_ 時折遠方から「本をすすめてください」と言って訪ねてきてくださる方々は、見えているものや見たいものが、ある程度はぼくと似ているんだろう。まだジャンルとして確立しているとまでは言えない超短編を、愛好する人は少なくない。
そういう人に、真っ先にすすめたいのだが、品切重版未定なもので店頭で手渡すことができなくて残念だなーと常々思っている丸山健二『千日の瑠璃』は、文春文庫版上下巻が手頃な古書価格で流通していますからどうか御入手めされい。
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変わりゆく地方都市で生きる一人の少年と一羽のオオルリの千日間。物語の経糸をさらっと言えばそういうことなのだが、この物語を空前絶後の異形の書物にしているのは第二ににその構成で、1ページで一日、1000ページで千篇の超短編の連作になっているのです。
以前某巨大掲示板の「史上最低の小説」とかいうスレッドで、誰もが「ああ、あれね」と思いつくようなうっかりベストセラーやがっかりロングセラー群に伍して、『千日の瑠璃』は読者の絶対数から考えれば特筆すべき得票を獲得していたが、この作品をゴミだカスだ石ころだと思う人は少なくないようだ。子どもの頃、道端で拾い蒐めてきた宝物をたいせつに納めた標本箱を、勝手に母親に捨てられてしまったような哀しみを感じるかというとそうでもなくて、やはりこの本は万人向けではない。
第一にこの本を空前絶後の異形の物語にしているのは話者である。
千篇すべて、異なった話者の一人称なのだが、一日目はこう始まる。
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私は風だ。
うたかた湖の無限の湧水から生まれ、穏健な思想と恒常心を持った、名もない風だ。私はきょうもまた日がな一日、さながらこの世のようにさほどの意味もなく、岸に沿ってひたすらぐるぐると回るつもりだった。ところが-
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そして話者は移りゆく。「私は闇だ」「棺だ」「鳥籠」「ボールペン」「ため息」「日差し」「めまい」「記憶」「対岸」「バスタオル」「雨音」「詩」。抽象から具象にわたる森羅万象が、それぞれの独特の視野で、独白する。
「商店街」はふたたびの賑わいを夢みる。「徘徊」が牛をそそのかし、「教室」が繰り返される絶望とかすかな希望を語り、「土星」は彼を律する調和によって、少年の心と体に巣食った毒を祓おうとする。「少数意見」は少数意見の中の多数意見と少数意見に投げかけられた少数意見について報告し、「蟻」はおやじの禿げ頭からの見晴らしを語る。
そのようにして千篇。
内容だけが、物語ではない。読み進みながらぼくは、この物語が書き上げられるに際して払われた労力に、想いを馳せずにはいられない。万里の長城を眺め渡して呆然としているとき、「じつはこれはひとりの人が造ったのです」と教えられたような。この異形の物語を可能にした異形の意思を、物語とともに読まずにはいられない。思考を日常から遠心分離し、肉体からもぎ放そうとする意思。
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私は文字だ。消え去ろうとする書物を、必要とする人の手許に残すために、今あなたに読まれている文字だ。
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