「あれは丘?ですか」
「登ることができて、見晴らしがよいものであることは確かですな」
「登ってみていいでしょうか?」
「どうぞ。そのかわり二度と降りることはできませんぞ」
「なぜ?」
「頂上が時極ですから。主観的に全方位が過去になりますので」
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【基底的記憶】
「眼に触れるすべてのものが懐かしい。二度眼に触れるものはもっと、三度眼に触れるものはもはや耐え難い!」
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クロンセントの賢王アイトールウイススは、古今の秘儀に通じ、あるとき人の眼より暗愚の曇りを吹き払う秘法を会得した。
アイトールウイススはいかなる認識の痛苦にも苛酷な真理にも耐える勇気を備えていたが、澄明なる思索に沈潜する生活をひと月ばかり送ったところで、はなはだしい衰弱のあまり、あえなく法呪を解いた。懐旧の念が際限なく募ったためである。
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ありとあらゆるものがいくばくなりとも旧びているが故に、人の眼には常にノスタルジアを和らげる蔽いがかかっている。時折苦痛なほどの懐かしさが、酸のように胸に沁みることがあるが、蔽いを払いじかに触れる酷烈なノスタルジアは、勇気によってはくじき得ぬ情調であり、いかな賢王といえど抗うべくもなかった。これよりのち王は、禁制がほころびた旧い旧い記憶に苛まれ続けたが、これらの記憶を〈基底的記憶〉と呼んで独断的に重要視し、膨大でとりとめのない口述記録を残した。残された原稿には「号泣により聞き取り不能」と記された欠落部分が頻出する。
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「この夢を忘れないでください」
「って夢のなかで言ってもだめだよきっと」
「・・・・・・・・・・・」
「直後に目覚めないとね、夢って記憶に残らないんだよ」
「すーう」
「ん?」
「わっ☆!!!」
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自分たちのいのりを叶える唯一の神が、いのりを聞き届けてはくれないことを悟ったとき、かれらはかつてない斬新な計画をこころみた。
それはいのりを叶える力はないが、聞き取ってはくれる神にいのること。
つまり、自分たちの神ではない神に「伝言」を託したのである。
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「妖精もね、人間と頻繁に接触すると精神のバランス崩すやつおるから、妖精の精神分析学のね、開祖になろっかなーって思ってるわけ」
「ふーん」
「冬場に水で顔洗うのいやだなんて言い始めたら妖精も終わりだわ」
「ちょっと待って。その程度で狂ってるってか?」
「もともと狂ってる人間の尺度で考えたらだめ。個体差も世代差もあんたらよりずーっと小さいんだから」