_ お母さんに連れられてきた、まだみっつかよっつの女の子だった。その頃ぼくは、本屋のレジの中にいて、お母さんがなにか本を買ったのだ。ぼくと合った眼を、女の子はぱちくりした。そのままぼくを見ていた。手を引いてお母さんが店を出て行こうとしても、女の子は逆らわなかったけれど、ずっとこちらを見ているせいで足元がおぼつかなくて、「ほら!ぐずぐずしないの!」と、お母さんにおこられていた。お母さんは、女の子がなにを見ているのか、ぜんぜん関心がないらしかった(ぼくも、お母さんが見ているものに関心がなかったが)。
自動ドアが閉じたかと思うとまた開いて、女の子が駆け込んできた。「どうしたの!もう!」追いかけてきたお母さんが抱き上げて、出て行くまでのあいだ、女の子はお母さんの肩越しにぼくを見ていた。
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人と目を合わせることは難しい。すぐに様々な意味が付着してきて、視線に洗濯物が掛けられたように重くなる。
こどもと目が合うことは、特別なことだ。細く、まっすぐに合う。誤解をおそれる必要がないし、なにも守らなくてよいから。
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少しお客さんが途切れて、いっしょにレジにいた同僚が、さっきの女の子をネタにして「もてるじゃん雪雪さん」とかなんとか軽口を叩いたがぼくはうまく受けられずにうーんと口ごもったりしていると、レジに向かって歩いてきた男性客が「おや、かわいいねー。どうしたの?」と言った。カウンターから身を乗り出して見ると、レジの前にあの女の子が座っていて、こっちを見上げたのでまた目が合った。また会えてよかった。
さっきのこともあって、本屋かもと見当がついたのだろう、お母さんが走り込んできた。「ひとりでふらふら歩かないの!迷子になるでしょう!」抱き上げられて出て行くまでのあいだ、女の子はまた、黙ったままぼくを見ていた。
この頃ぼくには生活の余裕がなく、「お嬢さんをぼくにください」と言ってあげることはできなかったが、「バイバイ」とは言わないでおいた。女の子もなにも言わなかったし、手も振らなかった。
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