_ 僕に前世があったとしたら、記憶と感情によほどこだわりがあった人だと思う。物心がついた頃から「記憶と感情は宝物である」と、思っていた。文字通りにそう思う語彙はなかったが、思い出と気持ちに僕は幼い頃から執着していた。
将来なにを考えていくにせよ、その源泉と素材と手掛かりは記憶と感情にあって、僕にとってのそれは僕の心の中にしか起こらない。僕が失えば、それは世界から消えてしまう。守ってゆく者は唯一僕自身しかいない。それが幼少期のライトモチーフだった。
『忘れてはならない』ということを「忘れてはならない」ということを忘れてはならない。
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人は語り聞かせられたことを像として制作し、やがて体験の記憶と混同してしまう。ゆえに自分自身を外から見た姿が、記憶の中に登場したりする、というような記述によく出会うが、僕はそういう記憶の変造や捏造に強い警戒心を抱いていた。あらゆる捏造を、完璧に拒むことはできないにせよ、僕の体験の記憶はすべて自己視点で、夢の中でさえ絶対に自己視点から離れない。
こういう性向だから、幼少期の思い出をテーマにしたエッセイの類には目がない。長い間再生される契機のなかった記憶や感情を、甦らせるよすがとなってくれるからだ。
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_ 天才的な才能は、できること感じることの自由度を拡げてくれるから、天才どうしは凡才どうしより似ていない。そして凡才どうしの格差より、天才どうしの格差のほうが遥かに大きい。凡才が天才を高みに振り仰ぐとき、天才も別の天才を遥か高みに振り仰いでいる。あるいは、彼方に隔絶して感じている。フォン・ノイマンが、アインシュタインをして「彼の前では自分が馬鹿に思える」と言わしめたように。
子どもはまだ、自分の定義が定まっていないから、おとなよりも感情や判断の振り幅が大きい。自由過ぎて、その自由を扱いかねているから大なり小なり適応不全で不自由である。そして世の中で使いようがないほど基本的に天才である子どもたちどうしは、おとなたちどうしより似ていない。
幼少期の手記は、おとなになってから書かれるから、実状より似たり寄ったりになってしまうのだが、稀に、子どもの頃の鮮烈で危険極まりない自由を残存させている人がいて、おとなには絶対書けないことを読ませてくれる。
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_ ヘレン・ケラー『わたしの生涯』と、アニー・ディラード『アメリカンチャイルドフッド』、土方巽『病める舞姫』あたりは、その本にしか書いてないことが書かれてある希少な書物だが、ひさびさにこのラインに一冊の本が加わった。
アメリー・ノートン『チューブな形而上学』。二年前に訳出されていたのに気が付かずにいた。新しい提携店舗が盛岡にできて、そこはうちの店の二倍以上の規模なのだが、開店準備の手伝いに行ったとき、実際に手にしたことがなかった本にたくさん触れたのである。なかでもこれが収穫だった。
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ヨーロッパにおいては当代最高の人気作家のひとりアメリーは、ベルギー領事の娘。日本で生まれ5歳まで日本で育った。
生まれてから二年間、ほぼ植物状態で動くことも話すこともなく過ごし、ある日いきなり絶叫とともに覚醒する。ついで二歳半のとき、ホワイトチョコレートとの出会いをきっかけに世界の実相を悟る。
それから卓越した学習能力と判断力で、異様なまでに戦略的にふるまうアメリーの、冒険的日常が始まる。その知力に見合った経験の蓄積がないゆえ、子どもらしくない広い視野はいつひっくり返ってもおかしくないほど、アンバランスでダイナミック。
『病める舞姫』もそうであったが、ついぞ人の言葉としては読んだことのない配列で言葉が連なってゆく。三歳にして死にかけ、死を目前にした三歳児が滔々と語る死生観! おもしろそうであることは充分に伝わると思うから、内容には踏み込まないし引用もしないが、終盤、季節にことよせて二歳、三歳、四歳という年齢の決定的なちがいが語られるくだりでは、頭から尻の穴まで貫かれるような歓喜に打たれ、思わず射精しそうになった。
この本のおかげで、意識下のあちこちで、ひさびさに思い出されようとする記憶が、かさこそと蠢動するのを感じる。脳内の啓蟄。痒い。
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こんばんは。 <br>読み終える前にお勧めするというアクロバットをしました「どきどき 僕の人生」を年末に読み終えました。 <br>これはとても言葉にするのが難しい、とレビューするつもりで読み返してもそう思いました。 <br>キム・エランは読んでしまうことと呼んでしまうことのこわさを知っています。私たちが何を捉えて、はじめに何を喜ぼうとしてしまうか。悲しもうとしてしまうか。名前を呼べばそれがどんな望みでも叶えてしまう精霊のように、呼応するものの自動性、その力をよく知っているからこそ入り口から見える出口は、曲がり角に変わります。 <br>同時に、その力をただの悪として解体することもなく、おそらく私よりもっと多く、信頼し、使うのです。 <br> <br>私はぼんやりと生きていることがわりと好きなので、ひつよう、と決めた時以外には言葉であまり遠くにも高くにも出かけません。ひたすら近似値になるように線を引きなおし続けるようなことは、よくするのですが。 <br>この物語は、キム・エラン、あるいはアルムは、たぶん高さを知っている人の言葉だと思いました。 <br>自分から離れて冒険をしていったことのある人の目、そういう言葉と問いと応答の、捕手をかろうじて逃れ続ける快音。 <br>私にとってこの本の隣りは「重力ピエロ」伊坂幸太郎みたいです。構造とかシチュエーションが、ではなくてたぶんあるぎりぎりの賢明さのようなものが。 <br>この本がほかの人にどのように読まれるのか、その時間をこっそり横で見てみたいです。
ねえ、微塵のトーテムってどんなの?
