「あなたのような不死人が増えていったら、生者と死者の帳尻が合わなくなるわね」
「そんなもの初めから合ってない。生まれてくる者が一億人いれば、生まれる前に死ぬか殺されるかする者が五千万からいるんだよ」
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枝の先で、ふるふるとふるえ落ちそうで落ちずにいるそれは、飛び立とうとして翼を知らずにいるもの。それは翼を知らぬままにいつか、進化の道程をゆっくりとたどって、眼というものを産み出すもののけはい。
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「まだ誰にも思いつかれていない考えなど存在し得るのでしょうか?時間が方便にすぎず、あらゆる可能性の分岐が斉一に実現しているとすれば、可能なすべての考えはすでに思いつかれているのでは」
「波動が収縮せず、観測され得るあらゆる可能性が実現しているとすれば、それは超越論的な決定論になりますね。まだ・いまだ、という意味が局所的にしか成立しない世界」
「そう思います」
「おおきな雪とちいさな雪が降ってきました」
「それが」
「雪という言葉を私が発声します。この事態—この空気の波動と、話した私聴いたあなたの脳内物理化学状態。これとまったく同一な事態が観測される世界は無数に存在します。けれどもそこで遣り取りされた意味は、同一とは限りません」
「超越論的決定論のなかでなお、意味は超越論的に恣意的であると?」
「超越論的なふたつのものが和合しないとき、語りえぬものが示されるのです。言葉あればこそ、言葉の外部があらわれるのです。言葉の限界の向こうにあるものにとっては、言葉がその限界です」
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「アテネに梟を持っていく」という古い諺はアリストファネスの言葉に由来する。
愚行、見込みのない商売、あるいは「釈迦に説法」くらいの意味である。アテナの使いである梟は、アテネの森にたくさん住んでいた。
「ニューキャッスルに石炭を運ぶ」というのが英語風の言い方である。ロシアでは「トゥラにサモワールを」になる。最近なら、「ブルガリアにコンピュータウィルスを」みたいな。
ハザールには「夢から名前を持ち帰る」と言う諺があった。動詞は天に由来する創造の言葉であり、名詞は人間に由来する死んだ言葉であるから、天に近しい夢の中からわざわざ名詞を産地に持ち帰るほどのうつけ者、ということである。
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街といえば猿である。
けだものには似つかわしくない禍々しい笑いを家並のあいだに張り巡らして、眼に沁みるほど臭い屁をひる街。
晴天を冒涜するように掲げられた真っ赤な尻が、区割りにひとつずつあって、来訪者へのランドマークになっている。それが青い空にとてもよく映える。
夕刻、見慣れぬ街がそばを通りすがるのを見咎めて、憎々しげに引き歪められた無数の口腔が飛び立つのを見る。
とち狂ったような軌跡で風をぶった切り、甲高い警戒音の針で虚空を縫う。耳元を通り過ぎるとき、がちがちがちと歯を噛み鳴らしてゆく。