしたかった。眼から落ちることができるウロコは、できるだけ早くできるだけ多く、落としてしまいたかった。
それはもちろん無謀な試みで、忘れるべきことを忘れていかないと健全な精神は保てないから、ぼくは不健全だったけれども、健全ってむしろいっそう不健全だよな、とも思った。
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_ そうこうするうち、超低空飛行でどうにか安定したが、やっぱり三十代になっても四十代になっても落ちるウロコはあって、まあぜんぜんウロコが落ちないのもつまんないのであるが、こんな古くて重たいウロコが残っていたのだな。『カフカ練習帳』のあの一節を読んだとき、抑圧が働いたせいでかえって、ぼくは心のどこかで、そこが「すごく痛いところ」だと、気付いていたのだと思う。
あの一節が鍵を開けてくれた。あるいは、自分に気付かれないように鍵をかけた自分に気付かれないように鍵を開けた。
そしてその後読んだ本が扉を開けたのだ。
岩波現代文庫で数年前、ひさびさに復刊されたルリヤ『偉大な記憶力の物語』。こんな悲しくて、無念で、胸苦しく悔しくてたまらない読書になるとは。でもきっと、直前に『カフカ練習帳』のあの一節に触れて、心の片隅がほどけていなければ、知的刺激に満ちたすごくおもしろい本と感じるにとどまっていたと思う。
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_ 四歳か五歳のころだ、ぼくはおおきな夢を持っていた。
それをある日、あきらめざるをえないと悟った。あの絶望感。神様、どうして世界はこうなっているの?どうして心はこんなに苦しくなれるの?この苦痛は終わるの?世界があんまりにもてきとうだから、じぶんの苦しみのかたちさえはっきりわかりません。
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ぼくはその記憶を忘れていたわけではなかった。出来事じたいは、子どもの頃の印象深い思い出として、誰かに話したこともある。
でも、こんなにまで痛かったことは忘れていたのだ。
あの日。英語ではいぬをドッグと発音しdogと表記すると知ったあの日。
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それにしても、長かったですよ。 <br>お帰りなさい、お待ちしてました。かもめちゃんと月ちゃんからのメールで復帰を知りました。 <br>「また書いてください」という言葉がすごく遠回りをして、ようやく届いたみたい。数光年かからなくてよかった。 <br> <br>無理なら仕方ない……と納得したつもりでいたけれど、またこうして微塵さんの文章を読んで、自分がどれほど待ちわびていたかということに気づかされました。 <br> <br>しかし、微塵さんはいつも私がピンチに陥っているときに現れるなぁ! <br>
本日、拙ブログ↓リンク集に、雪雪さんをリンクさせて頂きました。これで、いつでも、ここを見にこられます~♪ <br>http://d.hatena.ne.jp/rieko-k/
エマ>長かったねえ。 <br>あなたに対してはいつも、なにか言い残している気がするし、あなたの方からも、ぼくに対して言い残していることが、いつも遠くから聴こえてきている気がする。 <br>そのことを想うたびに、なにかまた書くことの方へ、少しずつ押されてきたのだと思う。少しずつ少しずつ押されて、とうとうぽこっと出てきたのだ。なんか管みたいなものの中から。 <br>
りえ子さん>あら先生。こんな辺鄙なところにようこそ。 <br>越水さんの本に出会ったのは、まだ深く潜行して、なんにも書けなかった頃だったので、これからぐりぐり書きたいです。まだかたちになりませんが。 <br>学校図書の選定依頼があると、越水さんの本は必ず入れています。越水さんの本に出会ったら、その人はきっと、出会う前よりもっと、本を好きになってくれると思うから。