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雪雪/醒めてみれば空耳

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2003-03-31  覚醒直前に逃走した模様

_ 意識が液化気化してゆくはやさで、ぶつぶつと、頭のなかで独り言を呟いている。意図が指図のかたちを結ぶまでのあいだ。

そうやって浪費してしまうのが常なのだが、起きがけは奇跡の時間である。

_ 人の心を動かすもっとも強い力は、物理化学的にはさしたる強さではない。だから、強く激しく感動することは、ほんとうは貴重でも困難でもない。例の「火事場の馬鹿力」の逸話とおなじ伝で、心にも制限速度があって、ふだんはストッパーがかかっているのだ。

心にリスクがあるほどの強い感動というのが、そう度々あることではないから見逃されがちなのだが、強いだけの(衝突的な)感動にはあんがい学ぶところがない。

_ 出会い頭に絶妙にヒットしてしまったカウンターの手応えと、(相手の動きをジャブによって制御し視線を視線のフェイントによって逸らしそれらに連動するステップの切れで瞬時の判断を攪乱して四楽章で約一秒の)交響曲のクライマックスのように命中したフィニッシュブローの手応えは、たとえ威力がおなじだったとしても体験の質はまったくちがう。

_ 起きがけは心を管理する側もまだ調子を取り戻していないので、それより早くこちらが意図を取り戻すことができれば、緩みきった警戒態勢のなかで、ふだんは検閲されがちな種類のそこはかとない感動を盗み出すことができる。

強度への誘惑をなだめないと、チャンスは一度しかなくなってしまう。強い感動は警報となって半睡を一気に覚醒へと移行させてしまうから。

_ だからできるだけ微妙で、できるだけ奇妙な、そんな感動を集めるのがよい。

繊細な感動を鎖細工のように繋げて、その鎖を伝って昇る低い空のように、めずらしいことが取柄のちいさくて目立たない感情を逃走路にするのがよい。

起きがけに奇跡を見てから起きるためには。