«前の日記(2016-06-24) 最新 次の日記(2016-08-19)» 編集

雪雪/醒めてみれば空耳

2002|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|10|11|
2005|02|04|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|11|
2013|05|06|07|09|10|11|12|
2014|01|03|04|06|08|09|10|
2015|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|
2016|01|03|04|06|07|08|09|11|12|

2016-07-29 天動説

_ 現在とは、もっとも鮮明な記憶である。

多種の経路の多様な情報を統合するのに時間を必要とする分、意識上の現在は実現在に多少遅れをとることになる。リアルタイムの行動の決定、身体への指令は主に無意識が担っていて、意識は基本的に身体をコントロールしていない。

意識の主要な役割は自分に対する事後の解釈である。自分を取り巻く状況を一望して「自分はどういうつもりなのか」を無意識に伝える批評家・評論家である。

人が自分の動機を解釈するとき、それはしばしば的外れなのだが、そもそも人は独自の目的と欲望を備えたユニットの集合体であるから、本心というものを一意的に正答できるものでもあるまい。

.

表層意識はたとえて言えば、一定のコマンドアイコンを含むディスプレイのようなものだ。無意識も含んだ自己の、つまりは外見である。

人は他人の外見を観察して内面を類推するが、それには錯誤や誤解がつきものである。自分に対してもおなじことで、意識の外見を観察して意識の内面を類推しているのだから、錯誤や誤解がつきものであるのは当然のことだ。自分だってしっかり他人なのである。

.

意識が表象に過ぎないことは自明のことだが、にも関わらずほとんどの人はこの表象に自己を同一化しており、ディスプレイこそがCPUないしは本質だと実感している。

つまり見えに依拠して地球が中心だと思っていた天動説のレベルにあって、心理学はまあこれからひめやかにコペルニクス的転回を迎えてゆくのだと思う。

文明が仮にあと百年存続するとして、22世紀あたりの人が現代の常識的な世界観に前時代的な格差を感じるとしたらこのあたりかもなあ。

.