_ どんなに論理的に、理知的に考えようとしても、感情からは逃れられない。というのも、思考が深く潜って、あるいは高く遠くまで舞い上がって、あたらしいどこかに到達するときには必ず、同時にあたらしい感情が生まれるからだ。
読む前の自分には戻れない本や、出会う前の自分には戻れない人に出会ったときにも、心のなかではあたらしい感情が、ぱちりと眼を開ける。
「呼んだ?」
うん。
でも呼んだのはぼくじゃない。
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あたらしい感情は、たいていは覚醒と夢の境界あたりにあって、ふだんはほとんど睡っている。けれどもひとたび目醒めた感情は、さいしょの目醒めのきっかけになった出来事より、もう少しありふれた出来事にも反応するようになる。あたらしい感情は、自分の居場所をさがしているのだ。そしてやがて、まだ既存の感情が領有の宣言をしていない土地に定着してゆく。環境が許すならば。
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ときおり、出会ったばかりの誰かに、思わぬ問いを投げかけられることがある。一度も考えたことがないような問いをいきなり。
どこかで、感情が眼を開ける。
ぼくは驚く。その問いにではなく、自分の答えに。
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感情は、答えを知らない問いに、即座に答えるために存在する。