_ 自力で思いつくか思いつかないか、ぎりぎりの境界を少しだけ越えたあたりの着想が、もっとも人を驚かせる。
それより遠い着想は、心を揺さぶることもなく過ぎ去ってしまい、惜しまれることもなく消える。もっと遠ければ、なにかに届いたことさえ当人に気づかせない。
引き起こされる感動を指標とする限り、一生に一度、とある一瞬だけ眼の端をよぎって去るようなかすかな着想を捕捉することはできない。思考は、ふだん自覚されない慣性にしたがって運ばれているから、追おうとすればその慣性に逆らって、急激に加速しなければならない。けれども心が掻き立てられなければ、興奮による集中力は動員されないし、着想を追尾する加速力も発揮されない。
ゆえに、「今まさに、驚くべきときである」という判断により、意図的に自分を感動させる必要がある。それは困難である。習熟によって、随意の度合いは多少上がるにせよ。
追尾が不能であるとき、遠ざかる着想にぼくは、名前を付ける。ただひびきだけを似合わせたあたらしい固有名詞を。そしてその名を書き留めておく。おりおりに、名前がなじむよう、心の中で反芻する。名前が定着すればその呼び名の対象は、果てしない闇の中で無意識が交わす、噂話の種になる。
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ある日、やはり取り急ぎ名前を付けなければならないような影の薄い着想が、予告もなく訪ねてきて、くだんの名前を唱える。
「会いたいんでしょう?」
「会いたい」
ぼくはそのときしていたことはぜんぶ放り出して自分を身軽にする。
すでに流れ始めながら案内人は、振り返って言う。
「遠いから、心に鍵をかけてきたほうがいいわ」