«前の日記(2006-04-22) 最新 次の日記(2006-04-24)» 編集

雪雪/醒めてみれば空耳

2002|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|10|11|
2005|02|04|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|11|
2013|05|06|07|09|10|11|12|
2014|01|03|04|06|08|09|10|
2015|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|
2016|01|03|04|06|07|08|09|11|12|

2006-04-23 表の言葉、裏の言葉

_ 「どうして私がこんな目にあわなければいけないの?」

「どうしてこんないい子が死ななければいけないの?」

どうして? 理由はある。

探し求めなければ理由はある。でもその理由にその人は納得しないだろう。癒されもしないだろう。

その理由を見つけまいとして、人は別の理由を探し求める。そしてときには、求めた理由を見つけてしまう。

.

「どうして私がこんな目にあわなければいけないの?」

「どうしてこんないい子が死ななければいけないの?」

こういう言葉が、ぼくはこわい。

「あの人こそこんな目にあうべきなのに」

「この子でなく悪い子が死ぬべきだ」

そう言っているのとおなじだからだ。

そう言っていけないと言うつもりはない。おなじだと思えないことがこわい。

.

「どうして私がこんな目にあわなければいけないの?」

「どうしてこんないい子が死ななければいけないの?」

そう言ってしまう人がこわいわけではない。

そう言ってしまうことをぼくも、悪いこととは思えないことがこわい。

(もちろん人にそういう言葉を言わせてしまう出来事のほうがもっとこわい)

.

言葉は表と裏でひとつだ。

表の言葉を自分に許すとき、人は実感していなくても裏の言葉を自分に許す。