_ 二〇歳くらいの頃か、好きな女の子と「またね」と言って別れたあと、立ち去ったのと反対方向から何食わぬ顔であらわれてびっくりさせようと企み、塀を登り壁を伝い屋根を這い屋上を走って思い切った高さから飛び降りて足の骨を折った。
とりあえずびっくりさせることには成功。
友人たちは口々に「ばか」と言ったが、そのとおりだと思った。
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松葉杖を突くのは初の体験だったがたちまち慣れて、二本の松葉杖を前脚、無事な左脚を後脚として、馬ばりのフォームで駆け回った。
駆け回るほどに熟達した。松葉杖をできるだけ前方に振り出し、地面に突き立ったら棒高跳びの要領で踏み切って、円弧を描いて松葉杖の前に着地、また松葉杖を前方に振り出してを繰り返して、並みの女性が走るよりは速く走った。これがじつに気持ちよいので、無事なときより頻繁に散歩に出かけた。最初のうち松葉杖が当たる両脇の下と肋の辺りが広範に内出血して痛い目にあったけれど、じきに胼胝になってへいちゃらになった。「誰よりも元気な怪我人」などと友人に言われてますます調子に乗った。仲間内でハイキングに行ったときも、皆の心配をよそに足手纏いにならずについて行った、というよりむしろ待ち切れずに先導して行った。道行く人々が、驚いて振り返っていたものである。
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ひと月経つ頃に病院に行くと、お医者さんが「もう治ってる。よほど代謝がいいんだな。でも早過ぎると変にくっつくことがある。ちゃんと安静にしていただろうね?」と言ったので、ぎょっとしたけど「はい」と答えた。ぜんぜん安静にしていませんでしたと言っても、もはやどうしようもないもんね。
杖は誰も見ていないタイミングを見はからって、所定の場所にこっそり返した。「今までありがとう。ごめんなさい」一ヶ月使い倒した松葉杖は、だいぶ丈が短くなっていた。