_ 川上弘美は文庫で出ているものはほとんど読んでいる、というくらいには好きであった。うまいし、はずれがない。
お茶大SF研出身で、山野浩一主宰のNW-SFでアルバイトをしていたことがあったり、ディックの『暗闇のスキャナー』(サンリオSF文庫)の解説を書いていたり、インタヴューでバラードやラファティからの影響を語ったり、恋愛小説のアンソロジーにハーラン・エリスンを混ぜてくれたり、エッセイで、なにもすることがないときは『火星年代記』を読み返す、などとと書いてくれたりするから貴重な人材であって、嫌いになることなんかできない。でも単行本で追いかけるほどではなかった。
奇妙なシチュエーションも、備わったセンスで自然に読ませてしまう。どこを切っても川上印で、安心して読める。文庫化を待てるくらい安心してしまうのだ。あえて不満を言えば、老獪なるも狡猾ではない、というかつまり、煙に巻かれる快感はあっても不意を打たれる快感はない、というあたりか。
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『真鶴』(文藝春秋)を読んで驚いたのは、ぼくはずっと、購入はしないまでも川上弘美の新刊が出るたび必ず手にとって「今度はどんなかな」とチェックまではしていた、そのことに気付いたことだ。単行本をぜんぜん持っていないということは、毎回「ちがうな」と思っていたということで、それなのに漏れなくチェックを続けていたのだ。だから『真鶴』も手に取った。あまり期待せずに、しかしなにかを期待していたのだろう。
いつか『真鶴』みたいのを書いてくれるはずだと、明識的に思っていたわけではない。しかし1ページ目で驚いた。今までの、内側から出てくるものでもたせていた自己完結的な川上弘美と決定的にちがう。愛嬌がない。自覚的に、観察をし、取材をしている。
川上弘美が、川上弘美から外に出てきた。
(とはいえ、『真鶴』を見てから振り返れば、こういうものが出てくる予兆はちらほらとはあったが)
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読み進むごとにあまりにたくさんのことを思いついてしまって、ぜんぜん読み進まない。本のページをめくるより速いペースで、ぼくの脳内のページがめくられてしまう。気がつくと本を閉じて、虚空を眺めている。
温度が低い本。ぼくの思考回路の、抵抗がいちばん小さくなるあたりの温度だ。
万単位で読んできた本のなかで、この温度にしてくれる本に二冊出会った。と言うか、それらの本で、この温度を知り、この温度に持続的に留まり得ることを覚えた。それが『真鶴』で三冊になった。これは個人的には大事件である。
温度がおなじでも場所がちがうから、また見知らぬ風景を引き出してくることができるだろう。考えたこともないことを、考えることができるだろう。
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読んでいると、読んでいる場合ではなくなる。いつ読み終わるかわからない。なかなか残りページが減らなくて、うれしい。
謹啓<br><br>この春(4月)から、奥歯さんと同じような症状に取りつかれ、何度も飛び降りを考えたウサギです。<br>私が今も娑婆で生きているのは、何の契機だったか『八本脚の蝶』の存在を知ったからでした。<br>Webも何度も読みました。ポプラ社の本も購入しました。<br>しばらく、この本の言葉しか受け付けない日々が続きました。<br>「うつ病ですね」と診断されてから数ヶ月、奥歯さんの「蝶」ばかりめくって過ごしました。<br>強烈に感じる共感と、「物」に対する趣味の「同じ・違う」を分別しながら読むのも愉しみでした。<br>いや、それを愉しみ、と感じるようになったのは、夏を過ぎる頃です。<br>そして今、爽やかで美しい秋の空を眺めて、とりあえず私は、今回「娑婆」に繋ぎとめられたことを実感します。<br>ひょんなことで奥歯さんの著作を知ったわけですが(たぶん、美容院で読んだ雑誌に載っていた…)、ひょっとしたらこの「言葉」がなかったら、私はどこかの瞬間にベランダの手すりを超えていただろう、と思っています。