◆到着◆
思春期の列車が、壮年の線路の上を運行してゆく。次の駅に向かっているのだが、駅とはなにかまだよく知らない。「8時21分に着かなければならない」ことは、なぜか知っているので、列車は「8時21分」が駅の名だと思っている。
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つつがなく8時21分に到着する。列車は前のめりに火照る身体をなだらかに鎮め、内蔵されていた軟らかくて可動部分の多い知的生命たちが自律的に、体側の各開口部から離脱してゆくのを見守る。かれらは列車に似ていない。脱線したまま駆動する。かれらはあらゆる方向に進行することができる。
「脱線したまま生きるのは、どういう気分なんだろう?」そんなことを考えると列車はくらくらしてくる。サスペンションで、ぎしりと呻く。怖いもの見たさでかれらを追尾してゆきたくもあるが、発車しなければならない。それは硬度の高い規則。
次の駅8時26分に向けて、ゆっくりとホームを這い出る。
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誰もがちがう径路を運行する。ちがうしるべを見据え、てんでに散ってゆく。しかしやがて列車が、8時26分に到着するそのとき、8時21分から散開していった誰もが例外なく8時26分に到着する。
ということにはまだ気付かないくらいに、おさない列車だった。
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今日も、時間という線路を運行するものたちがおなじ場所を目差して飛散する。音もなく常に到着している。無数の、現在発現在行き上り普通列車が。