_ 世界観が変わるくらいのあたらしい答えに到達すると、たいていがっかりする。
答えが、今まで見てきたものを全部あたらしい見方で見直すことができるくらい射程が長くて有望なときほど、その答えの言葉づらは他愛ないもので、その答えに到るためのヒントはあまりにも露わで、どこにでも転がっていて、どうしてもっと早く気付かなかったのか自分の頭をばかばかと叩きたくなる。
いまだ知らぬ次の答えも、たぶんそんなふうだ。
答えたちは、なんの警戒心も抱かず、素っ裸で寝っ転がりひなたぼっこしている。ぼくはそのヌーディストビーチを、ただの砂浜だと思って歩いている気の毒な旅行者で、ヌーディストたちは、ぼくにとっては存在しないから、あやまって踏んづけることもない。
きれいな浜だな、誰が掃除しているんだろう? さして切迫感のない問いが浮かんで、消える。消えるときに軽く爪を立ててゆく。かりっと。
その痛いとさえ思わない瞬時の痛みは、たいていは意識のもっとも繊細な閾値より短くて、瞬時に忘れ去られ痕跡さえ残さない。意識が瞬きであって、時間に沿った明暗の縞模様だとすれば、その爪はほとんど闇を掻いてしまう。しかしたまさか、光が掻かれることがあり、そしてそのときぼくがなにかに完全に気を取られていなければ、そのちくりとした痛みを記憶として次の光の瞬間まで受け渡すことができる。
ぼくは立ち止まる。
眼を閉じて耳を澄ますときのように、なにかを閉じてなにかを澄ます。
砂浜に頬杖を突いてにたにた笑っている無数の表情が、滲み出してくる。