<br>長くなって申し訳ありません、私が「今このとき」たしかに生きているとことに腹を括らなければ……と常から考えていた、そのことを、今は今生に生身としては亡き奥歯さんの言葉の中に、確かに確認することができました。<br>それからのつながりで、定期的に「空耳」はチェックしていますが、川上弘美の話題が出たところで初めてコメントしようと決心しました。<br>私も彼女とほとんど同年代ということで、必ずチェックし、全作品読んでましす(ほとんどのものを、文庫に落ちる前に)。<br>おっしゃっることに、基本的に同感です。<br>『真鶴』すぐに買いに行きます。愉しみです。<br>ほとんど個人的なことで申し訳ありません。<br>今はまだお薬を最大量服用中ですが、横にして積み上げた私の友なる本たちで机上を囲み、その城砦の中で安心して暮らしています。<br>今後も楽しみに「空耳」を読ませていただきます。<br>ありがとうございました。<br><br>かしこ
☆おさとウサギさんはじめまして。 <br>このところ仙台を離れていることが多く、すぐに反応できなくてごめんなさい。 <br>二階堂奥歯に関して、自分の態度を鮮明にしなければならない、とある状況が訪れていました。そういうときにおさとウサギさんのコメントは「こっちでしょ」と、背中を押すように届き、「こっちだよな」といういう思いで読ませていただきました。ちょっとふしぎな感じです。 <br>おさとウサギさんの、書くことができ、発信することはできる現状をさいわいに思います。 <br>なんだかこちらの勝手に、つもる話がたくさんある気がします。いつかお会いできたらいいですね。 <br><br>生まれてくることと生き続けていくことには奇跡が必要ですが、死ぬことと死に続けることに奇跡は必要ない。 <br>そのぜんたいが奇跡と思えます。 <br><br>『真鶴』は、まだ読み終わっていません。『真鶴』を読んでいるあいだに、他の本を何冊も読み終わってしまいました。
>この温度にしてくれる本に二冊<br><br>!!! そ、そそそそそその 2 冊とは、いったい何ですかぁっ!!!<br>「雪雪さん個人的には大事件」なら、空耳読者にとっても大事件です!!!<br><br>>しかし1ページ目で驚いた。今までの、内側から出てくるものでもたせてい<br>>た自己完結的な川上弘美と決定的にちがう。愛嬌がない。自覚的に、観察を<br>>し、取材をしている。<br><br>わりあい初期のものは読んでいますが、(サブロウ人形の話とか好きです)<br>それでは比較対象にならぬと思いつつも、即立ち読みの体勢。<br>…… 1 ページめ!<br>こ、これを「>川上弘美が、川上弘美から外に出てきた。」と言うのか!!!<br>そんなビシッと的確な感想、ぜったい私には出てこないです。ぅくー!!!<br><br>たしかにたしかに「>温度が低い本。」と思いながら、ページをめくりました。<br><br>「文頭の唐突感、の連続とひびきあい」も川上弘美の文体の特徴のひとつ、<br>ではないかと思うのですが。今までの唐突とは、ちがうかもと思いました。<br>それこそ段落ごとに「超短編の集積」になっているので、 ?<br><br>>ぼくの脳内のページがめくられてしま<br><br>ったりするのかなぁ? と勝手に想像。<br><br>『アラビアの夜の種族』に、人を書物としてめくって眺められる、<br>という魔法が出てきますが、これ、雪雪さんにかけてほしいなぁー!!!<br><br>>温度がおなじでも場所がちがうから、また見知らぬ風景を引き出してくるこ<br>>とができるだろう。考えたこともないことを、考えることができるだろう。<br><br>引き続きのご感想、楽しみにしています!!!<br>読んだこともないことを、読むことができるだろう!!!<br><br><br>……以上、毎度教えてさんの虹を指さすな(001)が反応してしまいました。<br>誰かきいてーっ、と思っていたのですが、ダメです、もう耐えられません w<br>その 2 冊、もしよろしければ、書名だけでも、ぜひぜひ。<br><br><br>せっかくなので『真鶴』、もう少し書店で見かけるのを楽しみにしておきます。<br>気になる人を、毎日遠くから眺めるような嬉しさ。<br>まだかなりの平積みだったので、最後の初版 1 冊あたりで買おうっと。<br>装丁もきれいですね。