「小さなアリストテレス」だったこと、あったんだろうかと、子どもの体がまるごと問いになるような感じをたぐってみた瞬間に、今日はたまたま、私に自分自身についてのことを答えさせることがほとんど唯一可能だった祖父の問いとその答えを思い出しました。 <br>何度も思い出したエピソードでしたが、それは私には「他の家族からそのような問いを向けられたことはない」という理解と、記憶として残っていましたが、なぜなら祖父が的確な問い方を他の人よりも知っていたのだと今日はじめて思いました。そしてそれは私の心に残るめずらしい出来事だったのだと。たぶん同じことを尋ねたことがあると、それは私の記憶や関心の目安なのだと、思う人のほうが多いと思いますし、私自身しばしばそのように思い、今も手探りの日々です。 <br> <br>5:55からお気に入りのアニメを見ると祖父に答えている私の記憶は、そのアニメの本放送とは放映時間が違って、ずっと勘違いをしたのかなあと思っていましたが、「5」が並んでいてタイトルにも「ゴー」がついていましたので間違えるわけはない、と思ってもいました。 <br>テレビ東京好きの方が作ったたった6枚の番組表が子どもの私が好きだったアニメの名前を捉えてくれていて、そのタイトルの上のほうの枠に「5:55テレビこどもランド」とあるのにピンと来て、放映開始時間を18:00に直して探し、今度はウィキペディアの有志の方のおかげでその再放送枠で、祖父が亡くなるより前の年に私の好きだったアニメが放映されていたことがわかりました。 <br> <br>離人症の本を読むとよく、外から自分を見ているという記述に出会うのですが、私にはそのようなことがほとんどなく、でも起こっていることはそこに書かれているものに近い、なんでだろう、という疑問が少し解けたような気がします。 <br>私程度の記憶力でも、そのような次第です。
寝仔さん、 『どきどき 僕の人生』と出会わせてくれてほんとうにありがとうございます。買切なのでちょっと積めないけど、一冊はいつもお店の棚にあるようにして、僕に似たお客様があらわれるのを待っています。 <br> <br>ひさびさに甦った記憶は、もう売ってないと思っていた大好物のお菓子を見つけるみたいにうれしいです。 <br>ふるい記憶と出会うときには、遠くからここに着くのを待つのではなくて、こっちからも突っ走って行って、できるだけ向こうに近い中間点で出会いたいなあ、と思います。
雪雪さんのお返事を読んでいてまさにそのようにしてみることを意識的にしたんだなーと納得していました。 <br>自分から、記憶のほうへ。 <br>子どもの頃、タバコの形をしたタバコのように紙に包まれたチョコ、とかバンドエイドの真似をした糸で開けるチョコ、などを好んでいたなあ、とか、マヨネーズの容れ物の小さい版のなかに詰められたなにかのお菓子が好きだったなど書いてみて、みんな「似た物」だなって気がつきました。 <br> <br>「どきどき 僕の人生」は青い風車に惹かれて手にとったところがあります。なにか書こうと読み返して付箋だらけにして、でもどうもうまく語りたくないような、たぶん個人的な体験の近くにあって、でもそれがなにとも言えない感じです。 <br>命が弾けるように生まれるということを私はほとんど知りませんでした。ブラックホールの役割についてどこかでチラッと読んで、このことを思い出しています。 <br> <br>「透明人間の納屋」島田荘司 <br>「たったひとりのクレオール」上農正剛 <br> <br>本とは星の光のようです。