_ 時代を超越するような達成は、むろん多数に受け容れられません。
ただし、時代を前方に、つまり未来に超越するような作品は、その威力を前借りするようにしてヒットすることがあります。いつか時代が追いつくのを待っているような作品は、いくばくかの説得力をすでに持っているから。
対して時代を上に超越するような作品、つまりどの時代の大衆も追いつけないような作品は、なにか壮大な誤解が支援しない限りヒットしません(逆にどの時代の大衆も追いつけるからこそ偉大な作品、というのもありますけれども)。
_ 人の心を強く揺さぶるけれどもじつはありふれたもの、限られた人の心にしか届かないけれどもこの上なく稀少なもの、多くの人の心を掴みながら孤高でありしかし時代を超えないもの。そういう見分けは場数を踏まないと身に付かないものです。もし誰かが、水準以上の鑑識眼を獲得すれば、その人は必然的に周囲の鑑識眼に不満を抱くでしょう。鑑識眼があればあるほど、その人はマイノリティになります。けれども、もしとある文化が創造できる最高の達成が、多数の支持を得るとしたら、それもまた悲しいことではないでしょうか。鑑識眼の平均あたりを経巡る芸術。
_ 売れもせず、ごく限られた賞賛しか得られなくとも、稀少なものは創られ続けています。それは素晴らしいことだと思います。ぼくの鑑識眼が及ばないものだって、誰かが創り、誰かが享受している。ほんとうにご苦労様です。どうか頑張ってください。遠くから応援しております。いつかぼくの鑑識眼が高々と飛び立ってそこに及びますように。
_ 人は買いたいものを自由に買う。当然自分の心に訴えるレベルのものを買う。誰かの宝が誰かのゴミ。誰のゴミが誰かの宝。
文化の底力はひとえに先端にあるのではなくて、ピンからキリまでのその幅にあるのだと思います。それが豊饒な土壌というものでしょう。現状はけっして悪くないと考えます。ピンからキリまで、ほんっと幅広いですから。ピンキリの尺度も逆転したり戻ったりするし。斬新と思えば復古。進化と思ったら退化。掃き溜めが鶴を産んだり、堕落したら天国に着いたり、昇り詰めたら地獄だったりするんですもの。でも、なんでもありではない。掟は厳しい。
<br>I have a dream.