(装画、蝋燭とか満月の人ですよね?)<br><br><br>以前、「あなたが百冊読むうちに、ぼくは千冊読むだけである」意味のことを<br>お書きでしたが、(あ、違いました。記憶の確率の文脈でした)<br>それを最近、目の当たりにしている気がします。<br>私が『祈りの海』1 冊うろつくうちに、『真鶴』の他いろいろ読了、の差。<br>それが万単位になっていくのですね……。ふぅ。<br><br><br>あ、おさとウサギさん、横から失礼します。(初めまして)<br>「愉しい」と感じられるようになってよかったですね!<br>どうぞ引き続き、その調子でご回復されますように。<br>私も冬になって光が少なくなると、一気にウツになるので、<br>本を読むときには、いっそう部屋を明るくすることにしました。
☆虹を指さすな(001)さん、いつも熱い反応ありがとうございます。励みになります。<br>>!!! そ、そそそそそその 2 冊とは、いったい何ですかぁっ!!!<br>それはたまに言及している、金子千佳『婚約』とクリスティン・ヴァラ『ガブリエル・アンジェリコの恋』です。<br>『真鶴』はどこに出しても恥ずかしくない傑作だと思います。でも『婚約』と『ガブリエル―』は強くお薦めはしません。 この2冊はやはりマイナーマスターピースであって、ぼくの温感に合っているのだと思います。この2冊を読むと、ぼくの心の水界は鎮まり、比類なく透明になります(当人比)。<br>殊更にロマンティックな言い方であるということを自覚しながら思い切って言えば、ぼくはこの2冊を読むために生まれてきた気がしますし、この2冊はぼくに読まれるために書かれた、という気がします。『真鶴』に対してはそこまでは言えません。ぼくよりもっと相応しい読者がいるでしょう。<br><br>アニー・ディラードの諸作もとても近いのですが、この人の水はぼくよりも温度が低くて、この人の水の中で、自分がいなくなってしまったと思えるくらいじっとしていることができません。アニー・ディラードはワンアンドオンリーの著述家だと思います。力一杯お薦めできます。<br>以前松本侑子さんがディラードを評して、「今まで読んできた本は、この本を読むための助走であった」という意味のことを言っていましたし、松岡正剛さんは<千夜千冊>の中で、ディラードの『本を書く』を題材に「書くこと」の秘儀に触れながら、同著者の『アメリカン・チャイルドフッド』について「こんな瑞々しい文章には出会えなかったとおもうほどの傑作」とまで絶賛していますから、ぼくなどが褒めるまでもない。<br><br>これらの本には及びませんけれども、最近読んだ中で、読み始めてすぐに「この温度だ」と思って引き込まれたのはシンシア・ライラント『人魚の島で』。すぐにライラントの著作を漁りましたが、大好きになったのは『人魚―』だけでした。
☆虹を指さすなさんへ<br>いつもたくさんの感想と情報をありがとうございます。非常に有効です。援かっています。逐一反応できなくとも、活用させていただいております。次第に化学変化してくるでしょう。<br>ぼくは「本好き」としては何度かブランクがあって、その時期の情報にウィークポイントがあります。若林真理子はうかつにも知りませんでした。これは好きです。というか、ぼくの作品として発表したなら、引用された二節の盗作と言われそうなくらいそっくりの作品が、未発表作にあります。きっともっとかぶっている、という予感がします。<br><br>>ところで津原泰水の「天使解体」は、3 冊めにはならなかったのですね。<br>>『ガブリエル―』さん、いつのまにか浮上! というかんじです。 <br>>アニー・ディラードの読み方、少し変化されたのでしょうか。 <br><br>そこのところは「文体」の話で、最近のは「温度」の話なので、すこし文脈がちがうのです。 <br>「天使解体」はいまもとても好きす。はじめて読んだ短編の前半部が、その作家のいちばん好きな部分でした。ゆえに作家としての評価は最初すごく高くて、その後もっと高まることはなかった。もちろんここで云う「作家としての評価」は、個人的な嗜好のレベルで云うにすぎません。津原泰水は当代きっての才能だと思います。
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