_ 客観的であるということは、ひとえに価値中立的に引いた視線で眺める、ということではない。
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たとえばとあるひとつの価値について、弁護することも糾弾することもできる。
あるいは、陶酔することも罵倒することもできる。
その振り幅のうちにこそあるものだ。
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しかして、すぐれて客観的であれば人は、沈黙する他なくなる。
そしてあえて、なにかを断念したうえで語り始める。
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沈黙を経た人とそうでない人は、たとえおなじ意見を表明していても、ちがう気配を纏い付け異なる光を視ている。
このゆえに、おなじ意見を述べている二人のひとが敵であるということがあり得るのだし、真逆の主張をする二人のひとが味方であるということがあり得る。