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雪雪/醒めてみれば空耳

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2006-03-17 空を切る

_ 「おまえの書くものは意味がわからない」と、ちょくちょく言われる。そうかもしれない。私にも意味がわからないことがあります。

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詩は、尖鋭化してゆけば、空虚な比喩になる。

なにをあらわすともなく、対象のないまま、絶妙だったときの比喩の型を、ただ繰り返す。ひたすら型を演ずる。

空喩。

なにがとは知らず、気配もないものを喩える。

空喩。

空を切って、空を切って、肉を切らせてなお空を切って不意に手応えがあり、なにかがいる。

直前まで存在しなかったものが、知らず喩えられているそれは眼を凝らす間にもたちまち遠ざかりつつある。ふるまい得る最速の型でふたたびそれを比喩する。矢のように放ち、届き得る限りの手懸りを掴み取って戻ってくる握力として。

我に返ったとき稀に、まぼろしくも的確な比喩が、掌に残ることもある。

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もし残ったら、その未知をもって既知を喩えてみる。

既知のものの像を、神秘化するための比喩ではなく。

既知のものの像を少しくおぼろにすることによって対比的に、もとよりおぼろである未知が少しく、鮮明になる比喩。